特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

万年床で先人に学ぶ(笑):『パンとペン』社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い

選挙のほうは投票したいなあと思う人たちは小党ばかりで、死に票にならないように投票するのはなかなか難しい(要は『政治改革』の旗を振って、マスコミと一部政治家が導入した小選挙区制が悪い
亀井先生の『脱原発』党にしろ、小沢のところにしろ、政策面の違いはあんまりわからないんだよねえ。自公、それを補完する維新、民主、などの連中に対抗するには、反原発、反TPPの政党が一時的でもいいから人民戦線方式、オリーブの木方式で組むことが必要だと思うんだけど何か難しい問題があるのだろうか。
                          
それにしても安倍晋三のはしゃぎぶりには辟易する。こいつの知能指数の低さは前からわかっているが、政治の責任を棚上げして金融緩和にすべての原因を押し付ける思考停止ぶり、単細胞振りにはあきれ返る。
金融緩和をすること自体はいい。だが金融緩和を今年の2月にやって円安株高になったが、すぐ効果切れになったのをもう忘れたんだろうか(笑)。さらに安倍ちゃんの単細胞の頭脳では物価上昇率が2%でも3%でもなったら金利も上がって、財政が破綻しかねないこともわからないらしい。建設国債を日銀が引き受けたって政府の借金が増えることにはかわりねーじゃん(笑)。自民党が言っているように200兆も建設国債をぶちこむということは今後も日本を土建屋国家のままにするということだ。
今の景気の問題の本質は需要を増やすことで、それには国民の多数派(99%)への分配をふやして消費を増やすこと、福祉や自然エネルギー、省エネなどの分野へ投資して産業構造を変えていくことが必要だ。外圧大好きな日本のマスコミだが、オランドもオバマも主張している富裕層への所得増税の声が日本では何故、余り聞かれないのだろうか。以前 元官房長官政策秘書氏と酒飲んだとき、たいていの識者は景気を何とかするためには再分配を強化して消費を増やさねばならないことはわかっている、と奥歯にものが挟まった様子で言ってたけど、マスコミや学者には表立って言えない理由があるんだろうか?(笑)。



恥ずかしながら、初めて『入院』というものをしてきました。
小さなポリープがあるというので2泊3日で切ってきたのです。普段は軟弱そのものの生活をしているので、入院生活は中々勉強になる体験でした。分刻みのスケジュールをこなすお医者さんや看護師さんの素晴らしいプロ意識には感嘆させられましたが、もっとも驚いたのは最近の病院食です。暖かいものは暖かいし、限られたコストで減塩、減脂をしながら、ちゃんと味がする料理でした。下茹でをきちんとするとか、出汁をしみこませる方法とか味付けのタイミングなどの工夫があるのだと思いますが、主夫として大変反省させられるものがありました。塩や醤油をガバガバいれなくても、ちゃんと味がつくんだなあと(笑)。台所に立つ諸姉・諸兄の方々にして見れば当たり前でしょうが、まだまだ自分は主夫修行が足りないと思った2泊3日でした。
今回の入院で食事を含めて、こんな高度な医療が受けられるのはありがたい、とつくづく思ったんだけど、これも日本の保険制度のおかげだ。アメリカが日本にTPPを導入させようとする一番の狙いは市場規模から言っても保険だろう。前も書いたが全米商工会議所の駐日代表トップはアフラックだ(笑)。日本の農協だってTPPに反対しているのは、農業じゃなく金融を守りたいからだろう(笑)。
日本の保険制度も開業医の保険点数が優遇されて病院への配分が少ない、などの問題点はあるみたいだが、それでも皆保険制度の根本は絶対に守らなければいけないと思うんだよな。これが崩壊したらボクは日本を離れます、マジで。

                                         
さて、病院でずっと耳栓しながら読んでいた本が、この『パンとペン』。日本の社会主義者の草分け、堺利彦の生涯を、彼が作った日本最初の編集プロダクション『売文社』を中心に描いたノンフィクション。ちょっと前に買ったまま積んでおいた本をやっと読むことが出来た。

パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い

パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い

堺利彦のことも売文社のことも殆ど知らなかったが大変面白かった。
まだ日本に普通選挙もなかった時代。小説家志望だった新聞記者、堺利彦日露戦争に反対する声を挙げたことから、社会主義者の道へ進んでいく。彼は社会主義者と言っても肩肘ばった人間ではなく、ユーモアに溢れ、喧嘩に走りがちな周りの仲間たちの仲裁やまとめ役を務めた人間だったそうだ。ついでに男女同権を謳ったフェミニストの走りでもあったそうだ。
もちろん彼らは国から弾圧を受ける。行動を共にしていた日本の初期の社会主義者幸徳秋水らは国に殺されてしまう。その大逆事件堺利彦が難を逃れたのが偶然だが、関東大震災のドサクサで大杉栄憲兵に殺された際、堺利彦吉野作造(この人は社会主義者ではない)もターゲットに入っていたそうだ。
幸徳の死後 堺利彦は無実の罪で死んだ仲間たちを弔い、遺族の世話をする。さらに『山に籠もって時勢を待つ』として売文社と言うプロダクションをつくり、学生の卒業論文から代議士の演説草稿、借金の取り立て状までを代筆や外国語文献の翻訳をして、生活能力のない社会主義者たちの生活の糧にする。堺が作った文集に夏目漱石が趣旨に賛同して『私の個人主義』(名論文ですね)を寄せたり、尾崎紅葉などとの交流など意外な話もある。ちなみに劇作家バーナード・ショーの作品を日本で始めて翻訳したのは堺利彦だそうだ。
                                                     
会社経営を始めた彼は『商売に走った』として一部の同志から非難を受ける。だが彼は『パンとペンの交差は私たちの生活の象徴だ』として事業を続ける。きれいごとを言ってもパンがなければ人間は生きられない。一方 多くの仲間たちが政府の圧力で転向する中、堺は自分の思想を捨てず、晩年には東京市議会議員にトップ当選する。
満州事変が始まった翌年に亡くなった彼の遺言は『友人たちの帝国主義戦争反対の叫びの中で死ぬことを光栄とする』。歴史を振り返ると戦争と言うものは少なくとも開始直後は大多数の国民が賛成する。彼の生涯は日露戦争から満州事変まで終始一貫して戦争に反対し続けたことになる。この知性と意志の強さは並大抵のものではない。

                                                 
時勢に断固として抗しながら、いつもユーモアに溢れた堺の生き方はすごく勉強になった。心に秘めた想いを守りながら、現実に押し流されずに生き抜いていく生き方は現代にも通じるだろう。しなやかな柳のような、というとありきたりだが、市井にこういう人が何人も居たからこそ、今の平和な暮らしがあると思う。それをぶっ壊そうとする政治家やそれをはやし立てたり、黙認する奴らがいるのが信じられないよ。そういう連中は原発事故にしろ、戦争にしろ、自分たちだけは助かると思っているのだろうか。小泉『改革』で最も打撃を受けたのは小泉に投票した連中なんだが(笑)。