特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

自分で自分にテロを仕掛けてどうするんだよ:瞳の奥の秘密

尖閣の中国漁船のビデオがYoutubeに流れたことにはびっくりした。
確かにこういうのをテロリストっていうんだろう。中国漁船じゃない、流出させた役人のほうだ。公開の是非もビデオの真偽もとりあえず、どうでもいい。これじゃあ、日本は機密保持も、まともに出来ない救い難い国だってことを世界にアピールしているようなものじゃん。政府の役人が自国民にテロをしかけてどうするんだよ。
流出元らしい海上保安庁に激励の電話?が何十件もあったそうだがアホじゃないだろうか。こういうときは必ず便乗して自分をアピールすることを忘れない石原慎太郎も『大変結構』とか抜かしたらしい。古今東西の歴史を見ても、そういう愛国とか正義とか大声で訴えている奴が実は私利私欲で戦争を始めるのだし、勇ましいことを唱えている奴に限って自分は最初に逃げ出すものだ。現に漁船の船長の逮捕を主張した前原、そして責任者の菅は「釈放は地検の判断」と自らの責任を放棄したではないか。まして石原なんぞは責任がない立場で人気取りの放言を繰り返しているだけだ。

政治家やマスコミの声を聴いていると、日本にとって何が大事なのか、考えもせず、ただ一時的な感情に任せて右往左往しているだけ、のように見える。
領土がどうのとか強硬なことをいってる奴こそ、ユニクロで買った中国製の衣服を着て、スーパーやコンビニで買った中国産の食物を食べながら、今頃 何を言っているんだよ(笑)。「日華事変の当初から明確な意図など、どこにも存在していなかった。ただ常に相手に触発されて、ヒステリカルに反応するという「出たとこ勝負」を繰り返しているに過ぎなかった。意図がないから、それを達成するための方法論なぞ、はじめからあるはずもない。」

この文章は(かって右寄りの論客と言われていた)山本七平が太平洋戦争前の日本について述べたものだ(「日本は何故敗れるのか」)。今とまるっきり同じやん(笑)。


さて本題。日比谷で『瞳の奥の秘密』。
今年のアカデミー外国語作品賞を取ったアルゼンチン映画だ。
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25年前の殺人事件を追う裁判所の男性職員と女性検事のお話。
と言っても話はラブロマンスとサスペンスが重層的に組み合わさっており、それが主人公である、定年を迎えた男性職員の回想という形で描かれる。なかなか一筋縄ではいかない映画だ。
25年前 美しい若妻が暴行されて無残に殺される。男性職員が捜査を担当するが事件は迷宮入りし、上層部は捜査中止の命令を下す。だが一人で犯人を捜し続ける被害者の夫の姿に心を打たれた主人公は、上司の女性検事と協力して犯人を追い、とうとう逮捕する。だが犯人は政府の意向によって釈放され、それに抗議した主人公はかえって命を狙われる。主人公は次第に心を通わせるようになった女性検事とも別れ、逃亡せざるを得なくなってしまう。
月日は流れ、再び女性検事の前に現れた主人公は事件の謎解きを始める。
複雑だがとても面白いプロットだ。

『汚れた戦争』と呼ばれている、約3万人の国民が犠牲になった、70年代にアルゼンチンの軍事政権が行っていた白色テロの恐怖は本当にリアルに伝わってくる。犯人釈放に抗議しにいった主人公と女性検事が、帰途エレベーターで殺し屋に脅されるシーンはめちゃめちゃ怖しい。この映画の最後の謎=拉致した犯人を無言のまま一生監禁し続ける被害者の夫の姿は衝撃的だったが、このエレベーターのシーンと比べると生易しいくらいだ。政府が自国民にテロを仕掛けていたんだから社会に与えた傷は本当に大きかったのだと思う。
あ、自国民へのテロって、どこかの国と同じじゃん(笑)。

この映画がエンターテイメントとして立派に成立しているのは主人公、女性検事を演じる俳優さんの演技が見ごたえがあって画面から目が離せないからだ。劇中 二人の個人的な感情を表現する台詞は殆どないが、二人の表情はとても雄弁で、その内面が痛いほど伝わってくる。特に女性検事を演じるソレダ・ビジャメルの表情はとても美しい。容疑者を取り調べる際にわざと悪口雑言を並べ立てて自供させるシーンの凛々しさ、裁判所の廊下でブラウスのボタンがはじけ飛んで胸を押さえるシーン、肌は一切露出していないのに、すばらしく艶っぽい。そしてラストシーン、主人公に『簡単じゃないわよ』と微笑み返す彼女の表情はなんと晴れやかなことか。
背景も描写も重苦しい話を、爽やかな後味に変える力強い締めくくりだ。
ハリウッドでリメイクされることが決まったそうだが、なかなかこれを超えるのは難しいだろうな。