特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

その視線の向こうに:★8.17緊急!大飯原発を停止せよ!首相官邸前抗議

夏休みは楽しかった。
朝、新聞読みながらマシンバイクを漕いで、ご飯を作って食べ、そのあとはずっと読書三昧。難しいところに差し掛かったら、そのまま15分くらい寝てまた読む、のでれでれ生活(笑)。
そうやって読んだ本で印象に残っているのが孫崎亨氏の『戦後史の正体』、水野和夫氏の『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』、『世界経済の大潮流』、入江悠氏の『サイタマノラッパー』(映画のノベライズ版)。
孫崎氏の本は、戦後の政治には従米と自主独立、2つの路線があったという視点から述べたもの。彼によると従米路線は吉田茂小泉純一郎中曽根康弘、自主独立路線は石橋湛山岸信介佐藤栄作などを挙げている。戦前、戦後ともに外務大臣を勤めた重光葵という人がアメリカに屈しない人だったとは知らなかった。普段は目に触れることが少ない外交というものがテーマなので自分で真偽を確認しにくいし、元外務省の彼が想像で書いている部分もあるけれど、こういう見方自体はひとつの考え方だと思った。凄く面白い本だ。ただ、従米でなく自主独立路線が常に国民にとって良いか、というと微妙な問題で、自主独立の挙句に北朝鮮状態、つまり国ごとアホになって集団自殺した戦前を考えると日本人の『自主独立』というのも怪しい(笑)、とボクは思っている。アメリカが言っていることでもマシなことがないわけではない。例えば通信自由化でネットの通信費が下がったのもパブコメも、アメリカの『年次構造改革書』で押し付けられたものだ(笑)。どこの国だって自分の国の利益を一番に考えているのを頭におきながら、良い意見と悪い意見を取捨選択して進むしかない、とボクは思う。あと、この本で紹介されていたアメリカの隣国、カナダの自主独立路線の話は感動的だった。
尖閣の話は頭に来るなあ。石原慎太郎のボケジジイが何の役にもたたない買取なんて無責任な挑発をするから、他所の国との溝が深まるのだ。あのクソボケジジイだけは日本のためにさっさと死んで消えてくれ。

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書1)

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書1)

水野和夫氏の2冊はどちらも同じことを書いている。エコノミストの彼は偶然 舞台芸術家の鈴木忠志や建築家の磯崎新や評論家の柄谷行人などと勉強会をやるうちに考え方が広がったそうだ。そこから刺激を受けて書かれた、これらの本はフランスの歴史家フェルナン・ブローデル歴史観を元に経済を中心に世の中の大きな流れを解説したもの。今は資本主義自体が16世紀以来の大転換期にあり、それは今後数十年も続くこと今後は成長とエネルギー過大消費を前提とした弱肉強食の社会を転換して、低成長を前提とした定常的な社会を作っていかなければならない、ということが書かれている。要約すると、いつの間にか化け物のように膨張した金融経済が実体経済を圧迫し、政治を支配し(特にアメリカ)、資本が労働を圧迫しているけれど、もうそれじゃお先真っ暗、というお話。デフレについてもバブルについてもこれだけ納得がいく説明をボクは読んだことがない。特に前者は本文350ページ、注釈150ページもある難解な本で買ってから半年間、枕と化していたが(笑)、今回読むことが出来てよかった。水野氏の本には本当に感銘を受けたので、どこかで書こうと思っている。
ブローデルからセルバンテスシェイクスピア、それに経済統計が混在する、ある意味とんでもない本

終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか

終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか

●こちらは平易でお勧めです。目からうろこが落ちる思いがした。
世界経済の大潮流 経済学の常識をくつがえす資本主義の大転換 (atプラス叢書)

世界経済の大潮流 経済学の常識をくつがえす資本主義の大転換 (atプラス叢書)

                                   
家に篭ってばかりも身体に良くないので(笑)、今週も国会前へ。★8.17緊急!大飯原発を停止せよ!首相官邸前抗議 | 首都圏反原発連合
お盆休みらしく、子ども連れの人の比率が高かった。人数は抗議が始まった6時頃は先週よりちょっと少ない1万人くらい、7時過ぎには人数がどんどん増えて3万人を超えたくらいになった。結局 お盆にも関わらず参加者は先週より多かったかもしれない。田中康夫手弁当で配っている例の白い風船が今日も多くの人の手に握られている。
●今日も白い風船が

●杖をついた人も

●官邸前方面

テレビ東京

●抗議が始まる


スピーチエリアと称する国会前では国会議員と一般の人が脈絡なく好き勝手にスピーチしている。前回も思ったことだが共産党の議員や社民党の議員は、抗議に集まった人たちに『一緒にやりましょう』と言う。生活がなんとかの議員は『反対させていただきます』と言う。後者にはやはり距離を感じる。その人たちの熱意の問題なのだとは思うけれど(勿論 共産党社民党も他に問題は大あり、なんだけど。)
一般の人のスピーチには、みんなガンになっちゃうなど、?と思う意見もあるが、納得度が高い話をした人、例えば『政治家は始めに原発は安全という嘘をつき、次に電気が足りないという嘘をついた。私たちは二重に嘘をつかれました』には自然と大きな拍手が湧いていた。スピーチをしたのは8割方が女性だった。

●スピーチエリア

●プラカードを持つ女性たち(つ、強そうだ〜)

                                                               

今日はいろんな場所で警備の警官に一般の人が食って掛かっているのを良く見た。何で行き先を制限するんだ、とかそういう他愛もないことだ。そんな会場の様子を見たり、スピーチの内容を聞いたりしていて、結局 自分たちの声が政治に届いてないことに憤っている人が多い、と思った。
勿論 今の民主党政権安全対策を留守にしたまま原発を動かすは、公約違反の増税をするは、じゃ怒らないほうがどうかしている。間違いなく、サイテーの政治屋どもだ。

だけど、この写真↓を見て欲しい。見返してみたら偶然なんだけど、皆 視線は一方向に向いている。この視線の行き先がどこに向いているんだろうか。ボクはそこに希望を持っている。