特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

変わってもいいもの、変わらないもの:『シチリア!シチリア!』

チュニジアの政変から連鎖した、エジプトの反政府デモは凄い話だと思う。
ちょっと前に見たモーガン・スパーロックの『オサマ・ビン・ラディンを探せ』で写っていたエジプトの人々のインタビュー。それはどれも『現状はどうにもならないが、政治家には全く期待しない』というもので、『政治家の質の低さ』と(それでも暴動が起こらない)『人々の民度の高さ』がまるで日本みたいだったのがとても印象的だった。

そういう国で革命が起ころうとしているのだろうか?あの国ではまだ『デモ』というものが社会を変える有効な手段として機能しているのだろうか?勿論 アメリカもイスラエルも黙ってないだろうし、結末はどうなるかはわからない。

グローバルスタンダードなら社会保険庁くらい焼き討ちされても当然なのに、あれだけ国民がコケにされても何にも起こらない、世界でも珍しい間抜けな国、日本だって、もしかしたらきっかけとタイミング次第でそういうことがあるのかも、と思った。

仮に日本で革命が起きたとしても成立するのはどうせ超間抜けな大衆迎合政権に決まってるから、そんなのが権力を握ったらロクなことがないだろう。それでもバカ政権が潰れては成立し、潰れては成立する、多くのヨーロッパの国が通ってきた、そういう繰り返しが100年くらい続けば、日本も今よりはマトモな国になるだろう。だから小泉の別働隊みたいな民主党の低能さ、特に前原のような口だけの人間は救い様がないと思うし、定見のなさでは歴代首相の中でもトップクラスの菅直人(さすが団塊世代)みたいなのはさっさと消えればいいのだ。政府だって国の形だって、変わっていけばいい。


新宿で『シチリアシチリアお金の借り方バイブル | Just another WordPress site
『ニュー・シネマ・パラダイス』、『海の上のピアニスト』のジョゼッペ・トルナトーレ監督の新作。原題はバーリア。ある男の子の目を通して、ムッソリーニの時代から現代までシチリアのバーリアという街の移り変わりを描いた、そんな話だ。

1930年代後半、バーリアの農民の家に生まれた男の子。教育も受けられないほど貧しい家庭に育った彼は戦後、貧しい人々の暮らしを改善しようと共産党に入党し、政治活動を始める。やがて彼は地元の美しい娘と結婚し、家族を作っていく。
その中で常に変わらないのは家族への愛情とシチリアの自然。

この監督得意?の、過去の回想と現在のエピソードが交錯する中で、語らなければならないことがたくさん、たくさん、盛り込まれている。
シチリアのすさまじい貧困(子供時代の主人公はチーズ3個と引き換えに1ヶ月間 山で山羊飼いの仕事に貸し出される)、ファシズム時代の黒シャツ隊の横暴、庶民の戦争への非協力、戦後の王政と共和制の選択、アメリカ軍の進駐、マフィアと地主との結びつき、家族の生と死、人々の人情、左翼運動の隆盛と堕落、開発されていく街、学生運動。そしてシチリアの荒涼とした大地。


劇中 シチリアの人々の
『(ちっとも暮らしが良くならないなら)イタリアなんか要らない』、
『せっかくガリバルディが作った国を壊すつもりなのか』
というアナーキーなやりとりが出てくる。
きっとイタリアの人々にとって国家というものは、そんなに重要なものではないのだ。そんな抽象的なものより、自分が育った地域と家族のほうが遥かに大事なのだ。
カソリックと言うこともあるかもしれないが、彼ら・彼女らは金があろうとあるまいとバカスカ子供を生むのには驚く。主人公は出稼ぎから帰ってくるたびに、それも髪の毛が真っ白になっても子供をまだ子供を作る。ま、お母さん役のマルガレット・マデはモデル出身の目茶苦茶いい女なので主人公の気持ちはわからないでもない(笑)。それを既に大きくなった子供たちが祝福する。妊娠しているお母さんもスパークリングワインを飲んで乾杯する。時代が変わっても彼らは家族への愛情だけは変わらない。


貧困層を救おうと政治家になった主人公も初老を迎えると、今度は学生運動の学生たちから『改良主義者』と罵られるようになる。
その年代の息子に『僕たちは生意気なんだろうか』と尋ねられた際の主人公の返答が心に染みる。
『君たちは生意気なのではない。腕が短すぎるのに世界をその手でつかもうとしているだけだ』
かっての自分のことをも省みているのだろうか。



この映画は傑作だと思う。
声高に何かを主張するような話ではない。だが今はベルルスコーニみたいな恥も外聞もないエロ爺いを首相に選んでいても、かってイタリアの人たちが、『自分の手で』戦争犯罪人ムッソリーニを街灯から逆さ吊りにしたり、『自分の手で』王政を追放して共和制を選んだような、そういう市井の人々の営みの重みが実感として伝わってくる(嘆息)。

2時間半の大作で様々なエピソードが洪水のようにも溢れてくるが、お話は全然破綻をきたしていない。それは監督の力量だけでなく、描こうとしているものへの愛情がひしひしと伝わってくるからだ。
ここには、故郷を自ら捨てた人間の想いがある。故郷への憧憬と憎しみがある。時代の流れで何もかも変わっていくなかで、変わらないもの、変わってはいけないものがある。
ボクはそれに共感する。

ただ〜し、一つだけ不可解な点が。
全部で1分もない、ビルの建設現場で胸をはだけて職人さんとラブシーンを演じる女性役で出演していた天下の美女、モニカ・ベルッチは何のために出演していたんだろう。映画の中でそれを夢中になって覗いている子供たちだけでなく、観客へのサービスだったんだろうか(笑)