特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『#0805PRIDEDAY』(#0805杉田水脈議員の差別発言に抗議する渋谷ハチ公前街宣)と映画『グッバイ、ゴダール!』

いやあ、暑い。うだるような日曜日、渋谷へ行ってきました。
『#0805杉田水脈議員の差別発言に抗議する渋谷ハチ公前街宣』
自民党比例区のクソ議員、杉田水脈は優生思想につながる差別発言に対して謝罪も撤回もしていません。ふざけるなって。いつの間にか今日のアクションはネット上で#0805PRIDEDAYと呼ばれるようになり、渋谷だけでなく全国各地に抗議の声が広がりました。

0805prideday | ACTION
●抗議風景@渋谷。1枚目は呼びかけ人の平野太一氏。









客層は普段のデモや集会で見かけるような人とはまた違っていて(半分くらいは重なっていますが)DJタイムがあったりするのも面白かったです。参加者は500〜1000人くらい?。ステージだけでなく、離れたところで取り巻くようにプラカードをかかげている人も随分いましたからね。ただ選曲がなあ〜。黒人音楽でもない、純然たるディスコ音楽ってボクはダメだ。昔からそうだけど、ボクはノレません。ユーロ・ビートじゃないだけ、良しとしなければいけないんでしょうけど(笑)。
それはともかく(笑)、今日 マイクを持った人は『今は怒らなければいけない』という気持ちを皆が持っていたと思います。異口同音に『もう、黙っているのはやめましょう』と呼びかけていました。黙っていたら同罪だ、と。ナチス障碍者虐殺(T4作戦)がユダヤ人、最終的には組合など反ナチの人々への弾圧に繋がっていった例を引くまでもなく、黙っていたら明日は我が身、です。
杉田水脈のクズ発言なんか、ほんとはバカすぎて怒る価値すらないんですよ。でも、ああいう下劣な発想はゴキブリのように増殖する。相模原で大量殺人を犯した犯人と同じことを国会議員が言っているんです。これは一回つぶしておかないとまずいんじゃないでしょうか。
●This is pride.


杉田水脈議員の発言「差別だ」「まず謝罪を」 抗議デモ:朝日新聞デジタル

杉田議員寄稿:LGBTなど抗議活動 渋谷駅前に数百人 - 毎日新聞



ということで、新宿で映画『グッバイ、ゴダール映画『グッバイ・ゴダール!』公式サイト|第70回カンヌ国際映画祭正式出品

パリで哲学を学ぶアンヌ(ステイシー・マーティン)は映画監督のジャン=リュック・ゴダールルイ・ガレル)の新作『中国女』で主演を務めるうちに、彼と恋に落ちる。時代の最先端をいく有名映画監督の彼との暮らしは刺激的で、プロポーズも受け入れて、アンヌは彼と結婚する。折しも時代は60年代末期。反戦運動学生運動が激化していくなかで、ゴダールも運動にのめりこんでいく- - -
●原作本。当時を綴ったアンヌ・ヴィアゼムスキー回顧録

それからの彼女 Un an après

それからの彼女 Un an après


映画が好きな方ならジャン=リュック・ゴダールという人のことはご存知だと思います。ヌーヴェルヴァーグと呼ばれる60年代の斬新な映画を作り出したツフランスの監督です。60年代に『勝手にしやがれ』や『気狂いピエロ』、『軽蔑』などの傑作を生み、80歳を超えた現代にいたるまで活躍しています。彼の映画は斬新であるだけでなく、難解であることでも知られています。思想的には極左(笑)?の人です。
●お洒落でカッコいい、美と思想が疾走する圧倒的な大傑作。

気狂いピエロ [DVD]

気狂いピエロ [DVD]


理解しているかどうかは別にして、ボクもなんだかんだ言ってゴダールの映画はなるべく見るようにはしています。もちろん大部分がリバイバルで後追いです(笑)。20本くらい見ましたけど、面白かったり、超つまらなかったり、玉石混交かな。大方の人が思うように60年代の商業映画時代が一番面白いし、CD屋で見つけた『軽蔑』アルファヴィルなど当時のサントラは今でもしょっちゅう聞いています。最近の作品でも2010年の『ソシアリズム』の斬新な映像は感心しました。一方 最新作2014年の『さらば、愛の言葉よ』はゴミみたいにつまらなかった。
ちなみにボクが使っているサングラスはゴダール風です(笑)。真っ黒なセルロイドの縁に濃い緑のレンズ。東京のデモの写真で今どき流行らないゴダール風のサングラスをかけているおっさんがいたらボクだと思ってください(笑)。
●その名もソシアリズム(社会主義)。限界ギリギリまでの青色の画面が美しい。


この映画は『アーティスト』でアカデミー監督賞、作品賞を受賞したミシェル・アザナヴィシウスが、

アーティスト [Blu-ray]

アーティスト [Blu-ray]

ゴダールの元妻、アンヌ・ヴィアゼムスキーの手記をもとに60年代末期のゴダールや世相を描いた作品です。ゴダールをテーマにしたコメディとでもいえば良いのでしょうか。昨年のカンヌ映画祭コンペティション部門に選ばれ、賞は逃したものの、大きな話題になった作品です。

ゴダールを演じるルイ・ガレル(左)と恋人のアンヌを演じるステイシー・マーティン(右)。ルイ・ガレルは父の映画監督フィリップが実際のアンヌと仕事をしたことがあるそうです。


当時はベトナム反戦運動学生運動が盛んな時代です。この映画が取り上げている時期はゴダールが政治色を前面に出した、革命を標榜する映画を撮りだした頃です。今までの革新と娯楽のバランスが取れた作品から、夢想的な政治イデオロギーにとらわれた失敗作の連発の時期と言っても良いかもしれない。その皮切りになった67年の『中国女』に起用されたのが哲学科の大学生だった、当時19歳のアンヌ・ヴィアゼムスキーです。

中国女 Blu-ray

中国女 Blu-ray


と言っても、アンヌは左翼でも何でもありません。祖父はノーベル文学賞を取った文学者モーリアック、父親はフランスに亡命したロシア貴族。ドゴール支持の保守的な家庭で育ちました。ホントのブルジョア家庭です。ただアンヌの祖父もそうでしたが、向こうの保守は日本と違ってレジスタンスに加わって実際にナチと闘ったような人も多い。日本のような売国右翼とは違います。
そんな彼女がゴダールと同棲すると、毛沢東語録などの左翼文献を読まされます。彼女にしてみれば、つまんない〜。でも、有名映画監督との暮らしは19歳の彼女には華やかで刺激的だし、ゴダールも美しい彼女を愛しています。ただのラブラブ新婚生活です。何なんだよ!(笑)
●年齢はゴダールがアンヌの倍くらいですが、完全に尻に敷かれます。そりゃ、かなうわけがありません。


実際のアンヌ・ヴィアゼムスキーも美しい人でしたが、彼女を演じるステイシー・マーティンという人はもっときれいです。この人の起用は大正解でした。美しさとパワーがあって、神話としてのアンヌではなく、等身大の一人の女性として描くことが出来ている。ステイシーはミュウミュウのモデルだそうですが、スタイル抜群、超美しい。60年代のポップな色彩の服を着ていても、服を脱いでも実に美しい。とにかく彼女が出てくると画面が華やかです。その脇でゴダールが小難しいが無意味な左翼イデオロギーを並べ立てる。この対比が面白い!演出もゴダール風のメタ演出(画面の役者が観客に話しかける)を入れたり、飽きさせません。
●騒然とする学生集会の中で一人、ぶぜんとするアンヌ


当時のパリではベトナム反戦運動や自由を求める学生運動が盛り上がっていました。既成の権威や制度に対する疑問が湧きあがっていたんですね。ゴダールもデモや集会に積極的に参加します。学生集会ではゴダール自体も既成の権威として糾弾されますが、それでも彼は学生の味方をする。アンヌは不満ですが、ゴダールは自分の過去の傑作も否定し、映画の作品や監督が個人で撮る撮影方法自体をも変革しようとする。商業映画もやめてしまう。パレスチナ人を擁護し現代のユダヤ人をナチスと非難する(今からしてみれば当然ですが、当時のフランスでは先鋭的な意見でしょう)。ゴダールは本気で革命をやろうと思っていた。彼はスピーチの中でゲバラの言葉を度々引用します。
それぞれの心の中に第2、第3のベトナムを作れ』。
●当時のゴダールは天才の名を欲しいままにする、ロックスター並みの注目度でした。二人が歩けば芸能記者がついてくる。若いアンヌは嫌ではありませんでした。


当時の風俗の描かれ方は面白かったです。さすがフランスで服装はお洒落、貧乏くさい日本の全共闘とは違います。カルチェラタンで学生たちが歩道の石をはがして警官に投石したという話は聞いてましたけど、映像を見て始めて、ああやって石を投げてたんだ〜と思いました。
●デモにカップルで出かける文化っていいですね。


ますます思想が先鋭化するゴダールトリュフォーなどと共にカンヌ映画祭に殴り込みをかけ、中止させます。ベトナムパレスチナで人々が苦しんでいる時に映画祭なんかやっていいのか、というのです。この年のカンヌ映画祭は中止に追い込まれますが、ゴダールも次第に周囲から孤立していきます。
●警官隊に追われるカップル(笑)


が、プライベートのゴダールはアンヌにぞっこんでした。アンヌの前のゴダールの恋人はヌーヴェルヴァーグのミューズとして名高い女優、アンナ・カリーナという人でしたが、アンヌとは名前も同じ、ルックスも大変よく似ているのが面白い。余程引き摺っているのかと思えるくらいです。
●実際の『中国女』出演時のアンヌ・ヴィアゼムスキー

●その前のゴダールのミューズ、アンナ・カリーナ


アンヌは最初は彼の束縛も気になりませんでしたが、彼女が精神的に成長するにつれ、だんだんうっとおしくなります。革命を唱え、自由を追求するゴダールが、プライベートでは違うんです。気弱で、うじうじしているくせに他人を束縛する男良くありがちなパターンです(笑)。
ゴダールの思想は徐々に先鋭化し、アンヌとの間にも亀裂が走ります。個人が監督するのではなく、集団で映画を撮ろうとします。これがホントの民主主義だって言うんです(笑)

 

彼女に別れを告げられたゴダールは自殺未遂を起こし、それを彼女の人格への暴力と感じたアンヌはきっぱりと彼と別離します。当然です(笑)。良くも悪くもゴダールなんて実際はそういう奴だって判っているので、意外性はありません(笑)。
ちなみにゴダールは『気狂いピエロ』など、アンナ・カリーナと別れてからの作品の方が彼女を美しく撮っています。悪く言えば彼女への未練、良く言えば、惜別の気持ちが入っているからではないでしょうか。アンヌ・ヴィゼムスキーも関係が破たんしてから撮影した『東風』の方が美しく撮れていると思います。ゴダールは彼氏としてはセコいけど、芸術家としてはそれでいいのかもしれません。
●この映画はゴダールの作品の色使いを再現しています。ゴダールたちがゴダールの映画の中に居るみたい!


ボクは日本の60年代末の全共闘とか『バカじゃないの』という感想しか持ちません。言ってることには立派な指摘もあったし、彼らの自己否定の論理は強力でした。だけど、大筋としては偽善と無知でしかなかった。ごく一部の立派な人を除いて、彼らが企業社会にあっさり転向したのは当たり前だと思う。最初からバカだったんだもん(笑)。連中の中には今はネトウヨになっている奴もいる、というのもよくわかります。
(意識の上で敗戦を否定し終戦とごまかすことで)戦前の日本はまだ続いている』という白井聡の永久敗戦論じゃありませんが、ごく一部を除いて全共闘も『なかったことになっている』。だから連中はあっさり転向したり、ネトウヨになったりできるんですよ。


この映画は違います。ユーモラスな描写と明るい色彩、当時の時代や雰囲気を真正面からクールに見据えている。笑い飛ばしている。そしてステイシー・マーティンの圧倒的な美貌がノスタルジーを破壊します。
かっては60年代の敗北は感傷的で湿っぽかったり苦々しい描写しかできなかったかもしれません。でも、今だったら違う。憧憬と反省、それに甘酸っぱさが入り混じった60年代のユーモラスでお洒落な寓話です。屁理屈をこねながらも、いつもユーモアを忘れなかった60年代のゴダールの作品にもテイストが似ています。当時のラディカルさが形を変えて生きている。この作品 ボクはとっても面白かったです。