特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

夏は始まらないまま、終わる。:映画『ニーナ ローマの夏休み』

殺人的な暑さだった昨日は宮崎駿半藤一利の対談『腰抜け愛国談義』を読んでいた。
*今日 その宮崎氏が引退するとかいうニュースが流れていたが、ああいう人は作品を作り続けなければ生きていけないから、すぐ戻ってくるんじゃないの?(笑)


漱石の話やら戦前や終戦後の東京のエピソードやら、楽しく?読めたのだが、終盤 宮崎氏が『フクシマ第一原発の事故の時は、あれを支えていた体制が『旧軍』とちっとも変ってなかったことに気づいて、もう、吐き気がしました』と言っているのを読んで、改めて感じるところがあった。
                                         
いくらボクだって、戦前のマヌケな大日本帝国と違い、占領軍がプレゼントしてくれたにしろ、今は民主主義体制になっている、とは思っている。だからこそ、誰も原発事故の責任をとらないまま再稼動することに対して『こんなの民主主義じゃないだろう』とか、沖縄や東京の西半分の空域が米軍管轄にあることに対して『こんなの、独立国家じゃないだろう』と思ったり、怒ったりする。その結果 疲れる(笑)。
だけど実は『戦前と変わっていない』という見方もある、と改めて思ったのだ。そういう認識は夏休みに読んだ『永久敗戦論休みなく、切れ目なく、夏休み(笑):読書『持たざる国への道』と映画『25年目の弦楽四重奏団』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)とも重なるけれど、宮崎氏の発言を読んで腑に落ちた、という感じ。要はそれが当たり前、それくらいに思っていたほうがいいんじゃないか、ということだ。
                                                
結局 これからの日本の進む道は即ち、日本人が自分たちの手で民主主義を獲得できるかどうか、ということだろう。もしくは民主主義を手放してしまうのか。この前の『はだしのゲン』騒動を見ていると、日本人は民主主義を欲しいと思ってないんじゃないかという気もしたし、古市憲寿の『誰も戦争を教えてくれなかった』の中でのももクロちゃんの発言を考えると『ガチ』の強度:『アベノミクスは何をもたらすか』と『誰も戦争を教えてくれなかった』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)若い子の間には思い切り民主主義が根付いているような気もするし、良くわからん(笑)。未来はどちらにも行けるということだろうか。






新宿で映画『ニーナ ローマの夏休み映画『ニーナ ローマの夏休み』公式サイト

ローマ郊外に住む20代半ばの音楽教師二ーナは真夏のヴァカンスにでかける友人の両親宅の留守番と犬の世話を頼まれる。人が居なくなったローマ。書道のレッスン、6人用のケーキを一人でドカ食い、犬の散歩、ジョギング。電話は留守番電話にお任せ。管理人の11歳の少年とわずかに会話を交わす他は殆ど誰とも話すことがない生活。そんなある日、彼女は男性チェロ奏者と出会ったのだが- - -

●誰もいないカフェに犬と通う毎日。奥行きを感じさせる構図

                                             
そんな感じ。お話としてはなんとも起伏に欠ける。東京のお盆もこんな感じだ。そこがいいんだよ(笑)。
劇中『夏は始まらないまま、終わる。』という印象的な台詞がある。この言葉がこの映画全体を的確に表現している。
歩いていても誰ともすれ違わない真夏のローマ。神殿のような建物も白い舗道もがらんとしている。抜けるような夏の青空は美しい。一人と一匹で過ごすローマの郊外はただ、空っぽの光景が広がっている。主人公は9月から中国へ留学しようとしている。音楽教師としての自分も中途半端、留学目的も中途半端、自分の内面にも空っぽの空間が広がっている。そのがらんとした空間に近所のおっさんが流すモーツァルトの『フィガロの結婚』が大音量でずっと響いている。空っぽの光景に空っぽな精神が重なりあう、その不安定さ、不穏さがこの映画の魅力だ。
●ケーキ食べ放題の休暇の日々(笑)

●大理石の部屋でチェロ奏者と出会う


それとは対照的に画面はスタイリッシュで、美しい。舞台はムッソリーニが万博誘致のために神殿のような荘厳な建築物をいくつも作ったローマ郊外のEUR(エウル)というところだそうだが、画面に写る空間は建築物の直線的な広がりとスケール感が強調されている。主人公の夢想のなかで白い折り紙を白い建物に重ねるシーンも美しかった。
主人公の衣装もポール・スミスで統一。ちなみにエリザ・フクサス監督は有名な建築家マッシミリアーノ・フクサスの娘だそうだ(ボクは知らん)。
●白い柱、白い服の少女

                                         
一方 お話のほうはどうでもいいという感じ(笑)。特に主人公のデート相手にチェロ奏者が出てきたのはどうでもよかった。シナリオ上 どうしても起伏が必要だったのかもしれないが、自分の壁に閉じこもって拒んでしまう主人公と同じように(笑)、ボクもそういう話は興味なし。
空っぽで美しい空間をモーツァルトが埋める。それだけで十分(笑)。1時間20分という短めの上映時間もちょうど良い。美しいものに包まれる、その時間は心地よかった。


                                             
人生の夏は来ないまま、それでも夏は終わる。季節が変わったら、どうしようもない自分も何か変わっているだろうか。
焦燥を抱える主人公に『焦ることはない。季節が変わったくらいじゃ、何も変わらないよ(笑)。』とおじさんは言ってあげたくなるけれど、それじゃあ映画にならないから(笑)。
少なくとも今年もまた、夏は終わる。