特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

読書『地球が燃えている』と『在宅ひとり死のススメ』

 相変わらず、寒くなったり、温かくなったり、季節は行ったり来たりですねー。
 東京では梅が満開です。渋谷や新宿だけでなく、郊外の駒沢公園にも人が呻るほどいます。
駒沢公園にて。

●夕陽と梅

 
 年初に知り合いの某企業役員が、学校で感染した孫から(笑)コロナに感染したのですが、家族一同 検査は受けられたものの無症状だったので、保健所は『2週間の自宅待機(ホテルは紹介されたそうですが)』という指示をしただけだったそうです。あとは待機開始前に受け取るはずの指定感染症の書類が、自宅待機期間が終わって2週間くらいしてから送られてきた(笑)。
 そうやって保健所は濃厚接触者の追跡をほぼ諦めてしまっているわけですから、感染者数は絶対減ってない、と思います。


 そんな中、これ↓は凄い光景だな、と思いました(笑)。福井の駅には恐竜の像が置いてあるそうですね。恐竜より『氷河期』を売り物にした方がいいんじゃないでしょうか。

 凄いと言えば、これも凄い。ボクも××年前に会社に入った頃、『飲み会は断るな』って同じことを言われた覚えがあります。


 確かに飲み会好きなオヤジ・ジジイ連中の輪の中に入る、つまり利害共同体である男社会=(Old Boy’s Club)でうまく立ち回るのはこれが正解、とは思います(笑)。
 ボクはこういうことが死ぬほど嫌いで逃げ回ってきましたが、この人はオヤジを転がして上手く組織の中でのし上がってきたんでしょう。山田と言う女性官僚、男社会での立ち回りのうまさは森喜朗の同類ですな。

 男中心のムラ社会で飲み会に参加してうまく立ち回るのも、それはそれで努力、才能ですが、多様性が重要なこれからの社会にとって害悪でしかないのも事実。

 今どきこんなことを堂々と言ってる奴が居る、のには驚きました。この人は現実主義ではあるんだろうけど、深い思考力もない。時代認識も無ければ、羞恥心もないんだろうなあ。やっぱり、こんな高級官僚がのさばっているようじゃ、この国は見通し暗いよなあ。

 もうちょっと、この収賄の話を考えてみます。
 安倍、菅と続いた政権の特徴は、縁故によって私利私欲を追及するという点です。トランプの政権とそっくりですね。新自由主義を標榜する政治は往々にして、仲間内の利益を優先する縁故資本主義(クローニー・キャピタリズムに陥ります新自由主義政権の元祖はチリのピノチェト軍事政権ですが、ピノチェトの家族ら一族郎党が30億円近い横領・不正蓄財をしていたのは有名な話です。サッチャーも息子がサウジからリベートを受け取っていた。

 市場優先を標榜する新自由主義は、その主張とは反対に縁故主義とセットというのが実態です。新自由主義こそ市場原理より仲間内の利益を優先するのです。

 モリカケに始まり、今回の総務省農水省収賄も呆れるような話ですが、構造的なものではないでしょうか。
 社会的な正当性をあまり意識しない、つまり大義がない政権の行く末は収賄であり、縁故です。近代は合理性を追求して市場原理にたどり着いたわけですが、市場原理を追求すると今度は縁故という非合理に戻る

 人間というのは全く皮肉なものです。不完全な存在である人間にとって幸せな社会とは、(物質や市場原理に代表される)合理性と(倫理や哲学といった)非合理性のバランスをとっていくことかもしれません。ま、非合理がのさばる日本はそれ以前の問題ですが(笑)。




 さて、読書の感想です。どちらもエッセイ、と言ったら語弊がありますが、著者の思うところ(だけ)を書いた性格の本です。
 まず、ナオミ・クラインの新著『地球が燃えている


 『ショック・ドクトリン』で著名なジャーナリスト・活動家のナオミ・クラインの新作です。この人の話は極端だし陰謀論ギリギリのところもあって、必ずしも賛同できない部分もあります。ですが、ラディカルな意見には触れるべきと思っているので、この人の本はなるべく読むようにはしています。

 この本は気候変動に対して社会全体の仕組みを変えることで対応しようと言う『グリーン・ニューディール』について、この10年くらいの著者のスピーチやエッセイをまとめたもの、です。確かに、この10年は気候変動のリスクが目に見えて顕在化してくる10年でした。日本においても台風や大雨が繰り返されるようになりました。

 残念ながら、この本には目新しい事実やロジックはなかったので、エッセイの域は出ないです。個人的にはカナダ・アメリカの二重国籍を持つ著者が子供とカナダで過ごした夏休みが、近年の気候変動の影響を受けるようになった話が一番面白かったです。

 地球温暖化や資源問題などの環境問題に対して大規模な投資や社会の仕組みを変えることで対応しようと言うグリーン・ニューディールにも色々な定義があると思います。
 バイデン氏が言っているような穏健なものから、著者が言うように教育や文化などもっと社会全般として対応していこうとするもの、それこそ今 売れている斎藤幸平の『人新世の「資本論」』のように資本主義を脱却しよう、という非現実的なものまで色々です。ちなみに斎藤は著書の中で『グリーン・ニューディール』は資本主義の延命策に過ぎない、と批判しています。

人新世の「資本論」 (集英社新書)

人新世の「資本論」 (集英社新書)

 この本でナオミ・クラインが唱えるグリーン・ニューディールは漠然としていますが、文化や教育にも言及するなど斎藤が唱えているものよりは視野が広いです。
 なかでも 今後 気候変動に対応するためにショック・ドクトリンによって専制的なエコ・ファシズムが成立するリスクがあると言う指摘は言えている、と思いました。

 中国のように専制的な体制の方が危機には対応しやすい、短絡的な日本人なんか直ぐ、そんなロジックに引っかかる。
 現に自民や維新は何かあると直ぐ私権を制限する権力をよこせ、と言いだします。その反対に見える斎藤幸平の『人新世の資本論』で述べているグリーン共産主義だって、その独善性がゆえにエコファシズムになりかねません右も左もアホは似たようなものです。

 原発安全神話が良い例で、社会全般が原発事故に対してリスクを矮小化してしまうようなことって現実にはあり得ます。現に一部で指摘されていた津波のリスクなどは国にも東電にも見過ごされていたわけです。右だろうが左だろうが、人智には限りがあることを前提にしなければならない。
 だからこそ専制的な体制より、社会に多様な意見があったほうが危機を防ぐと言う観点でも有効、とボクは思うのですが。
 
 この本は価格も高いし、内容はエッセイみたいな軽い感じなので図書館で借りて読めば充分、と言ったところでしょうか(笑)。


もう一つは、これまた上野千鶴子の新刊『在宅ひとり死のススメ

在宅ひとり死のススメ (文春新書)

在宅ひとり死のススメ (文春新書)


 上野は年齢が50代になってフェミニズム関連から介護という新たな分野に足を踏み入れ、在宅独居で死んでいこうという『おひとりさま』シリーズの3冊はベストセラーになりました。

おひとりさまの老後 (文春文庫)

おひとりさまの老後 (文春文庫)

 今作はその続編です。なんと出版社は文芸春秋。それだけ、この分野の議論がメジャーになってきた、ということでしょう。

 前半は『おひとりさま』の時代からの変化。
 かって老人の介護は同居の嫁が担当することが多かった時代から、介護保険の普及に伴い、介護施設や訪問ヘルパーなど第3者のプロの利用が当たり前になり、病院ではなく家で一人で死ぬケースも増えてきたそうです。施設に預けることが恥ずかしいなんて、もはやあり得ない。上野が『おひとりさま』を書いた頃から時代は随分と変わった。

 まず、素人が自分の生活や職を犠牲にして老人を介護するより、第3者のプロが介在したほうが家族にとっても、本人にとっても幸せに決まっています。さらに同居についてはどうでしょうか。
 上野は調査の数字を挙げて論証します。老人になっても一人暮らしをしている人の方が家族と同居している人より圧倒的に生活の満足度は高い、そうです。生活満足度でサイアクなのは親子の2世代同居というのが面白いです。お互い逃げ場がないですからね。3世代同居になると多少は緊張緩和されるみたいですけど、一番良いのは同世代だけの暮らしだそうです。夫婦二人にしろ、結局はひとりになる。

 上野も述べているように、ボク自身も集団生活は死ぬほど嫌いです。できれば自宅で一人、死を迎えたい。
コロナ前は時々、老人ホームにいる身内の様子を見に行ってましたが、ホームでは皆でカラオケやったり、テレビで時代劇鑑賞会とかやったり、ボクには絶対耐えられないと思いました。

 だから在宅ひとり死が最も幸せ、っていうのはよくわかります。10000%賛成。本の中にもありましたが、孤独死とかどうでもいいじゃないですか(笑)。死ぬときはどうせ一人なんだから。孤独死とか言っても、安否確認だけ定期的に行われる仕組みさえ整えておけば、死骸が放置されて虫が湧くこともないでしょう(笑)。
 できればボクも一人で在宅で死んでいきたい。それで寿命が少しくらい短くなっても望むところです(笑)。

 ただし問題は認知症
 この本の後半は認知症になった場合 自宅でのひとり死は可能か、ということが論じられ、結論として、必ずしも不可能ではない、ことが説明されます。
 認知症と言っても知能はともかく、感情は衰えているわけではない。だから本人にとっても自宅で死ぬのが幸せだし、見回りなど第3者のサポートがあれば認知症でも在宅の死は可能ではないか、というのです。例えば 排便などが自分で満足にできなくなって家が汚れても、自分一人で暮らしているなら、それはそれでよいのではないか、というのです。

 実際には認知症も程度によりけり、と思います。それに火の問題など物理的な問題もある。だから認知症になっても在宅ひとり死が可能かどうか、今は断言はできない、とは思いました。
 しかし目指すところではある。今 世界中の製薬会社が血眼に担って認知症の薬を開発しています。あと10年か20年か判りませんが、なんとか自分は間に合わないか、ボクはそう思っているんです。

 安楽死尊厳死についても1章が設けられています。
 上野はどちらも反対。尊厳死安楽死を認めてしまうと、それを悪用する連中が出てくる。当事者主権、自分の意志で生きていくことにひたすらこだわる上野ですが、生まれるときは自分の意志は発揮されないのだから、死ぬときだって自分の意志が必ずしも反映されなくても良いのではないか、というのです。

 本の中では透析の苦痛に耐えかねた患者に医療機関がきちんとした代替手段を示さずに、絶望した患者が透析を拒否して死んでいったという福生病院の事件を挙げています。確かに医療機関や政府がそういうことをやってくる可能性はある。
 ここいら辺はボクはどっちが良いか決められないなー。これから考える時間はある、でしょう。

 最後は介護保険を使いにくくして経費を抑えようとする政府(財務省)の制度改悪が着々と進んでいる、一緒に戦ってくれと述べて本は終わります。

 誰にでも死は訪れます。準備をしていても、なかなかその通りに行くかどうかは判りません。
 でも方向を決めて、それに向けて準備をしていくプロセスもまた、人生ではあると思います。先のことを考えない人生もあるのでしょうけど、ボク自身は自分に対して自覚的でありたいです。例え その通りには行かない、としてもです。

 新書で内容も平易、良くも悪くも内容は軽い本です。読み切るのにボクは2時間もかからなかった。面白いし、さっさと読めます。
 時が来たら、ボクも『在宅ひとり死』を迎えたいです。そのためにはどうしたらよいか、これからも勉強して、徐々に準備していきたいと思います。


ということで、今週も金曜官邸前抗議はオンラインです。
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