少し前になりますが六本木のフレンチへ行ってきました。普段は滅多に行かないところですが、恐らく六本木で1,2を争う古さの、創業40年の店がこの6月に閉店してしまうので、記憶のために食べておこうと思ったのです。
この時期 昼でも夜のコースを出しています。こういう店は客と客との間隔も空いているし、換気もしているし、でかい声で喋るようなバカ客がいるわけがありません。なんでお酒の提供がダメなのか、全く意味が判らない。
にこにこ笑って注文しましたけど、飲み物はお茶やソフトドリンク。料理の味付けだって変わるだろうし、作ってる方だって厳しいですよね。
美味しかったお皿を幾つか。
ロワールの白アスパラに貝とイカを巻き付けたもの。ブラッドオレンジのマヨネーズと緑のソースの華やかなデコレーションはフレンチならでは、です。
手長エビの下にキヌアを置いて寿司を模したもの。正統派の店ですが珍しく、遊んでいます。手長エビって甘くて大好き! プロヴァンスのワインを使ったソースとキヌアもマッチしていました。それでなくとも最近 キヌアがマイブームなんです。お米や小麦よりお腹が楽。
この鯛もクラシックな調理ですが、ハマグリを使ったソースが懐かしい味で美味しかった。
厳しかったのがメインの豊岡牛(神戸牛)のサーロイン。良く知ってる店だったら霜降り肉なんか頼まないし、向こうも出してこないのですが、油断しました。ソースも火入れも良かったんですが、それでもこの肉は脂っこくて食べられない。ソースは全部舐めましたが(笑)、肉は半分以上残しました。霜降り肉を喜ぶ客もいるという事でしょうが、ボクは付け合わせの安納芋の方が美味しかった。
40年も続いているこの店は有名なシェフを輩出していることでも知られています。今もクラシックさを残しながら、今の時代に合わせて工夫した料理を出していることはよく判りました。店の人がちゃんとしているのは勿論、お年寄りと成人した娘(笑)みたいな常連客ばかりの雰囲気もいい。
何度も書いてますが長く続いている店、というのは他に替わりがありません。料理、雰囲気、お店の人、客層、そういうものが折り重なって空気を作っている。大企業がいくらお金を出してもそういうものはおいそれと作れるものではありません。
今 値段の問題じゃなく、ちゃんとした食事を出来る店がどんどんなくなっています。この店の人たちはコロナが落ち着いたら、六本木の裏で小さな店をやる、とは言ってましたけど。
今回のコロナ渦は確かに災厄ですが、それに乗じて、バカな政治家と役人が社会や文化を破壊しているのは人災です。ショックドクトリンとか何らかの意図があるというより、無為無策のその場限りの対策を小出しにしていることで特定の業種や弱い人々にひずみが及んでいる。大事なものがどんどんなくなっていく。失われていく。
これもバカの巻き添えです。やりきれないなあ。
6月からの映画館の再開をテーマにした先週4日の朝日新聞 天声人語にはちょっとぎょっとしました。
www.asahi.com
理不尽な国や都の映画館への営業妨害に対して抗議するでもない、いかにも朝日新聞らしい大衆に迎合するインチキ臭い文章なのはいつもどおり(期待してない)。
それより、最後のパラグラフに『映画館は、知らない人たちと時間を共有する場、言葉も交わさないのに一緒に見る人が居ることにほっとする』とあってビックリしました。
ボクは金輪際、そんなことは考えたこともありません(笑)。ただでさえ映画館は、アホのおしゃべりや眩しいスマホに悩まされたり、短い足を組んで席の背を蹴ったりするマナーの悪い奴もいます。運悪くそういう輩が半径3メートル以内にすると正直、ウンザリする。ましてコロナですから、隣席・前後席に人間がいるだけでゾッとする。
ボクが映画館に求めるものは趣味の良い作品と大きな画面・音響だけ。できれば、たった一人で見られたらベストです(笑)。
色々な考え方はありますが、『一緒に見る人が居ることにほっとする』なんて新鮮な発想で(笑)ビックリしました~。
ということで、オンラインでイタリア映画祭2021、映画『フィオーリ、フィオーリ、フィオーリ!』(原題’’Fiori, fiori, fiori!’’(花々))
『君の名前で僕を呼んで』のルカ・グァダニーノ監督が、新型コロナウイルスの感染拡大によるロックダウンの最中に生まれ故郷のイタリア・シチリア島でスマートフォンやタブレットで撮影した12分ほどの短編ドキュメンタリー。
2020年3月末 生まれ故郷のシチリアに戻り、子供時代の友人たちを訪ね歩いたルカ・グァダニーノ監督がコロナ禍での人々の暮らしとこれからの世界について語った作品です。
シチリア島って美しいところなのでしょう。まして季節は春。野山には様々な種類の花々が一面に広がっています。車窓からiPhnoneで収められた映像は幻想的なくらい美しい。
その一方 人間世界では美しい春とは対照的な世界が広がっています。ロックダウンが拡がっている。久々に再開した友人とはハグすらできない(イタリア人ですから、ショックは我々より大きい)。
古くからの建物をそのまま使った美しい劇場は営業出来ず、がらんとしたまま。劇場の屋上からはがらんとした州都パレルモが拡がっている。
誰にとっても初めての体験です。
シチリアの野山とは対照的な、火山灰に覆われたエトナ山を登りながら、ナレーションが入ります。
コロナは災厄ではありますが、もしかしたら我々の世界を浄化する自然のサイクルかもしれない。今回のロックダウンは鏡の前で自分と向き合うことで、自分が世界と調和できる存在であるかどうかを確認する好機でもあります。
鏡の前に映っているのは自分だけでなく、他人と自分との間に長年かけて敷いた境界線。そこで他者という存在を意識することで、孤独が自分の魂に調和をもたらすことができるかもしれない。
コロナ禍の下で、そしてコロナの後、我々はどうやって生きていくべきなのか。12分の作品はそんなことを問いかけてきます。
映像、音楽、ナレーション、どれも散文詩のように美しい。深刻な問いに心地よささえ感じるのはまさに芸術の力です。ボクは10回は見ました(笑)。アドレスを映画祭に登録さえすれば無料で見られます。ぜひどうぞ。
●イタリア映画祭では同じルカ・グァダニーノ監督が作ったフェラガモのCMも上映されています。これもまた、カッコいい。美しい。
www.youtube.com