特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

コミック雑誌なんかいらない。CSRなんかいらない。

CSRという言葉はある意味 最近の流行語だと思います。日経新聞を見ていると、「CSR」と「環境」は毎日何かしら記事になっています。キャンペーン状態です。
日々の仕事でも触れる機会が多いです。広告代理店の提案から寄付の申し込みまで、最近は二言目には『CSRの観点で』とか言ってくる。
しかし、そこまで言われると、どうも胡散臭い(笑)。世の中、そんなに社会的責任を果たしていない無責任企業ばかりなんでしょうか?


過去を振り返ると、こういう訳のわからないキーワードにほぼ例外なく当てはまることがあります。それは「ペテンである」ということ(笑)。例えば政治では、ちょっと前の小泉「構造改革」、その前の小選挙区制導入の「政治改革」、当時はブームと言ってもよいほどでしたが、今 考えれば、あれはなんだったんでしょう(笑)。何のメリットがあったんだという話でしかないです。もっと酷い例では「美しい国」、「Noと言える日本」って言うのもありました(笑)。
ビジネスでもそう。企業メセナにCI(コーポレート・アイデンティティ)、どれも一斉を風靡した言葉ですが、今はみ〜んな、どこへ行ってしまったの?。騙された企業がコンサルタントや広告代理店に大枚のお賽銭を払ったご利益はどうだったんでしょ〜ね(笑)。


話が脱線してしまいました。
CSRを日本語に訳すと「企業の社会的責任」とか「企業倫理」「企業の社会貢献」みたいな言葉です。企業の社会的責任って何だ? 元来 企業は社会に何らかの形で役に立つ事業に勤しむことによって利益を出すのが目的です。NPOでもボランティアでも同好会でもない。だから企業の社会的責任とは、真っ当な本業に専念することじゃないでしょうか。それ以外にいったい何があるのか、教えてもらいたいもんです。どうして突然 木を植えはじめたり、変な文化活動やったりしなきゃなんないの挙句の果てには何億円もかけて訳わかんないイメージ広告まで始めちゃったりする。その企業の本業が真っ当でなければ別(笑)。暴力団地震のときに炊き出しをやって地域住民に感謝される、それならわかる。立派です。しかし武器を作ってたり、食い物や原発事故でデータを改竄してる企業ならともかく(笑)、まともな企業が、改めてCSRがどう、なんて議論を始めるのは奇妙なことじゃないでしょうか。


そういえば今は亡きエンロンは『多額の寄付を慈善団体に行う社会貢献に熱心な会社』として有名だったそうですhttp://www.mizuho-ri.co.jp/research/economics/pdf/research/r050401taidan.pdf(出典)。
そういう企業は実は、わざとカリフォルニア州を電力不足にして料金をつり上げるは、会計事務所とグルになって決算は粉飾するは、挙句の果てには経営陣は倒産間際にインサイダーで株を売り逃げするは、で、ギャング並みのやりたい放題(笑)。ついでに同社はブッシュの大口献金者。
要するに偉そうな口を叩いているような奴にロクな奴はいない。普通の生活をしていれば子供にだってわかります。例えば『品格』とか言っているような人間の品格が一番怪しいってこと(笑)。


また脱線してしまった(笑)。数年前 『ザ・コーポレーション』というドキュメンタリー映画がありました。

ザ・コーポレーション [DVD]

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邦訳本も出ている。
ザ・コーポレーション

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その中でミルトン・フリードマンピーター・ドラッカーノーム・チョムスキーと極右、リベラル、極左と立場が極端に異なる(笑)大物学者が企業の社会的責任について、同じような見解を述べています。
フリードマン:企業幹部にとって社会的責任とは株主のためにできるだけ多額の金を儲けることである。社会や環境上の目標を利益に優先する経営者は『非道徳的』だ
ドラッカー:企業の社会的責任論はビジネスの原則に対する危険な歪曲である。社会的責任を唱えるような経営者はすぐさま 解雇すべき。
チョムスキー:企業はコミュニティや労働者のことではなく株主のことだけを考えるべきだ
*『ザ・コーポレーション』、早川書房、2004年、P47〜49


フリードマンはこうも言っています。『CSRが意義があるのは唯一 企業の利益に直結する場合だけだ』。CSRなんか企業のイメージ戦略、それ以外のものではない、ということです。良くも悪くも企業は単に、利益を追求する存在に過ぎないのだから。もちろん利益のためには何をやってもいいというわけではありません。同じインタビューでドラッカーは、強制収容所の死体数を計算するため、という用途を知っていながら、ナチスに計算機を売り込んで荒稼ぎしたIBMを名指しで非難しています。勿論 企業が間接的にでも人殺しを助長していいかどうかはCSRなんかとは別次元、それは法律の問題です。


現代を代表する3大学者にご進講頂くまでもなく、結論はシンプルです。
今のCSRブームは、利益を追求する存在に過ぎない企業の本質を社会的責任という美名で「偽装」している、だけです。エンロンだけでなく、日本でも環境保護活動に熱心な企業が工場の廃液を意識的に長年垂れ流していたり、各種事故のデータを改ざんしている例はいくらでもある。ブームとしてのCSRは企業の悪事を「偽装」します。


また真っ当な企業=本業に専念しようとしている企業にとっては、余計な金銭的・人的・時間的な負担を生じたり、火事場泥棒みたいなCSR「業者」(NPOやマスコミ、学者、コンサルタント)にたかられたり、何よりも本業に費やすべき資源をドブに捨てさせられたりします。企業だけでなく、企業の製品やサービスを消費する個人にとってもよいことではないでしょう。CSRが企業に「寄生」することで、直接的にしろ間接的にしろ、企業の本業で生み出される製品の機能・品質やサービスの質が低下するのだから。
つまり、CSRを声高に唱えてるような連中は何の役にも立ってないばかりか、害悪を世界に垂れ流しているんです。どうせ数年経てば そういう連中は泡沫の様に消えていくのだろうでしょうけど。
憤懣をぶちまけていたら(笑)、映画「コミック雑誌なんかいらない」を思い出しました。あの頃の内田裕也は潔くて格好良かったなあ。
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