特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

もっと遠くへ:『ポリーニ・パースペクティブ第4日』

いまや史上最低の支持率を誇る総理大臣、野田佳彦が解散だと言い出したが、定数のゼロ増5減だけで行う選挙って憲法違反じゃないのか。 『単に定数の一部の増減にとどまらず、都道府県単位を改めるなど、しかるべき立法措置を講じ、投票価値の不均衡を解消する必要がある』、が一票の格差に対する今年10月17日の最高裁判決だ。 参院「1票の格差」5倍は違憲状態 最高裁、制度見直し迫る :日本経済新聞

野田佳彦安倍晋三も日本語が読めないのだろうか? 昨晩からにわかに政治部の記者、というものがTVに出てきて、『捨て身の戦略だ』とか国民にとっては何の役にも立たないコメントばかりしている。根本的な問題である『憲法違反』という指摘をするマスコミは殆どない。
今の政治家は存在自体が違法だし、一票の格差によって国民の意思が正確に反映されていない存在だ。だから国民のマジョリティの意思であり願いである『脱原発』だって依然 反映されない。こういう税金泥棒は一刻も早く消えてもらって、仔犬なりパンダなりに変わってもらうか、全員クビにしてアメリカに入れてもらうのが良いのだが、それがダメなら、少しでもマシな人間を選ぶしかない。

こんなカスばかりを政治家にしてしまったのは投票した側の責任だって大きい。世襲政治家、石原のような私利私欲だけのデマゴーグ、似非タレント、口だけの政治家ばかりの松下政経塾、そんな連中にばかり投票した反省がなければいつまでたってもこの国は良くならないだろう。あ、そういうカスどもにはボクは投票してません(泣)。

                                                 
さて11月13日、サントリーホール、『ポリーニパースペクティブ第4日』。今回の公演の最終日。


<セットリスト>
ベートーヴェン − シャリーノ]

シャリーノ: 謝肉祭 第10番「震えるままに」
             第11番「雨の部屋」
             第12番「弦のない琴」
       [ルツェルン・フェスティバル委嘱作品・日本初演]

       ピアノ: ダニエレ・ポリーニ(息子さん)
       室内アンサンブル: クラングフォーラム・ウィーン
       声楽アンサンブル: シュトゥットガルト・ニュー・ヴォーカル・ソロイスツ
       指揮: ティート・チェッケリーニ

 **休憩**

ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 op.109
          ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 op.110
          ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 op.111

       ピアノ: マウリツィオ・ポリーニ

                          
今日もNHKのテレビカメラが入っている。結局 4公演全てカメラ撮りをしたことになる。放送日未定と張り紙がしてあったが、地上波でやってほしいなあ。 ボクは未見だが今日の客席には小澤征爾も居たらしい。
                                                    
                                       
最初 舞台にはコーラスと器楽アンサンブル、それにピアノの面々が並ぶ。 シャリーノの最初の曲、『震えるままに』は無階調のコーラスが独唱から積みあがって合唱になり、それにキーキー言うストリングス(笑)が伴奏をつけるというもの。孔子の弟子のことを歌っているそうだが、イタリア語だから、もちろん意味はわからない(笑)。不思議な響きだ。
二番目の『雨の部屋』はピアノと器楽アンサンブルの組み合わせ。時折ピアノが放つインダストリアルな響きはすごく良かったが、曲が長くて少し退屈した。だが演者の顔を見ていると皆、すごく緊張している。リズムもメロディがない音楽で、ばっちりタイミングをあわせているのはさぞ大変なんだろう。
三番目の陶淵明をテーマにした『弦のない琴』がもっとも楽しかった。ピアノ、器楽アンサンブル、コーラスがノイズを奏でて、微妙にフレーズが異なるコーラスをそれに載せていく。まるで声明とかブルガリアン・ヴォイスなど、チャントのようなエスニックな響きさえする。
演奏後は客席で見守っていたシャリーノ氏も舞台に上がって、客席からの大きな拍手を受けていた。
●リハーサル風景。左からポリーニ御大、傘を持っているシャリーノ(笑)、男前なポリーニ(息子さん)

                                           
休憩後 ポリーニ先生の登場。今まではいきなり弾き始めていたが、今日は椅子の高さを変えてから弾き始める。
穏やかに始まるピアノソナタ30番だが、響く音は力強い。それでいて第3楽章のトリルのところをきらびやかにするのではなく、敢て穏やかにまとめていった感じだ。まるで導入部と対照をなすかのようだ。
続く31番。第1楽章は脈々と波打つような流れを作り出して美しい。目の前を穏やかな小川が流れているようだ。それが第2楽章になると一転して、激しく重厚な響きに変わる。ただ激しくなるだけではない。それもシャリーノの『雨の部屋』で聞こえていたようなインダストリアルなノイズみたいな音だ。現代的な感覚を取り入れたこの演奏には参った。格好良すぎ。だが次の第3楽章はもっと良かった。陰鬱な曲調のなかから、力強い音色とともに希望が湧き出してくるかのようだった。

32番。激しい演奏で始まる第1楽章は熱情ではなく、激情という感じだ。エモーショナルな演奏だが、ただ感情をぶつけるだけでなく、くっきりと輪郭が明快な音で冷静さに裏打ちされているところがすばらしい。第2楽章は変幻自在な演奏が繰り返される。やがて終盤に高音のトリルが現れると感情が収束していく。心の平安が訪れてくるかのように。

ベートーヴェンピアノソナタ30,31,32は哲学的な作品とも評されているが、人間の晩年に現れてくるようなメロウな感覚、陰鬱さにも強く影響されているとボクは思う。だけど、この日の演奏は陰鬱さの中から希望が、そして心の平和が現れてくるようで、実はこういう曲なんだ、と初めてわかったような気がした。2年前にもポリーニの同じプログラムを聞いたのだが100年単位で考えるということ:ポリーニ公演(10/23) - 特別な1日(Una Giornata Particolare)、この日の演奏はそれより遥かに深かったような気がする。
空間・時間を音のノミで彫り上げて、希望や平和という形而上学的なものを目の前に現出させた、そういうふうに表現したらいいだろうか。
なんとも感動的な演奏だった。ボクの隣に座っていたご婦人などはしきりに目を指でぬぐっている。もちろん場内からは万雷の拍手。アンコールはなし、というより、無理だわ(笑)。いつまでも鳴り止まぬ拍手に、ポリーニはおどけたようなポーズで応えていた。
●初回23日のポリーニ
                                      

今回のポリーニの公演は現代音楽と組み合わせて、4日間でベートーヴェンピアノソナタ21〜32を全部弾く(笑)、というハードルの高さに加えて、スロースタートなど加齢による衰えもはっきり出ていたとおもう。それでも日を追って演奏は良くなってきたし、個別の曲でも初日の熱情、2日目のピアノソナタ25と26、3日目のハンマークラヴィアと考えられないような素晴らしい演奏はいくつもあった。だが、この日は全てが感動的だった。
観客の間からは、来日はこれで最後か、という声も出ていたが、これなら、まだまだ行けるだろう。ボクはまた聴きたい。もっと先を見たい。
どんなジャンルの人でもそうだが、もっと先へ、もっと遠くへ進もうとする人の姿はそれだけで感動的なのだ。恐れ多いが、こういう風に歳をとりたいなあ(泣)。