特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

読書『不死身の特攻兵』と映画『否定と肯定』

毎度のことですがクリスマスなんか全然関係ないですね(笑)。太るから最近はケーキですら避けているくらいで、我ながらクリスマスなんかどこ吹く風、という感じです。それでも、今年も押し迫ってきました。年末のお休みはうれしいけれど、せわしいし、お金もかかるし、あんまり良いものじゃありませんね。

●週末、映画の幕間はまたまた有楽町の慶楽で炒飯ランチ。美味しかったー。




24日 日曜の日経に『中国が北朝鮮有事に備えて、難民キャンプを建設中』という記事が出ました。以前 英ガーディアン紙の記事をご紹介しましたが『今週のニュース3つ』と日本の成れの果て:映画『ビジランテ』 - 特別な1日、今回はより詳しい内容です。


中国、北朝鮮国境に難民キャンプ設営指示 有事想定か :日本経済新聞
ティラーソン国務長官によると、既に米国と中国で侵攻後のことまで話し合っているそうです。記事は中国側の軍関係者が『戦争はいつ起きてもおかしくない。来年3月までがヤマ場だと語った』ということまで伝えています。バカな核兵器なんかは止めさせてもらいたいですが、戦争になっても良いことなんか一つもありません。日本には何も決定権なんかないんでしょうけど、被害が出るかもしれないのはこちらですからね。来年はあまり呑気な年明けではないかもしれません。



さて、ベストセラーになっている鴻上尚史の『不死身の特攻兵』を読みました。昨日読み終えたばかりで、自分の中でまだ練れてないのですが、映画の感想とも絡むので感想を書きたいと思います。


内容は、1944年11月の第1回めの特攻作戦に参加、体当たりと言う命令に背いて爆撃を行い生還、その後も計9回も出撃を強要されながらも生還した陸軍パイロット佐々木友次さんの生涯、インタビューをまとめたものです。
前半は佐々木さんの戦歴が語られます。高木俊郎という著者が佐々木さんにもインタビューして書いた、現在絶版になっている『陸軍特別攻撃隊』がベースです。

陸軍特別攻撃隊〈第2巻〉 (文春文庫)

陸軍特別攻撃隊〈第2巻〉 (文春文庫)


腕利きのパイロットだった下士官の佐々木さんと上官の岩本大尉は上層部から陸軍最初の特攻を命じられましたが、彼らは特攻より爆弾を何度も命中させた方が有効、という考え方を持っていました。当たり前ですよね。そこで整備兵の協力を得て、機体に固定括り付けられていた爆弾を投下できるように密かに改造し、9回の出撃を行ったというのです。


ここで描かれた特攻隊の実情は酷いもんです。例えば世の中では、特攻隊は志願という美談が伝えられていますが、現実には 特攻は命令として部隊が編成され、しかも最初は特攻に反対していた腕利きのパイロットたちが選ばれます。しかも公式の命令にしないために、××航空隊など正式名ではなく、万朶隊などの名称がつけられました。この一事だけとってみても、当時の日本軍上層部が如何に腐敗していたかが良くわかります。非常識な作戦を部下に強制して、しかも責任をうやむやにするのですから。


佐々木さんに『自ら死ぬことはない』と諭した上官の岩本大尉はフィリピン航空軍司令官の富永恭次の宴会に呼びつけられ、武器も積んでいない特攻機で移動中に米軍に撃墜され戦死します。ちなみに富永は東條英機の側近の元陸軍次官、当時はフィリピンの航空司令官。特攻隊を送り出すにあたって、自分も最後の一機で特攻する、と豪語していましたが、戦局が悪化すると、さっさと自分は芸者を連れて台湾へ逃亡したことで有名な最低最悪のクズ司令官です。
これは触りの部分だけ、帰ってきた佐々木氏に死を強要する富永の部下の参謀など幹部も含めとにかく日本軍の恥ずかしい話のオンパレードです。日本軍がフィリピンの山の中に逃げ込んだ後も、軍は佐々木氏に対する暗殺隊まで組織したそうですから、想像を絶するくらい酷い話です。


次は著者の鴻上尚史氏が存命だった佐々木さんを探し当て、2015年に行った5回のインタビューの内容です。鴻上氏は『体当たりして死ね』と強制される中で何故 佐々木さんが生き続けることができたのか知りたかったそうです。高等教育も受けていない21歳の若者がどうしてそんなことができたのか。彼の力もさることながら、上官の岩本大尉の影響、整備兵など彼を助けた周りの人たち、日露戦争の203高地の決死隊(これもバカ作戦でした)に従軍して生き残った彼の父親の戦訓、そして幸運。


最後は『特攻隊とはなんだったのか』についての著者の考察です。
鴻上氏は、まず、特攻を『命令した側』と『命令された側』がごちゃ混ぜになってイメージを持たれているのではないか、と指摘しています。特攻を命令した側の高級士官が特攻を美化した本を書いたり、戦死者の遺書を集めて真相を隠匿したことを挙げながら、特攻を命令した側が戦中、戦後も含めていかに無責任だったか を述べています。命令された側が払った犠牲の尊さと命令した側の無能さ・無責任さはもちろん区別して考えなければなりません。著者は『特攻の有効性に対する疑問』、また『特攻が志願ではなく命令で行われた例が多かったこと』、『特攻の対象者は軍の身内の士官学校出身者は少なく、下士官や学徒出身者が多かったこと』など、特攻には多くの偽善とフェイクがあったことを指摘しています。


結論として 『特攻はアメリカ軍と戦うためのものではなく、戦争を継続するためのものだった。アメリカ軍に対しては効果が薄くても、国民や兵士を戦い続けさせるためには有効だった』と指摘します。これは実に慧眼だと思います。
国民に対しては軍神と美化した姿を宣伝し(佐々木さんは軍に体当たりしたことにされ、2度も故郷の村を挙げての葬式が行われたそうです)意識の統一を図り、軍内部に対しては疑問を持つことを許さない雰囲気を作り出す効果がありました。戦艦大和の沖縄特攻の際 指揮官の伊藤中将は当初 特攻に反対でしたが、大本営に『一億総特攻の先駆けとなって死んでくれ』と言われて賛成せざるを得なかったのは有名です。バカな作戦でも組織内に疑問を生じさせず、戦い続けさせるためには特攻は非常に有効だったわけです。戦争末期には特攻はアメリカと戦うのではなく、組織内部の理性と戦うための手段、いや 日本型組織が、国民と戦うための手段だったのですね。


で、なぜ、そんなバカなことが日本でまかり通ってしまったのか。
鴻上氏は、日本人には、法律やルールなどによる『社会』より、濃密な人間関係や雰囲気による『世間』を重視する傾向が強いのではないか と指摘しています。特攻は、前近代的な『世間』を重視する日本人の体質に支えられた。実質的には、『世間』なんてものは壊れているにも関わらずです。


合理的ではないけれど、組織の雰囲気や情緒には逆らえない、そういう雰囲気は今の日本社会にも色濃く残っています。その一つとして鴻上氏は甲子園を挙げています。甲子園のバカらしさはボクも度々書いていますが、鴻上氏も良く言った! 高校生の健康を考えず、炎天下に延々試合をやり続ける。傍目には狂っているとしか思えませんが、TVの前の視聴者ともども、昼間は止めようとか日程に余裕を持たせようなどの理性的な意見は全く出てこない
さらにこの本の末尾で、南スーダンのPKO派遣の際のエピソードが述べられています。自衛隊が隊員に志願を募ったところ、断った者は上官から散々追及され、志願せざるを得ない状況だったそうです。特攻を続けた日本人の心性は、甲子園にも、自衛隊にも、変わらず残っているわけです。原発だって、二十三回も完成が延期されている核燃サイクルだって一緒です


アマゾンの書評を見ると、鴻上氏が書いている特攻隊の有効性などの細部への疑問から、この本全体を非難しているものを見かけます。細部の間違いをあげつらって全体を否定するのは歴史修正主義者の良くある手口です(笑)(後述)。


細部はともかく、この本の主旨『''いのち''を消費する日本型組織にどうやって立ち向かうか』は非常に重要です。これは努めて現代的なテーマだし、残念ながら今後 一層 大事なテーマになってくると思います。軍隊だけの話ではありません。ここで書かれていることは企業や町内会でもまったく当てはまることだからです。
世界の変化から目を背け内向きの排外主義がはびこり、閉塞感が溢れているのが今の日本です。戦前の暗黒時代に佐々木さんのような人がいた、ということを知るだけでも勇気が出ますし、何よりも、日本型組織にどうやって立ち向かうかを考えるための優れた材料をこの本は提供してくれます。このような時期に出版されたということも含めて、大変良い本だと思います。




ということで、銀座で映画『否定と肯定学習塾と予備校の相違と選定方法

1996年、イギリスの著述家デイヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)が唱えるホロコースト否定論を自著で否定したユダヤ人の女性歴史学者デボラ・リップシュタット(レイチェル・ワイズ)と出版社は、アーヴィングから名誉毀損(きそん)で提訴される。イギリス法では提訴された方が名誉棄損の意図がないことを証明しなくてはならない。しかもアーヴィングは裁判を通じて自説の宣伝をすることも狙っている。彼女と弁護団の長い戦いが始まった。


96年〜2000年に起きた実在の事件『アーヴィング対ペンギンブックス・リップシュタット裁判』を映画化した作品です。簡単に言うとアウシュビッツはなかったというデマをまき散らすバカウヨ(日本で言えば、沖縄の基地反対派は中国の手先とか言ってる百田某やナチスは正しかったとか言ってる高須クリニックみたいな奴ですね)が、それを否定する女性学者を訴えた裁判です。映画の公開に合わせて原作を書いたリップシュタット教授が来日する等、話題になっていました。


確かに今、このようなフェイクニュースが映画の題材として描かれることは、意味があると思います。国内も国外もフェイクニュースが飛び交ってますよね。オバマイスラム教徒というデマ、クリントンが子供を監禁しているというデマ(これで殺人事件まで起きた)に始まり、国内でも311に関するデマ、南京大虐殺否定論や従軍慰安婦否定論、沖縄の反対派は中国の手先とかデモ参加者は日当が出ているとか、ゴミみたいなデマはそこいら中に満ち溢れています。まさにネットの弊害であると同時に、それをまともに受け取る人々の知的レベルはどんどん低下しているわけですから
●日本の場合は既にこれですから(笑)。集団認知症でしょ(笑)。


映画は『アウシュビッツ否定論』を書いたアーヴィングがリップシュタット教授の講演会に潜り込んで、発言するところから始まります。『ヒトラーユダヤ人虐殺を命令した書類が残っているのか。残っているのなら、今ここで1000ドル払う』
もちろん、そんなものは残っているわけはありません(笑)。ヒトラーだって、そんな書類を残したらまずいということは判っていて、口頭で命令したことがナチ幹部の記録に残っています。もともと存在しない書類がないことをあげつらって事件をなかったことにする。これって従軍慰安婦否定論者と同じロジックですね。西も東も嘘つきのロジックは同じです。ただ1000ドル払うというのはちょっと額がセコいと思いましたが(笑)。
●アーヴィング役の役者さん(ティモシー・スポール)は大変だと思いました(笑)


真面目な学者であるリップシュタット教授は、売文屋のアーヴィングなんか相手にしません。バカは相手にしないというのは鉄則です。アーヴィングはビデオカメラを持ってきていて、リップシュタットが口ごもったりするタイミングをとらえてネットで流そうと狙っているからです。口ごもったり、怒ったりした部分だけをネットで流して『大勝利』、『論破』とやる。ネトウヨなど嘘つきの典型的な手口です。
相手にされなかったアーヴィングは今度はリップシュタットと出版社のペンギンブックスを名誉棄損で訴えます。
●リップシュタット教授(レイチェル・ワイズ)の犬と一緒に穏やかな生活は一通の手紙で一変します。


イギリスでは名誉棄損は訴えられた方が、訴えた側の嘘や悪意を証明しなければならないそうです。つまりリップシュタットたちはアーヴィングが悪意を持ってホロコーストがなかったことを主張していること、つまり嘘つきであることを証明しなくてはなりません。
スティーブン・スピルバーグを始めとしたユダヤ人たちの支援でリップシュタットには大弁護団が結成されます。彼らはホロコーストに関する莫大な資料とアーヴィングの日記や著作を調査していきます。
●左から調査担当の弁護士(アンドリュー・スコット)、リップシュタット教授(レイチェル・ワイズ)、陳述担当の弁護士(トム・ウィルキンソン)。映画はこの3人の物語です。


リップシュタットは歴史学者として裁判でアーヴィングと論争しようとします。しかし彼女の弁護士、アンソニーアンドリュー・スコット)とリチャード(トム・ウィルキンソン)は彼女を証言台に立たせません。ペテン師と論争すれば、ホロコースト否定論と肯定論が両論併記されてしまいます。事実と嘘とは違うんです。両論併記するようなものではありません。インチキなホロコースト否定論なんかに1ミリも立場を与えてはいけないんですね。また彼女はホロコースト生存者たちの申し出を受けて、彼らを証言台に立たせようとします。しかし、それも弁護士に止められます。実際の生存者が証言台に立てば、口のうまいアーヴィングは、ドアが右か左かといった何年も前のどうでもいい細部の記憶の不確かさをついてきたり、『いくら貰ったんだ』と生存者の人格を貶めることに専念するでしょう。これも従軍慰安婦否定論と同じやり口です。


弁護士のアンソニーとリチャードは議論を仕事としてきた彼女のやり方をことごとく否定します。
この映画の邦題は『否定と肯定』ですが、原題は『denial』=否定です。邦題は間違っています。アービングホロコースト否定論、リップシュタットの自我の否定、それにホロコースト否定論の否定、『3重の否定』がこの映画の意味です。
●主役が美人過ぎるでしょ(笑)


リップシュタット役のレイチェル・ワイズ、いつもながらお美しく、魅力的です。彼女の美貌とファッションは見ているだけで目の保養です。しかし感情過多に見える演技はこの映画には合わなかったかもしれません。当初はヒラリー・スワンクが予定されていたそうですが、ルックスはいまいち地味で超人的な演技力の彼女の方が良かったかもしれません。
●老弁護士役のトム・ウィルキンソンは、血気にはやるリップシュタットを宥め、正面から論争してバカウヨと同列にならないよう説得します。


弁護士役のトム・ウィルキンソンは言葉少ないけれど重厚な演技で、これは説得力があります。法廷から帰ってくるたびに高級ワインを開けたり、スコッチを舐めながら仕事をしたり、異様にお酒が強いキャラなんだなーとは思いましたが、スコットランド人だからということなんでしょうか。もう一人の証拠集め役の弁護士役のアンドリュー・スコット(『パレードにようこそ』、『007 スペクター』)も好きなのでハンサムな姿を久しぶりに見られて良かったです。
●イギリスでは裁判官も弁護士もカツラを被って裁判をやるんですね。


フェイクニュースをまき散らす相手に対してどうするべきか、映画の中では様々な論点が示されます。
前半では『裁判で徹底的に戦うべきだ』というリップシュタットと、『あんな馬鹿を相手にすると同列に見られるから裁判なんかしない方が良い』というユダヤ人支援者との対立があります。
中盤以降も『事実の真偽の議論をすべきだ』と言うリップシュタットと『同列に見られないよう、事実なんか議論はせず、相手がペテン師ということを証明すべきだ』という弁護団との対立もあります。ここは重要なところなので、映画はもうちょっと整理して提示してほしかった。


3年以上の時間をかけて莫大な資料を集め、精査した弁護団はアーヴィングの著作が悪意を持ったフェイクであることを法廷で暴露していきます。アーヴィングは出典をわざと間違って引用したり、半分だけ引用したり、事件の発生の順番を入れ替えたり、ドイツ語の原文をあえて間違った英語に訳したりして、結論を都合のよい方向にもっていっていました。これもペテン師の手口で、出典の情報を少しずつ変えていきますから、確かに大弁護団でなければ見破れなかったかもしれません。
●アーヴィングは資料集めと口のうまさでは優れていたそうです。孤立無援で大弁護団に挑む一人の男というイメージを作り出し、世間の同情を惹こうとします。


アーヴィングのようなペテン師が跋扈している現在、私たちはどうしたら良いのか、実在のリップシュタット教授は11月28日の朝日新聞インタビューでこう語っています(インタビュー)フェイクとどう闘うか 歴史学者、デボラ・E・リップシュタットさん:朝日新聞デジタル


「米国では実際に起きている地球温暖化を全く認めようとしない人たちがいます。歴史的な事実でいえば、ホロコースト否定だけでなく、オスマン帝国でのアルメニア人虐殺事件も否定者がいます。トルコの人たちにとっては、虐殺したことなんて認めたくありません。『不都合な歴史』ですから。そんなことは起こらなかったという方が都合がいい。日本の慰安婦問題や南京大虐殺はなかったという論も同じではないでしょうか」


「一人一人が、注意深くならなくてはいけません。SNSで何かを共有する前に、『これは事実?』と考え、信頼できる情報源が言っていることか精査することが大切です。」


 「疑念をもって出典を精査することが重要です。私たちはカメラや車を買うときと同じように、すべての情報に対しても健康的な疑念をもった消費者になるべきだと思います。いまは真実と事実が攻撃されています。私たちに迫ってきた困難は重大です。いま行動しなくては手遅れになります」



彼女が言うとおり、今は真実と事実が攻撃されています。少なくとも目の前に嘘がぶら下がっていたら、左右関わらず 我々一人一人が潰していかなくてはいけないと思うんです。嘘はどんどん広がっていきます。そこまでいかなくても、ある種の意見を自分で引用したり、リツイートするなら自分なりに根拠を調べるとかは当然のマナーでしょう。



映画は判りやすくできています。前提となる知識はそれほどなくてもついていけます。それにレイチェル・ワイズトム・ウィルキンソンが演じる登場人物は魅力的です。ただ、あまりにも多くのことが詰め込まれたため、視点が少し散漫で映画の出来としては やや凡庸かな。映画ならではのマジックみたいなものはありません。
でも、見ていて面白いし、悪い映画ではないことは確かです。今のような時期ですから、多くの人に見られれば良い映画だと思います。ま、フェイクニュースに引きずられるような人はこういう映画は見ないでしょう(笑)。根本の問題はそこ、かもしれません。

●BS−TBSでもこの映画が取り上げられました。