特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

それでも、戦うんだよ:映画『チョコレート・ドーナッツ』

政府の経済財政諮問会議の下に設置された『選択する未来』委員会、5月になってから度々中間報告の案が新聞の1面にリークされました。また人口減の問題や地方の消滅の問題も度々TVや新聞で取り上げられています。
●日経5月6日、読売5月4日の中間報告案リーク
人口、50年後に1億人維持 政府が少子化対応で初目標 :日本経済新聞
http://www.yomiuri.co.jp/politics/20140506-OYT1T50040.html

実際に13日に出された中間報告案では,50年後も人口の1億人維持を国家目標にするそうです。http://mainichi.jp/select/news/20140513k0000e010205000c.html
前にも書いたがこの委員会は、『人口減で日本の将来はお先真っ暗』という日本にとって都合の悪い、でもほぼ確実な見通しにはっきり言及したものだったので、非常に興味を持っていました。都合の悪いことには目をつぶるのは、太平洋戦争でも原発でも日本の政府のお家芸だから、そこから脱却できるかどうか興味があったんです。あ、日本の運命なんかボクはあんまり興味ないです(笑)。大筋としては、どうせダメだと思いますので(笑)。
中間報告では『50年後に人口1億人を維持』するために、出生率を現行の1.41から60年には2.07以上に上げて人口維持を目指すそうです。そのために2020年ごろまでに大胆な改革を行うという。『資源配分を高齢者から子供へ移す。具体的には出産子育て支援の倍増』、『経済を世界に開き成長を続ける』、『年齢・性別に関わらず意欲ある人が働く制度を構築』、『地域の集約・活性化を進め、働く場所を作る』、『基盤的な制度、文化、公共心などを大切にする』などが方向性だそうです。一方 読売のほうは『70まで働け』と書いてあります(笑)。要するに年金の支給年齢を遅らせるためらしい。
                                                                                                    
ボクの感想は、(やらないよりはマシだけど)『これじゃ全然無理(笑)。このまま経済大国日本は沈没(笑)』。役人の原案にあった毎年20万人移民を受け入れるというのは自民党の抵抗でボツになったようですし、まず出生率を1.4から2以上にどうやって上げるのか具体的な話がない(これだけでも大変な話です)。結局 日本は男と女の行き方、働き方が変わらなければどうにもならないでしょ。ところが対照的に『基盤的な制度、文化、公共心』なんてものが出てくるのも、どうにも妖しい(笑)。
                                                                                                                                 
フランスなど海外の成功例を見ても、出生率を増やすには女性の社会進出を進める働きやすい環境・待遇を作る教育費を含めて国が子育てを手厚くサポートすることが必要なのははっきりしてます。だが、そんなことが日本の頭が固い(悪い)連中に出来るでしょうか。
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たとえば婚外子の問題。今や日本より出生率が高い国、スウェーデンはもちろん、フランスもイギリスもアメリカも婚外子の比率が全体の半分から半分弱にまでなっています(上図参照)。世の中は既にそういうものなんですよ(笑)。日本もフランスのように『婚外子でもいいからバンバン子供を産んでくれれば社会が子供を平等にサポートする』と言う風にできるでしょうか?血縁に拘らない養子受け入れ制度を整備していくことができるでしょうか?ボクは大賛成ですが、大多数の日本人、特に自民党のヒヒジジイや右翼チアガールみたいな連中にとってはとんでもない話でしょう。ほんとだったら同性愛のカップルの結婚を認めて養子も認める、そこまでやらなければ出生率2なんておぼつかないでしょう。彼らだって税金を我々と同じように平等に払っているのですから。ましてこれから世の中の格差が広がってきたら、子供を産もうという人は今よりもっと限られてくるに決まってます。


                                                
婚姻や家族制度を見直したり、男女の社会的性役割や差別を解消する方向へ向かわない限り、そして男が家事をやらない限り、日本の人口減は止められません。それなのに相変わらず、こんな大本営発表をやってるようじゃ日本の将来はお先真っ暗。国際社会の日本の地位(笑)なんか言ってる場合じゃないだろって(笑)。
                                                    
将来の日本は今の半分くらいの人数で、こじんまり平和にやっていくことを目指すべきじゃないでしょうか。奇しくも田中康夫も同じことを言っています。
田中康夫・新党日本 ポータルサイト » 田中康夫の新ニッポン論 ⑬「合計特殊出生率」
田中康夫・新党日本 ポータルサイト » 14/6月号 憂国呆談 season2 volume47◆ソトコト(雑誌ソトコトのPDFはリンク先でもう一回クリック)
              
かって鶴見俊輔先生は『これからの日本はいかに四流国として創造力を発揮するか考えるべきだ』と仰っていました。ボクはそのコトバにすごく励まされたんですが、創造力以前に(笑)日本人はいい加減 現実を直視することを覚えるべきだと思います。



銀座で映画『チョコレート・ドーナッツ

                  
舞台は1979年。ゲイバーでショーダンサーをやっている主人公(アラン・カミング)は地方検事局の検事ポールと知り合い、恋に落ちる。ある日 彼のアパートの隣の部屋に住む女が麻薬の不法所持で逮捕される。知的障害がある14歳の少年マルコが部屋に取り残されているのを見て、主人公は彼と一緒に暮らすことを決意する。子どもを良い環境で養育するためにポールのアパートに移った彼らは徐々に馴染んで、まるでひとつの家族のように暮らし始める。ところがゲイカップルが子どもを育てているのを知った当局は彼らからマルコを取り上げようとする。
                                               
最初はスルー予定だったが映画館で予告編を見て、それだけで号泣してしまった(笑)この映画、東京では銀座でしかやってないということで(上映3週間後 大好評で新宿も追加になった)、映画館の前は長蛇の列が並んでいます。良い映画がヒットするのは良いことだけど、人が多いと上映中に携帯見たりするアホも居て環境が悪くなるんですよね。
まあ、いいや(笑)。
●主人公ルディ(右)は当局に児童養護施設へ連れて行かれそうになった知的障害のある少年マルコ(左)を自分で育てようと決意する。

                                     
お話は実話。脚本家が70年代に住んでいたアパートで起きたことをもとにしたそうです。上映時間が約1時間半と短めで少しテンポが速い。もうちょっと人物描写をじっくりやってくれていたら、特に知的障害を抱えた子供(演じている子も実際ダウン症だという)にもうちょっとスポットライトをあててくれたら、この映画は満点だったと思います。だが欠点はそれだけ(笑)。
                                                
当時は同性愛が異常とされていた時代。初めてゲイであることをカミングアウトして公職者になったハーヴェイ・ミルクが殺されたのはこの映画の設定の前年の1978年。偏見・差別はまったく変わっていません。女装して口パクショーをしている主人公(アラン・カミング)はともかく、弁護士であるポールはゲイであることを隠して生きています。この作品でも映画『ミルク』を見たときも思ったんだけど、もし自分がゲイだったら周囲にカミングアウトできるだろうか?。たぶんボクには出来ないと思います。今だってそうなのに、まして当時の話です。

●主人公ルディ(右)とポール(左)のカップ

                                     
この映画が素晴らしいのは、知的障害の子供やゲイへの差別の問題だけでもなく、3人の成長に焦点を当てたところです。
享楽的な暮らしをしていた主人公もポールと知り合ったことで、夢だった本物の歌手の道を歩み始めます。法廷では髪の毛を束ね、着慣れないスーツを着て、丁寧な言葉で関係者に訴えるようになります。ポールはかっては理想に燃えて弁護士資格を取った人間ですが、いつしかそんなことより、自分はゲイであることを隠し出世だけを目指すようになっていました。その彼が主人公とマルコとめぐり合ったことで、今度は『彼らのために』戦うようになる。
マルコという障害児と知り合ったことで、二人の大人が変わっていくんです!
●母親のようにマルコを抱きしめるルディ

                                         
麻薬中毒の母親に放置されていたマルコは、初めて自分を受け入れてくれる大人たちの存在を知ります。世の中には自分が帰っても良い『家』というものがあるということを彼は始めて知るんです。それを知ったときの彼の温かな笑顔は忘れがたいです。ちなみにこの映画の日本語タイトル『チョコレート・ドーナッツ』は母にほったらかしにされて育ったマルコの夕食がチョコレート・ドーナッツだったことから来ています。
●本当の家族になった3人

                                                           
彼らは周囲、特に当局の偏見と粘り強く戦い続けます。第1審ではゲイカップルの家庭は子供にとって望ましくないという判決が出されたが、それでも彼らはくじけずに、黒人差別と戦ってきた歴戦の黒人弁護士を引き入れて第2審に挑む。だが刑務所にいる、マルコの実の母親が思わぬ行動に出ます。
                                                                                     
この映画の最後10分間は忘れることができません。『法の正義はないのか』とため息を漏らすポールに黒人弁護士は、『君が弁護士になったときから、そんなことくらい判っているだろう。』とたしなめます。そして、ことも無げに、付け加えるんです。
それでも、戦うんだよ
                                                     
それと重なるように、歌手の道を歩みだした主人公がステージでディランの『アイ・シャル・ビー・リリースド』を歌うシーンが流れます。主人公は、自分は今、この曲を歌わなければいけないことを理解しています。ここで歌われるべき曲はこの歌だ、ということも完全に理解しています。主人公を演じるアラン・カミングは『ベット・ミドラーのステージを参考にした』とインタビューで答えていましたが、文字通り完全・完璧な歌唱です。見事にコントロールされているが、画面を突き抜けてくるような感情がぶつかってくる。

そのあとエピローグで、ポールが関係者一同宛てに書いた手紙が朗読されます。画面には寂しい夜の街に一人消えていくマルコの姿。個人的には、彼の姿はボク自身の姿でもあると思いました。


最後にスクリーンに映画の原題がもう一度現れます。『Any Day Now』(いつか)。もちろん『I Shall Be Released』の歌詞から取られたもの。今、この瞬間にもいわれのない差別が存在しているからこそ、こういうエンディングを監督は選んだはずです。それでも、戦うんだよ、と。
個人的には事前の期待度が高すぎたけど、『チョコレート・ドーナッツ』が今年屈指の傑作であることは間違いないです。道徳を教科にするくらいなら、この映画を日本人全員に見せるべきです! 見終わるとLGBTだろうが、国籍だろうが、性別だろうが、いわれのない差別をしているようなクズは絶対に許せなくなる、そういう気持ちに駆られることも確かです(笑)。