特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

その違和感のなかで:その街のこども 劇場版

今年は阪神淡路大震災から15周年だそうです。
その年の1月17日の朝は今年のように、とても寒かった。ちょうどTVをつけたら現地で火事が起きていることを知らせるニュースで画面が真っ赤だったのをよく覚えています。
その日のうちにボクは現地へ向かいました。理由はボランティアでもなんでもない、仕事です(泣)。ボクの勤務先の現地営業所はちょうど被害が大きかった地区にありました。従業員の安否を確認すると共に、ちょうど給与日が近かったこともあって給与だけはスムーズに支払うことの出来る体制を整えなければならなかったからです。

まだ関西地区への移動制限が出る前だったので大阪までの移動は全くスムーズでした。
新大阪でライトバンに乗り込んで現地の人の運転で、警察の非常線を突破するために裏道をくるくると回りながら神戸へ向かいました。全壊した営業所に辿り着いて、重要書類や勤怠データなどをサルベージするためです。大阪に着いたときは普段と何の変わりがありませんでしたが、神戸との境の尼崎まで来ると、一転して街が廃墟のようになっていたのを良く覚えています。
所々に黒い煙が上がっていました。交差点の信号は点滅したまんま。まるで時間が止まっているかのようでした。クルマのガラス越しからも、戦争のような緊迫感が漂ってきたのは忘れることができません。
*数年後の飲み会で、ボクと同じ頃に取材のために徒歩で現地に入った某TVのアナウンサーに話を聞きました。建物に埋もれてしまった人の救出などで、それなりにすさまじいことが起きていたようです。家屋の下に人が埋まっているかもしれないのに助けることが出来ないという体験をしたそうです。クルマのガラス窓から眺めていただけのボクは本当のことは何にもわかっていないのでしょう。


今も時々 現地を訪れます。
真新しい建物で街はキレイになりました。公共というと聞こえがいいが要は市や県の建物、それにデベロッパーが関わった大規模マンションなどの立派さは目立ちます。だが街には、あまり人間が住んでいるような感じがしません。
震災前 住宅街の主流だった古ぼけた戸建ての家々は殆ど見当たりません。住宅街を流れていたドブはどうなっちゃったのか、阪神タイガースの旗が立ってたボロ倉庫はどうなっちゃったのか。関西には縁もゆかりも思い入れもないボクでさえ、どうしても違和感を感じてしまいます

大友良英サウンドトラック Vol.0

大友良英サウンドトラック Vol.0

恵比寿の東京都写真美術館で『その街のこども 劇場版』sonomachi.com - このウェブサイトは販売用です! - 映画 森山未來 佐藤江梨子 津田寛治 渡辺あや 大友良英 阿部芙蓉美 震災 リソースおよび情報
昨年NHKで放映されたというドラマに未公開シーンを足して、劇場版にしたもの。ボクはそのドラマは未見です。

子供時代 阪神大震災に被災した男と女が2010年1月16日に偶然 出会う。被災したあと神戸を離れている、ということの他には何の共通点もない二人が、1月17日、つまり震災15年目の朝を迎えるまでを描いた、そんなお話です。

登場人物は森山未來佐藤江梨子のほぼ二人だけ。終電後の真夜中、二人は三宮から御影へ、また御影から三宮へ、ひたすら歩き続ける、だけのお話です。

まるで家庭用のカメラで撮ったようなラフな画像。画面に映るのは殆どが夜の景色ばかり。粒子が粗いし、ブレも多くて登場人物の表情を追いかけるのも一苦労です。だが その分 臨場感が漂っていて、ドキュメンタリーを見ているような気にさせます。元がTVドラマだから当然、スクリーンのスケール感は映画というよりTV画面を見ているような感じです。だが画面に捉えられた、人工的な白々しい光が煌々と輝く夜の街はとても美しい。


三宮から一緒に歩き出した二人の距離は、最初は驚くくらい離れています。二人の心理的・物理的な距離を象徴しているだけでなく、震災当時と今との時間的な距離をも象徴しているようにも思えます。それは『違和感』と言っても良いでしょう。佐藤江梨子はやたらとスタイルが良すぎて、とても市井の素人には見えないんですが、それすらもこの映画の中にある違和感を象徴しているように見えます。森山未來が一見、普通っぽく見えるのと好対照です。


ボーイ・ミーツ・ガールの筋立てで展開される物語の登場人物は心のどこかに罪悪感を感じています。
 自分だけが生き残ってしまったから。
 それまでの人間関係を失ってしまったから。

理由は様々。
彼らは1月17日の5時46分に三宮の公園で行われる『追悼の集い』に出ようと歩き続けます。自分の汚れた手を洗おうとするかのように、それぞれのやり方で、もういちど惨劇の場に立とうとするのです。

この映画で描かれている長い、長い、夜の彷徨はそのための儀式のように思えます。現在の景色の中で過去を拾い集めていくなかで、環境も価値観も共通点がない二人の物理的な距離も心理的な距離も縮まっていきます。違和感が消えていく。最初はこわばっていた若い二人の表情と感情がほぐれるようにどんどん変わっていくのは見ていてとても感動的でした。


夜明け前 追悼式の会場前で二人は別々の道を歩みだします。見ず知らずの人間が一瞬だけ分かり合えた時間。だが次の瞬間にはあっさりと過ぎ去ってしまい、大切に思えたことは時間と人ごみの中に紛れて消えてしまいます。
だけど、ボクらはその違和感のなかで生きていくしかない。


その街のこども』は神戸の大震災のことだけではなく、もっと普遍的な物語を語ろうとしているようにボクには思えます。
地震で受けた人間の心の傷や清濁含んだ感情にタブーなしに真正面から向き合った渡辺あや『全く逃げない』脚本、まるで観客の意識を画面に引き込むかのように、スカスカでひんやりとした音の隙間を埋めるかのような大友良英のすばらしい音楽(直ぐ、サントラ買いました)、そして等身大の森山未來佐藤江梨子の演技は本当に良かったです。

静けさの中に、心の中に深い深い余韻が残ります。こんなに大胆な作品を作って地上波で流したとは、NHK恐るべし。素晴らしいです。この映画はボクの心の中の宝物です。時間があったら、是非もう一回見に行きたいと思います。