特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

【2010年を振り返って(1)】黄昏の中で、『選ばれた瞬間』

日比谷でジャン・リュック・ゴダールの『映画史特別編 選ばれた瞬間』。
元になった5時間以上の『映画史』を見る根性はないが、そのダイジェスト版なら何とか(笑)。

まず、スクリーンがある部屋に入ると客席のヒトが半分くらい文庫本を読んでいて、顔も上げない。思わずギョッとする。いかにもゴダールの観客って感じ。でも、今は2010年だ。それでいいのかよ(笑)。

この映画に限ったことではないが、やっぱゴダールは、特に最近の作品は眠い(笑)。だけど体が慣れてくると、快感に変わってくる。
画面が単純に格好良いんだよな。様々な過去の作品やドキュメンタリーがモンタージュされ、現代と交錯する。実際の処刑場面まで使われる映像は刺激的だ。ものすごい情報量でついていくのに四苦八苦もするが、特に現代のシーンにアウシュビッツの生存者のインタビューが重ねあわされたときには正直ゾクゾクした。
そういう画面に混じってロバート・アルドリッチの遺作(名作)の女子プロレス映画、『カリフォルニア・ドールズ』の試合シーンがわざわざ白黒に変換されて挿入されたのには驚いた。クリエイティヴだけどオーセンティック。素晴らしいイマジネーションだ。爺さん、やるなあ(笑)。
今回は上映時間も約1時間程度と短くて、それも良かった。やっぱり、こういう映画はあんまり長いと集中力が続かないのよ。


この作品に限らず最近の作品でゴダールは『滅びゆく、ヨーロッパの黄昏』ということを考えているのだと思うが、残念ながらボクにはあんまりピンと来ない面もある。同じフランス人のジャック・アタリもそうだが、彼らが言う全ヨーロッパという視点がボンクラのボクには抽象的で、どうにも想像がつきにくい。

黄昏というのは日本だって、同じだ。
ウィキリークスの暴露によると、2009年にシンガポールの大使はアメリカの外交官に、日本のことを『太った敗者』と評したそうだ。http://sankei.jp.msn.com/world/asia/101213/asi1012132209004-n1.htm
なんでも『日本の地位低下は愚かさと質の悪い指導層、ビジョンの欠如が招いた』とのこと。

まったくその通りやん(笑)。

でも、日本の地位なんか、低下したっていいじゃないか(笑)。
人口が減っていくんだから、移民を受け入れ、社会に活力を取り入れていかない限り(ボクは移民大賛成だが多分 日本人は受け入れないだろう)、これからの日本は落ち目に決まっている。
だけど、ボクは日本の地位なんか低下しても何も困らないね。というか、困るヒトが誰かいるのか?

事実は事実。
それを認めて、そういう前提の下で生きていくしかないじゃないか。
与野党問わずアホ揃いの政治家やマスコミに騙されないようにしながら、個人個人が極力、阿呆の巻き添えを食わないようにやっていくしかないんだよ。
うまくいくかどうかは知らないけど、他に手がないじゃん(笑)。
政治の赤じゅうたんや学問の象牙の塔に籠もって空理空論やスローガンを吼えてみたり、『坂の上の雲』なんか見て根拠のないノスタルジアにおぼれている暇があったら、不愉快でも目の前の事実を直視しているほうがマシだ。そうやって現実に向き合っているうちに見えてきたり、思いつくものはあるんじゃないか。

そういう意味でボクは、今 目の前にある、この、『選ばれた瞬間』に楽観的だ。 時折、腹も立つし落ち込んだりもするし、結局はうまくいかないのかもしれないけれど、それでも冬の黄昏どきの長い光はとても美しいものだ。

ま、できれば肩肘張らずに、布団の中でぬくぬくしていたいんだけど。