特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

喜劇の幕引きを学ぶ:『愛、アムール』

この日曜日はポリーニのバッハ『平均律クラヴィーア』と大澤誉志幸&山下久美子の『こっちをお向きよ、ソフィア』(昔の曲だが、この曲での大澤は天才!)を交互に聞きながら、本を読んでいた。

その本でこんなくだりに目が止まった。
円高で輸出が滞る円高不況が起こり、それを重く見た日本銀行は低金利政策をもって景気浮揚を試みた。しかし金融緩和で発生した余剰金は国内の土地と株に投資され、地価と株価を上昇させた。同時にアメリカは政府は日米協議を開始し、市場開放と内需拡大を要求した
さて、これはアベノミクスやTPPのことを書いているんでしょうか?

はい、これは80年代後半のバブル期のことを書いた記述です(笑)。小熊英二の新作『平成史』の45ページからの引用。

平成史 (河出ブックス)

平成史 (河出ブックス)

思わず、唖然とした。金融のグローバル化が進んだ今、余剰金が国内に留まるとは思わないけど、金融緩和も、アメリカ政府の動きも今とまったく同じじゃないか。その結果は果たしてどうなるか。

勿論 バブルの帰結はみんな知っている。リストラと経済縮小が続いた『失われた20年』だ(笑)。
昨年の『社会を変えるには』(良い本だが結論は目新しくなかった)と同じように、小熊英二は過去に起きた様々なことを体系だてて整理して本質を抽出するのはピカイチと思った。

*今日の日経ビジネスに出ていた日銀の通貨供給量(マネタリーベース)と日経株価の推移。日銀が供給量を増やしても株価には効果がないことが良くわかる(笑)。

市場に響くか日銀「黒田節」:日経ビジネスオンライン
                                                  
                          
昨年の選挙で石原慎太郎の三男が公選法に違反した疑いが先週 報じられた。http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/449059.html フィリピンでカジノ計画を進めている企業(UE社、旧名アルゼ)から運動員を派遣させた疑いが出ており、他にもコンサルタント料など不明瞭な資金の流れもあるようだ。
カジノ解禁論者の石原慎太郎が先月から入院して面会謝絶なのもこの疑惑のせい、というネットの噂もある。そうだとしてもうなずける話だ。所詮 勇ましいことを言っている奴が一番最初に逃げ出すもんだ、と言うのはボクの偏見だろうか(笑)。



六本木で映画『愛、アムール

                                          
パリに住む元音楽家の二人暮らしの老夫婦。夫婦むつまじく暮らしていたが、妻が病を発症し半身麻痺になる。病院嫌いの妻の希望を汲んで、夫は甲斐甲斐しく自宅で介護をするが、妻は認知症の症状を見せ始め----

そういうお話。カンヌ映画祭グランプリ、アカデミー外国映画賞受賞作品。
舞台は老夫婦が住むアパートの中、妻役のエマニュエル・リヴァ、夫役のジャン=ルイ・トランティニャン、時折訪れてくる娘役のイザベル・ユペールのほぼ3人でお話が進んでいく。まるで舞台劇のようだけど台詞は少なく、夫婦の表情、しぐさなどの演技を緊張感溢れる画面で楽しむ作品。

ボクの生涯5本指に入る映画『24時間の情事』に岡田英次と出演したエマニュエル・リヴァが、齢84(当時)で文字通り体を張った演技を見せている。この人の気品を持った姿は今でも美しいと思うのだが、画面を見ていて『え〜、ここまでやるの』と感じるような演技だった。凛とした気品・プライドを持った人が介護される側になったときの感情が言葉に出さずとも伝わってくる。アカデミー主演女優賞にノミネートされたのは当然だと思った。
●『24時間の情事』でのエマニュエル・リヴァ岡田英次

エマニュエル・リヴァが『24時間の情事』撮影当時に撮った写真集。戦争の傷跡とそこから立ち上がる日本の人々のまぶしい姿が捉えられている。

HIROSHIMA 1958

HIROSHIMA 1958


ちなみに夫役のジャン=ルイ・トランティニャンはダバダバダっていう主題歌が有名な『男と女』に出ていた人。娘役のイザベル・ユペールも含め、ベテラン俳優たちの演技は繊細で押し付けがましいところがなく、文字通り胸に迫ってくるようだった。


●冒頭 理想的な老夫婦の暮らしが描かれる


実際の介護はもっと大変だろ、とか、二人だけでやってるとこうなるな〜と思わないでもない場面もあるが、画面でみるだけでも充分辛いし、孤立の問題もプライドを持って生きてきた二人の人生を考えるとうなずけるものでは、ある。
●娘役のイザベル・ユペールも美しい

●老々介護を心配する娘と意固地な父

お話のなかで、時折画面に挿入される風景画、音楽が非常に効果的だ。陰鬱な場面の後 印象派風の風景が無音のまま数分間アップになるところがお話とコントラストを生じさせて、とても美しいシーンだった。また音楽。シューマン、ベートーベン、バッハの美しいピアノソナタが流れ、救われるような心持にさせる(最後がバッハというのがまた、いい)。だが、どれも演奏は途中で唐突に終わり、観る側は現実に引き戻される。その緊張感が話の重さに押しつぶされないだけの強さを観る側に与える。そこいら辺の演出は実にうまい。
人間は最終的には美に頼るしかないのだろうか。そんな気にさせる。
                                        

ミヒャエル・ハネケという監督は人間の悪意を強調する作風らしい(笑)。『愛、アムール』は表面的には観客の期待を微塵もなく打ち砕くような結末だけど(笑)、俳優さんの名演と見事な演出、愛と死に関する重層的な視点を与えてくれる、完成度が高い、見てよかったと思う映画だった。ただエマニュエル・リヴァが居なかったら、全く成り立たなかった作品だとも思う。
                                                

この映画を見て、最も強く感じたのは、自分なりの『死に方』だ。人は老衰していくにつれ、その人の骨格が浮き出てくるように思える。そういうのを見ると『人間は本来の自分の姿に帰って死ぬ』という印象を受ける。この映画でも、死ぬときには自分の精神のありようまで否応無しに浮き彫りにされる、ことを改めて思い知らされた。人間なんて本当におろかでちっぽけで、人の一生なんて喜劇みたいなものかもしれない。特にボクはそう(笑)。自分の人生の幕を引こうとするときに、それが露になるのは怖ろしい。だからこそ人間はいとおしい存在であるのかもしれないけれど。
●美しい音楽、美しい老婦人