特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

世界の終わりを待ちながら:映画『ベルフラワー』

岩国に揚陸されたオスプレイの件もひどい話だが、大飯の再稼動と構造はそっくりだ。国策だからと言うだけで説明も対策もまともに行わないまま、ただ結論だけを押し付ける。これが民主党のやり方なんだろう。
だがこの件について、ボクには良いアイデアがある。オスプレイアメリカからレンタルして1年でも2年でも総理&防衛大臣専用機として使ったらどうか(笑)。日本で運用するのはそれからにすればいい。本当に安全だと思っているのなら、出来るはずだろう。 もちろん誰も巻き添えにならない海の上とかだったら、事故を起こしてもらっても結構だ(笑)。                                      
                        
名古屋の『エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会』で中部電力の課長が『今回の原発事故でまだ誰も死んでないし、これからも死ぬことはないと信じている』と述べたのには多くの人が憤りを覚えたのではないだろうか。ボクは目茶苦茶むかついた。
まず既に600人近くの人が避難によるストレスなどで亡くなっている。読売の英語版(どうして日本語版にはださないんだよ)によると573人だ。http://www.yomiuri.co.jp/dy/national/T120204003191.htm 中電のバカ課長はこれは原発事故のせいではない、と言い張るつもりなのか。

勿論 放射能起因の癌患者の発生は『まだ』報じられていない。だがちょうど7/17のCNNに『スタンフォード大の研究者が論文で、フクシマの事故による放射線の影響で癌で亡くなるのは世界で130人くらい、癌にかかるのが180人くらいと見積もっている』 という記事が出ている。Researchers estimate 130 might die from Fukushima-related cancers – The Chart - CNN.com Blogs

●論文もあったけど、これは数式満載で理解できませんでした(涙)。 http://www.stanford.edu/group/efmh/jacobson/TenHoeveEES12.pdf]

この論文が当たっているかどうかはボクには判断できないが(CNNの記事は、普通のガンの発生件数に比べたらたいしたことないじゃん、みたいな感じでむかつく)、電力会社が作った研究所が引用しているチェルノブイリの事故の被害推計を見ても、それくらいの被害が出ても不思議はない。0.11%という数字 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)

                                           
勿論 人数の問題ではない。いずれにしても、フクシマの放射線による健康被害は『まだ、わからないというのが正確なところだろう。それに実際には公害と一緒で実際に発病する人が出ても被害と事故の因果関係の証明は至難の業だし、証明には莫大な時間がかかってしまうだろう。
                                                
だから目に見えない恐怖だけが残る。それも原発事故の恐ろしさなのだと思う。だからこそ予防原則で物事を考えざるを得ない。この中部電力の課長や池田信夫のように、全く安全だと言い張るのなら鉛カバー付の線量計でも持って、まず自分で被爆してきたらどうか。
                                                   
                                       
                                               
最近 デモの記事が多くて、映画の感想が貯まってしまった。
渋谷で映画『ベルフラワー
子供の頃 世界の終わりを夢見たことって、案外 多くの人が体験があるんじゃないだろうか。学生時代、ボクも試験の日に大雨が降って学校が沈まないかな、と思ったりしたもん(笑)。ターミネーターやマッドマックスなど世界の終わりを描いた映画やSFが多く作られるのも、人間の中には実はそういう願望があるからだと思う。

アメリカの田舎町に住む20代の男性。格戦争後の荒廃した世界を描いた映画『マッドマックス2』の世界に憧れ、友人と二人で世界の終末に備えて火炎放射器の製作とクルマの改造にいそしんでいる。
ある日 彼は酒場のコオロギ早食い競争(笑)で知り合った女性と恋に落ちる。だが 一緒に住み始めたある日 彼女の裏切りを見てしまう。

そんなお話。サンダンス映画祭に出品されるなど一部では話題になっている作品だ。
生粋のインディ映画で主演・脚本は監督自ら、主人公を裏切る彼女は本当に監督を捨てた元カノ。サウンドトラックは素人みたいな奴が歌っている曲も混じっている。制作費は約150万円、そのうち半分以上はマッドマックスを模して作った、後ろのマフラーから炎を吹き出す改造車メデューサ号につぎ込んだそうだ(笑)。
つまり、この冗談のような話は、ほぼマジらしい(笑)。
メデューサ

主人公と友人は日がな一日ウイスキーをラッパ飲みしながら、廃屋で火炎放射器のテストに勤しむ(笑)。だけどケンカとかは弱いおタクたちだから、外界や他者に何か働きかけたりはしない。世界を破壊しようとするわけでもなく、ただ火炎放射器をいじりながら世界の終末を夢見ているだけ(笑)。さすがのボクでもこんなのアリか、と思った。

だけど、こういう主人公好き。お話はそれほど激しい暴力シーンもあるわけでもなく、派手なカーチェイスがあるわけでもない。それどころか主人公は時々スピンターンをする以外は安全運転に徹している(笑)。つまり、この映画は人間の心の内を描いた案外 繊細な作品なのだ。
監督が演じる主人公の、女の子と知り合っても、なかなか手をだせない童貞演技はなかなか真に迫っている。っていうか演技じゃないか(笑)。その彼が彼女の裏切りにあったときの表情の変貌がすさまじい。


後半は彼女に裏切られた主人公の妄想が語られる。というか、妄想だか現実だか見ている側は混乱してくる作りだ。彼女が残していった荷物をどうするか、日がな一日ただ睨んでるだけの主人公(笑)、それを紅蓮の炎で焼き尽くす主人公、どちらが現実なのかわからない。確かなのは主人公が負った傷は決して癒されることは無く、その痛みは世界を焼き尽くそうとするということだけだ。
主人公たちが本当に世界を破壊したほうが良かった、という意見もある。だが、そうしないことによって醸し出される閉塞感のリアルさにボクは一票を入れる。生井英考氏がこの映画について『自己愛と自傷の衝突』と書いていたが、その背景にあるのは自由競争・自己責任の名の下に生み出された社会的な閉塞感なのだ。
この映画の主人公たちは孤立しており、外の世界とは殆ど関係を持たない。彼らが住む寂れた田舎町にあるのはウイスキーとジャンクフード、テレビだけだ。目に見えない閉塞感に包まれながら、彼らはそこから抜け出す道も語るべきコトバもない。ただ、世界の終わりを夢見ることだけだ。だから火炎放射器作りに精を出す(笑)。
少なくとも この間抜けで気が弱い主人公たちが奥底に抱える自己愛と自傷願望にボクは共感してしまう。際限の無い市場競争に血道をあげたり、くだらない雑事に神経を使うくらいなら、火炎放射器作りみたいなもので人生を費やすほうがマシ、という実感はボクにも確かにある。ある種の人にとっては、市場より火炎放射器のほうが意味があるのだ(笑)。 市場原理主義の経済学者には理解できないだろうけど(笑)。
                                       
                                               
おバカ映画の皮をかぶりながらも、若いときの絶望的な焦燥を繊細に描いた映画『ベルフラワー』には荒削りなエネルギーが溢れている。昨年の傑作『ブルーヴァレンタイン』を一人称で描いた、そんな感触もある。近年まれに見るくらい美しく描かれた親友との友情も相まって、涙する人も居るんではないだろうか。ボクは泣かなかったけど(笑)。