特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『今ここにある危機とぼくの好感度について(最終回)』と映画『泣いたり笑ったり』(イタリア映画祭2021)

 毎度のことですが、楽しい週末はあっという間に終わってしまいました。今日で五月も終わりです。
 時間の流れは速い、とは思いますが、それでも定年が待ち遠しい(笑)。20代の時から待ち遠しかったですが、今はもっと待ち遠しくなりました。

 TVをつければ、嫌なこと、理不尽なことばかり伝わってきます。とにかくバカな人間と関わり合いになりたくない。そういう思いばかり強くなります。
 例えば今朝のこんなニュース。ちょっと前は無観客と言ってましたが、この期に及んでもバカ政府はオリンピックに観客を入れたいらしい。呑気にコロナ運動会を見に行くアホウも含めて早く死んでほしい。

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 さてNHK土曜ドラマ今ここにある危機とぼくの好感度について』の最終回、良かったです。
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 先々週の第4回、この前の最終回は、大学が命運をかけた博覧会が迫っている中 研究室から熱帯地方の蚊が流出して周辺に健康被害が起きた事件を公表するか否かの組織内のせめぎあいを描いたものでした。
●6/2水曜深夜に再放送があります。
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 大金をかけた博覧会を開くために事実を隠蔽しようとする大学組織、被害を受けた人を治療するために事実を公表しようとする広報マンの主人公(松坂桃李)たちがコメディ仕立てで描かれます。
 もちろん博覧会はオリンピック、蚊はコロナウィルスの暗喩です。企画や脚本が出来たのはたぶん昨年でしょうけど、あまりにも鋭い。

 文科省べったりで博覧会開催を至上命令と考える理事(國村隼)は博覧会を開くために事件の公表を止めようと、会議でこう主張します。

教育も研究も(文科省補助金などの)金がないと熾烈な競争に勝ち残れない。現実を見てください

それに対して、学長(松重豊)はこう言い返す。

私は現実を見ています。大学は過ちを犯したのだからしかるべき責任を取らなければならない。それが現実です。

そして、付け加えます。

確かに競争は熾烈です。だからこそこのまま我々が生き残っていけるとは、どうしても思えない。なぜなら我々は腐っているからです

 総長が言う『不都合な事実を隠蔽し、虚偽でその場を凌ぎ、それを黙認しあう』はまさに今の日本の姿、特に男社会です。政治家や役人はデータや文書を改ざんし、言葉をもてあそび、都合の悪いことはなかったことにする。国民はさして関心も示さずに、やがて忘れてしまう。つまり、見て見ぬふりをする。総長曰く、そんな組織はお互いに対して敬意も信頼も持てるはずがない。そんな社会のままでは、日本がこれからの国際社会の熾烈な競争を生き残っていける筈がありません。

 ドタバタが強調されたコメディ演出は賛否があると思いますが、『その街のこども』、『カーネーション』の渡辺あや氏の脚本の切れ味は素晴らしい。コミカルな演技に終始していた松坂桃李君が記者会見で涙をこらえながらも一瞬、誇らしげな表情をするのも良かった。と、思ったら、後のシーンで、それを笑い飛ばすところもなかなか(笑)。
 

 ドラマの台詞を借りれば『腐りきった組織』である今の日本は『生まれ変わるための長く苦しい戦い』を始めることができるのでしょうか。

 ま、ボクは今の日本は沈没していくのみ、だと思います。選挙に行かないような白痴が国民全体の半分もいる今の体たらくじゃ、ムリに決まってる(笑)。
 でも全体を救うのはムリだとしても、例えば女性が活躍できるような一部の企業や団体、それを構成する人たちだけでも生き残ればいいんじゃないでしょうか。
 残りはニッポンサイコーとか妄想を垂れ流しながら、ぶつぶつ不平を言いながらも他人の足を引っ張ってばかり。外国の悪口を言いながら、そのくせ中国などのおこぼれに集る貧乏老人だらけのまま沈没していけばいい(笑)。アホな日本人にはその程度が分相応でしょう。

 今やニュースですらダメなのに、今の日本の現実をストレートに描いたドラマをゴールデンタイムで放送したというのも根性があります。NHKのような腐りきった組織の中でも抵抗する人が少数ながら、いるNHKだけじゃなく、多くの組織にも抵抗する少数の人は居るでしょう。それだけは希望かもしれない。
 よく出来ている分だけほろ苦さも感じる、そんな稀有なドラマでした(笑)。


 さてさて、先週発表された、アマゾンが老舗映画会社のMGMを買収するニュースはビックリしました。昔の『雨に唄えば』、「007」や「ロッキー」、「ターミネーター」を作った、ライオンのマーク有名映画会社、あのMGMが、ですよ。

 確かに今のアマゾンならいくらでも金は出せるのでしょう。
 世の中が変化するスピードは速いものです。ボクもオンラインで映画を見るのもそれほど悪くないと思うようになりました。けたたましく小汚い街に出かけて、訳の分からない奴も混じっている客席で警戒しながら映画を見るより、家でのんびり見るのは快適ですからね。
 もちろん街に出ることで新たな発見もありますが、たいていの禍は他人と関わるから生じる。どう考えても外に出ることのマイナスの方が大きい(笑)。


 ということで、オンラインでイタリア映画祭2021『泣いたり笑ったり』(原題’’Croce e delizia’’)

 裕福でオープンマインドだが利己的なカステルヴェッキオ家と、保守的な価値観を持つ労働者階級のペターニャ家。全く異なる二つの家族が海辺の別荘で一緒に夏の休暇を過ごすことになる。住む世界が全く異なる二つの家族だが、それぞれの家族の長であるトニとカルロは何やら知り合いのようだったが。

 今年のイタリア映画祭で人気NO2の作品(NO1は目玉作品の『靴ひも』)
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 今作はLGBTQをテーマにしたコメディです。

 舞台は海岸沿いにある豪奢な別荘。裕福な美術商であるカステルヴェッキオ家のトニの持ち物です。プレイボーイのトニは男女を問わず多くの人間と関係を持ち、娘も二人作りました。が、生涯一度も結婚したことがありません。今年は別荘に娘や妹たちを招いて夏の休暇を過ごそうとしています。
●カステルヴェッキオ家の面々。美術商のトニ(左)と娘たち。中央がペネロペ。

 その別荘の敷地にある離れの小屋にペターニャ家の面々がやってきます。数年前に妻を亡くした漁師のカルロと息子、サンデルの夫婦です。見知らぬ家族に不審がる娘たちに、トニは家賃稼ぎに貸し出した、と言います。
●ペターニャ家の面々。中央が漁師のカルロ。

 別荘にはTVがなく、壁には同性愛を描いた画が飾ってあります。カステルヴェッキオ家の人たちはTVを見る習慣もなく、同性愛にも偏見を持っていません。しかし、カルロ以外のペターニャ家の面々は拒否反応を示します。二つの家族は富だけでなく、意識・文化の面でも全く交わることがない。
●裕福な美術商のトニ(左)と漁師、カルロ(右)

 実はトニとカルロは3週間後に結婚することになっており、二人は家族にそのことを告げるために別荘に集めたのです。

 二人がそれぞれの家族に結婚することを告げるとペターニャ家の面々、特に漁師の先輩としても父を慕っている息子、サンデル(写真左)は大反対。

 カステルヴェッキオ家の面々は今まで結婚したことがないトニが結婚を決意したことに驚きますが、相手が男でも女でもこだわりはありません。
 ただ幼少時から父親に構ってもらえなかったことがトラウマになっている娘のペネロペだけは心が穏やかではありません。彼女自身は同性愛法案に賛成するデモにも参加するような人です。男同士の結婚は構わない。だけど、父親からの愛情に飢えている彼女は好き勝手に暮らしていた父親が結婚して落ち着くことには納得がいきません。
 ペネロペはカルロの息子と組んで二人の結婚を妨害しようとします。 
●これまた、水と油のサンデルとペネロペですが。 

 特に前半は両家の違いが強調されます。お互いのファッション、同性愛に対する見方やTVを見る習慣の有無など両家の世界は見事に異なっています。カステルヴェッキオ家はマリファナは日常品だし、全裸で日光浴もします。トニだけでなく、女性陣だって『人生は体験だから、相手として男も女も両方試してみたらいい』という会話をしている(笑)。
●トニと娘たち。娘たちの母親はそれぞれ異なっています。

 保守的なペターニャ家の面々には全く考えられません。
●カルロの息子、サンデルとその妻。妻は身重です。

 一方 カステルヴェッキオ家の人たちはマリファナは許せても、子供の頭を叩いて注意するペターニャ家のしつけは絶対に許せない。

●ペターニャ家の面々はTVでサッカー観戦。カステルヴェッキオ家は家にTVがありません。そんなものは見ない。

 しかしお話が進むにつれ、お互いが学びあっていることが判ってくる。カルロはトニから『自由を教えてもらった』と言います。トニは『今まで永遠の愛なんて全く信じていなかったが、カルロは本気で信じているから自分も信じそうになっている』と述懐します。

 全くタイプが異なるトニとカルロも共通している点があります。二人とも相手を心から楽しませようとする人間的な魅力がある。そこは感心しました。わが身を顧みて全く及ぶところではないどころか、自分には人間的な魅力とやらは1ミリもないなーと思いました(泣)。


 カステルヴェッキオ家の面々は裕福でリベラル、何の不足も無いように見えますが、自分勝手だし、孤独を抱えている。他人に対して寛容なのは精神年齢が大人であるということですが、それは孤独を抱え込むということでもあるかもしれません。開けっぴろげでお互いを口汚く罵ったりするペターニャ家の方が相手を信頼しています。
●イタリア映画の楽しみの一つは食卓の光景です(笑)

 両家のコントラストを強調した巧みな脚本に俳優陣の強力な演技がお話に説得力を持たせています。特にカルロを演じるアレッサンドロ・ガスマンは凄く良いです。2016年に公開された『神様の思し召し』でロックスターのような神父役をやっていた人です。
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 一方 トニを演じるファブリツィオ・べンティヴォッリョはパオロ・ソレンティーノ監督、2019年の『LORO 欲望のイタリア』でベルルスコーニに買収される左翼政治家を演じていました。

●海岸沿いの美しい別荘で物語が進んでいきます。

 美しい景色、美しい服とインテリア、美しい女性、カッコいい男、人間に対する深い洞察、大人のユーモアと、イタリア映画に求めるものがいっぱい詰まった玉手箱のような映画。これまた、実に面白かったです。


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’’)

『獺祭の意見広告』と『日本のワクチン接種(報道1930)』

 今年は梅雨が早く来るそうですけど、そのあとは酷暑が待っています。コロナがこんなに広がっている時に酷暑ってどうなっちゃうんでしょうか。

 今週初め、超有名シンクタンク野村総研の社長の話を聞きました。曰く、

 『イギリスやイスラエルなどワクチン接種が進んだ国の数理データを使って、新規感染者とワクチン接種者の数を分析した。集団免疫の獲得まではまだまだ時間がかかるが、ワクチンを1回でも接種すれば新規感染者の発生は減っていくので、日本でも今のペースでワクチン接種が進めば9月末にはマスクを外せる状況になるのではないか、と個人的には思っている。

 個人的な見解、とは断っていましたが、そうなればいいですね。この人は希望的な観測を言う人ではないし大勢の前で話したことなので、ホラとも思えない。
 新たな変異株(東京五輪株!)(笑)も出てくるかもしれないし、一般の人にワクチンが回ってくるのは来年と覚悟しているので、ボク自身は眉唾だと思いましたが、今朝になって一般への接種は一部では7月から始まる、というニュースも流れてきました。そういう情報を前提にした話かもしれません。
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 今はコロナに関する悲観的な見方しかありませんので、エクスキューズという意味でこの話をご紹介しました。物事は色々な観点から見なければいけないですからね。

 
 ただ、現状はそんな感じではありません。今週月曜の日経朝刊に日本酒の有名メーカー獺祭(旭酒造)が、飲食店の営業制限に抗議する意見広告を出していました。

 ディスカウントしているかもしれませんが、普通は日経の1面広告なんて3000万はかかります。獺祭は本気です。会社のホームページにも書かれている内容は尤もなことばかり。

『例えば兵庫県の感染経路別患者数を見ても、家庭52.1%、職場16.2%、福祉施設7.5%などに対して、飲食店は最下位のわずか2.9%』

『にもかかわらず、飲食店には極めて厳しい営業時間制限などが掛けられている。こんなことに意味があるのだろうか。』

『飲食店に負担を押し付けながら自分たちは宴会をやっている役人こそが制限策に意味がないことを一番よく判っているのではないか。彼らこそがローカル経済を破壊している。』

『感染の拡大も飲食店の倒産も抑えるために、意味のある感染防止策に見直して欲しい』

『地域経済を支えている人々の最低限の雇用を守りながら感染対策を進めることも、「いのちを守る」ことだ』

『グローバル大企業が担う「二割の雇用・三割のGDP」だけでは、日本の地域社会は支えられない』

『私たちの願いは、飲食店の経営が最低限の健全さを保ち、飲食店が雇用の受け皿であり続けること』
●クリックすると原文を見ることが出来ます。
www.asahishuzo.ne.jp

 以前 混ぜ物たっぷりで低品質の日本酒を作っていた旭酒造は倒産寸前に追い込まれました。そこから死中に活を求めて杜氏を廃止、コンピュータ制御を導入した革新的な酒造りで『獺祭』を開発、復活したことで有名です。サミットなど国際会議でも度々獺祭が使われています。

 ボクはお酒飲みではありませんが、実際 獺祭はリーズナブルで(安いグレードしか買わないので)(笑)、飲みやすくて美味しい、です。我が家の冷蔵庫には必ず入っています(笑)。


 
 言うまでもなく、オリンピックをやると言いつつ緊急事態宣言、なんて矛盾しています。

 満員電車は走っているし、劇場もデパートも学校もやっているのに、飲食店や映画にばかり負担をかける制限策なんか意味がない、のは誰だって判っています。実際にクラスターが発生しているカラオケやキャバクラと殆ど感染が広がっていない純粋な飲食店を一緒にするのはおかしいし、飲食店でもきちんと対策している店とそうでない店を一緒くたにするのもおかしい。山梨や鳥取はきちんと対策店を区別しているではないですか。

 憲法を変えないと私権制限が出来ないとか言ってるバカが居ますが、今だって十二分に私権を制限しています法的・科学的な合理性はない恣意的な形で

 バカ政治家のせいで飲食店だけでなく農業や漁業、生産者だって困っています。
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 ボクは近所のイタリアンでテイクアウトを買う際 料理の他に、必ず生産者の材料も買うようにしています。そのイタリアンでは生産者を応援するために取引のある生産者の材料を調理法のレシピを付けて売っているんです。
 まるでポルチーニ茸のように巨大な''王様シイタケ''や’’生で食べられるアスパラ’’などこだわりの生産者が作っている材料を家でも食べられるのは嬉しいです。でも手間暇かけて良い作物を作って、質の良さを理解できる店にしか売っていない生産者にとっても、今回の制限策はたまったものではありません。
●王様しいたけ。肉用フォークの大きさと比べてみてください。

●ロワール産の白アスパラと無農薬・無化学肥料なので生で食べられる北海道ジェットファームのアスパラ。

 グローバルダイニングのように感染対策を徹底した上で営業を続ける飲食チェーンも出てきていますが、いくら奴隷根性の日本人と言えども、流石に言うことを聞かない人は増えてくるのではないでしょうか。
●映画は映画館主の皆さんがロビーイングを繰り返して、上映を認めさせることに成功したようです。

 日本の無能な政治家連中が国民の多くが反対しているオリンピックや理不尽な飲食店・生産者虐めを強引に続けるのは、ビルマの国軍が国民を弾圧している光景と重なって見えます。

 国民はバカだからオリンピックさえ始まれば、感染のことなんか忘れてしまうって、政治家やIOCに舐められているんですよ。ま、あながち否定できませんけどね(笑)。  

 
 さて、今週24日放送のBS-TBS『報道1930』は日本のワクチン接種について論じていました。面白くて、つい見入ってしまいました。

 まず圧倒的に差が出ているイギリスと日本とのワクチン入手の違いについて。

 イギリスはワクチンが開発される前、昨年の4月に責任者を決め、入手の交渉を始めています。その責任者は民間のベンチャーキャピタルから起用した女性です。ベンチャー企業への投資は成功もあれば失敗もあるから、ポートフォリオを組んで色々な企業へ投資します。よく考えたら、開発に成功するかどうか判らないワクチンとよく似ている。
●イギリスはポートフォリオを組んで7種類のワクチンを入手。今は変異株に備えて第3回目の接種の準備を始めているそうです。

 一方 日本は昨年は役人が製薬会社の日本支社と接触しただけで、責任者を決めて本格的に本社と交渉したのは今年の1月。既に開発は終わっていて各国で取り合いが起きています。遅すぎてどうにもなりません。

 確かにビジネスをやったことがない役人には、開発が成功するかどうかわからないワクチンの交渉なんか出来ないでしょう。でも結果が判る前に交渉するから金銭的にも納期的にも有利になるのは商売の常識です。規制に守られた役人や独占企業の人間には理解できないかもしれませんが(笑)、世の中は結果が判らなくても判断しなくてはいけないことばかりです。

 ボクの友人も医薬品ベンチャーへの投資をやっていたんですが、日本にもそういう交渉が出来る人材は商社や金融などに履いて捨てるほどいます。やっぱり政治が無能だった

 接種についても、イギリスは昨年8月に大手スーパーの元人事責任者で国民健康保険にも在籍していた女性を責任者に起用、準備を始めています。日本が接種が始まってから供給体制や予約システムを検討しているのとは大違いです。

●イギリスのワクチン接種を支えた責任者二人。ベンチャーキャピタルの女性はスキャンダルで昨年末に辞任(笑)。彼女が名門出身のジョンソン首相のお友達なのも如何にもベンチャーキャピタル出身らしい。でも非常事態ですから、ワクチンさえ手に入ればいいんです。

 現場への供給予定すら立っていない。接種を早めろと言ってもワクチンの供給予定がはっきりしなければ自治体だって体制が組めるわけはありません。また予約システムも接種が始まって1か月経っても、バグでシステムが止まっている有様。で、ヤケクソになって自衛隊の力技に頼っているのが現状です(笑)。


 
 その後 ゲストの元自衛隊統合幕僚長河野氏が日本政府のワクチン接種について、こう話していました。
 『旧日本軍の失敗を分析した名著『失敗の本質』を要約すると、失敗の理由は3つである。『目標の不明確さ』、『戦力の逐次投入』、『根拠なき楽観論』。断定はしないけれど、今回のワクチン接種もその観点から考えるべきではないか』

 それを受けて、コロナ対策が全国1位と言われる鳥取県の平井知事はもっとはっきりと発言しました。
 『3つの失敗の理由を日本のコロナ対策に当てはめると、『目標の不明確さ』とは経済と感染防止の優先順位をつけなかったこと、『戦力の逐次投入』は対策を小出しにしたこと、『根拠なき楽観論』は第1波、第2波の被害の少なさでうまくいったと思い込んでしまったことではないか。』

 実際に接種した人に聞いても接種の現場を担当している市区町村や自衛隊は融通を利かせながら頑張っているようですが、役人や政治家など日本の上層部は無為無策のまま
 しかも『検査が少なかったこと』、『対策を小出しにしたこと』、『ワクチンの入手や接種体制の構築が遅れたこと』に対する反省はかけらもない

 昔 ノモンハン事件の際 ソ連軍の司令官が日本軍を評して『日本軍は兵卒や下士官は驚くほど優秀で頑強に戦うが、将軍や佐官などの幹部は驚くほど頑迷で無能』というようなことを言っています。作家の司馬遼太郎ノモンハン事件のことを書こうとして資料を集めたものの、『日本人であることが嫌になる』と言って作品を書くのをやめたのは有名な話です。

 それは今も全く変わらないようです。いつも言っている話ですが、日本人には自治能力なんか無いんですよ(笑)。アメリカの51番目の州どころか、属国だって分不相応なくらいのレベルかも(笑)。

『立憲民主・枝野氏出演の「報道1930」』と映画『略奪者たち』(イタリア映画祭2021)

 昨日の日曜日は久々の晴れ、気持ちよかったです。
 駒沢公園等々力渓谷は人が多くて、休日はとても近寄れません。家の周りの東西南北を歩き回って苦節1年(笑)、やっと我慢できる程度に人が少ない散歩コースを発見したところです。

 今までは運動がてら街へ出て、映画を見ていた面もあったのですが、本当は電車も乗りたくないし、人が多い街もあまり行きたくはありません。休日の映画はオンライン、散歩も近くで済ませる方が精神衛生上は望ましい。ますます出不精になっちゃうなあ。
 
 とにかく街に溢れるマスク無しの下等人種とは極力関わりたくない。憧れの閑居生活にまた一歩近づきました。

●近所のイタリアンのテイクアウト。四国の漁師さんが活き締めした鱸を使ったフィッシュ・バーガー。もちろんタルタルソースも完全手作り。デカい!うまい! 


 先週水曜のBS-TBS報道1930』は中々チャレンジングな企画でした。

 立憲民主党の党首、枝野氏をゲストに、『設立当初に比べて立憲民主党の勢いが鈍っているのではないか』ということを議論したのです。
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 もうちょっと具体的に言うと、『枝野氏の言ってることはマトモ、正論であることが多いのに、最近はそれが人々に伝わっていないのではないか』ということです。

 菅の支持率は下がっても立憲民主の支持率は頭打ちだし、結党当時の盛り上がりはどこへ行ってしまったのか。
 ボクも含めて、そう感じている人は多いのではないでしょうか?番組は聞きにくいことを本人にはっきり問いかけていたので興味津々。


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それに対して、枝野の答えはこうでした。
今は選挙と選挙の間、選挙の時のように熱いことだけ言ってもダメで、今は党の政策をまとめ、地方組織を立ち上げることを優先した。

 まあ、それは正しい。逆に甘いバラマキみたいなことばかり言ってたら、ボクは立憲民主に失望したと思う。前回の選挙以降 立憲民主と国民民主、社民党との合流という大きな出来事があったのですから、調整が必要だったことは判る。ただ、そんな事情は国民とは関係のないことでもある。それもまた事実。

 議論の中で政治学者の岡田氏が『小選挙区制では政権交代や国会の伯仲状態を作るには大量に得票する必要はなくて、もう400万票とれば良い』ということを持ち出したことを受けて、枝野はこんな話をしました。

今回「枝野ビジョン」という本を出したが、必ずしも多くの人に読んでもらえるとは思わない。まず学者やジャーナリスト、指導的立場の社会人など社会のインフルエンサー立憲民主党の考えていることを伝え、更に400万票を取るための下地作りにしたい

 発売されたばかりの『枝野ビジョン』の内容は番組でも一部紹介されました。枝野氏の言葉とは裏腹に売れ行きも好調で、発売1週間足らずで2回重版がかかっています。

人口が減少する、これからの日本は経済成長にも限度がある。そのような環境では過度な自己責任論から脱却し、支え合う経済と、機能する政府を取り戻さなくてはならない。具体的には政府による所得の再分配機能を高めて低所得者層の所得を底上げし消費拡大につなげることや、医療や介護、保育といった「ベーシック・サービス」を拡充して、経済をテコ入れする。

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 『枝野ビジョン』はまだ未読ですが、大筋はマトモそうです。地方を中心に公共事業のおこぼれで多くの人が生計を立てる昭和の経済構造を変えて行くのは大変ですが、消費税廃止のような空理空論のバカ話とは遥かにマシ、雲泥の差です。

 ただ、枝野氏は『政権交代の準備は出来た』と言っていましたが、ボクはそうは思えませんでした。

 やっぱり立憲民主はまだまだ人材も足りない。政党の体をなすにはまず、組織も政権構想も固めなければならないことは判ります。でも決定的にスピードが足りない。
 それは人材が足りないからです。この番組にも出演した元官僚の小川淳也氏とか中村喜四郎氏のような理屈が判る人材や経験のある人材がまだまだ足りない。例え弁護士とか元アナウンサーとか言っても、山尾とか石垣のように足を引っ張るだけのバカは要らない。

 デジタル庁にしろ、こども庁にしろ、自民党は次から次へと次の手を繰り出してきます。また最低賃金上げだってやるでしょう。そして毎朝TVの視聴率やネットの世論を分析して、どうすれば露出が増えるか、どうすれば受けるか、を真剣に検討している。
 大して手間もお金もかからないのだから、立憲民主だって、その程度は戦略的にならなければ勝負はできません。

 政権交代、それ以前に与野党伯仲状態にならなければ、世襲・縁故と社会不適合者のバカだらけの無能政府のままです。与野党伯仲に持ち込める可能性がある野党は今は立憲民主しかありません。
 涙の大言壮語(笑)やバラマキで選挙の『風が吹く』のを期待するのは間違いだと思います。もちろん選挙に勝つには『風が吹く』ことは必要です。が、それだけでは政権は維持できない。
 望み薄かもしれませんが(笑)、日本人がどれだけ大人になれるか、政党や政治家を育てられるか、それが問題なのだと思います。


 と、いうことで、オンラインでイタリア映画祭2021、映画『略奪者たち』(原題 ''I predatori'')
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舞台は現代のイタリア。ブルジョアでインテリ層のパヴォーネ家と、プロレタリアートファシストのヴィズマーラ家。別々の世界で交わることなく生きてきた二つの家族が交通事故によって交わることから、連鎖するように様々な出来事が起きていく。

 黒沢清監督の『スパイの妻』が銀賞を取った昨年のヴェネチア国際映画祭で、革新的な作品に与えられるオリゾンティ部門の脚本賞を受賞した作品です。スタイリッシュな群像劇のブラックコメディと表現したらよいでしょうか。

 映画は海沿いの街で老婆が詐欺に引っ掛かるところから始まります。年金の支給日 老婆は息子のクラウディオから言付かってきたという男に自分の年金、千ユーロを渡してしまいます。日本でも良くありそうな話です。老婆を始めとしたヴィズマーラ家の面々はお金はありませんが、家族同士の繋がりは強いのです。
●ヴィズマーラ家の誕生パーティ。銃器店を営む彼らは裏社会とも関りがあると同時に熱心なファシストでもあります。家族の繋がりは強固です。

 とにかく映像がスタイリッシュです。画面の構図からして、良く計算された絵画のようです。冒頭 タバコの煙をうまく使ってお話が動いていくのも面白い。こんな映像は見たことがありません。色彩も美しい。

 登場人物は皆 非常に饒舌ですが、説明らしい説明は全くありません、だからお話は中々つかみにくいのですが、映像がカッコいいから全く退屈しません。
●クラウディオの一家


 年金詐欺の後、ニーチェに心酔する学生が出てきます。この、パヴォーネ家の面々は先ほどの下町然としたヴィズマーラ家の面々とは雰囲気が違う。

 彼の母親は映画監督、父親はプロデューサー、叔父は医者。哲学を学んでいる息子は教授にクビを宣告され、親たちは不倫関係にある。

 お金はあるけれど不穏な雰囲気です。誰もが驚くくらい饒舌で毒舌なところだけが、ウィズマーラ家の面々と共通している。
●パヴォーネ家の兄弟。兄は医者(写真左)で弟はプロデューサー(写真右)。弟は兄の妻と不倫関係にあります。

 本来 交わることのない両家でしたが、パヴォーネ家の医者がヴィズマーラ家のおばあちゃんを救ったことから両家には奇妙なかかわりが生じます。

 感謝の念を伝えようと、クラウディオは無理やり病院へ押しかけます。

 ファシストのヴィズマーラ家とリベラルなブルジョアのパヴォーネ家、階級や環境は全く異なりますが、ある点では似ています。誰もが自己主張が強く、腹に一物持っている。

 イタリアにおいてファシストと言うのは今も市民権があるんだなーと思いました。日本で言うところのネトウヨなんかより遥かにメジャーなんでしょう。零細の自営業者やプロレタリアートがそういうものを支持するのも各国共通の現象です。

 一方 インテリの側はそういうものは歯牙にもかけない、バカは全く相手にしない。論争にすらならない。無視です。この分断の深さは日本では想像もできない。

 共通しているのはイタリア人は自分の欲望に忠実に生きているということ。

 邦題は『略奪者たち』ですが、原題のPredatorの言葉を直訳した『捕食者たち』の方が相応しい。男も女も捕食者、そういう内容です。

 辛辣なブラックギャグと本当に良く練られた脚本、そしてスタイリッシュな映像と非常に完成度が高い、ボクにとっては満足度が高い映画でした。これくらいレベルが高いものを見せてもらうとかなり楽しい。面白かった!

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