特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『今ここにある危機とぼくの好感度について(最終回)』と映画『泣いたり笑ったり』(イタリア映画祭2021)

 毎度のことですが、楽しい週末はあっという間に終わってしまいました。今日で五月も終わりです。
 時間の流れは速い、とは思いますが、それでも定年が待ち遠しい(笑)。20代の時から待ち遠しかったですが、今はもっと待ち遠しくなりました。

 TVをつければ、嫌なこと、理不尽なことばかり伝わってきます。とにかくバカな人間と関わり合いになりたくない。そういう思いばかり強くなります。
 例えば今朝のこんなニュース。ちょっと前は無観客と言ってましたが、この期に及んでもバカ政府はオリンピックに観客を入れたいらしい。呑気にコロナ運動会を見に行くアホウも含めて早く死んでほしい。

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 さてNHK土曜ドラマ今ここにある危機とぼくの好感度について』の最終回、良かったです。
www.nhk.jp

 先々週の第4回、この前の最終回は、大学が命運をかけた博覧会が迫っている中 研究室から熱帯地方の蚊が流出して周辺に健康被害が起きた事件を公表するか否かの組織内のせめぎあいを描いたものでした。
●6/2水曜深夜に再放送があります。
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 大金をかけた博覧会を開くために事実を隠蔽しようとする大学組織、被害を受けた人を治療するために事実を公表しようとする広報マンの主人公(松坂桃李)たちがコメディ仕立てで描かれます。
 もちろん博覧会はオリンピック、蚊はコロナウィルスの暗喩です。企画や脚本が出来たのはたぶん昨年でしょうけど、あまりにも鋭い。

 文科省べったりで博覧会開催を至上命令と考える理事(國村隼)は博覧会を開くために事件の公表を止めようと、会議でこう主張します。

教育も研究も(文科省補助金などの)金がないと熾烈な競争に勝ち残れない。現実を見てください

それに対して、学長(松重豊)はこう言い返す。

私は現実を見ています。大学は過ちを犯したのだからしかるべき責任を取らなければならない。それが現実です。

そして、付け加えます。

確かに競争は熾烈です。だからこそこのまま我々が生き残っていけるとは、どうしても思えない。なぜなら我々は腐っているからです

 総長が言う『不都合な事実を隠蔽し、虚偽でその場を凌ぎ、それを黙認しあう』はまさに今の日本の姿、特に男社会です。政治家や役人はデータや文書を改ざんし、言葉をもてあそび、都合の悪いことはなかったことにする。国民はさして関心も示さずに、やがて忘れてしまう。つまり、見て見ぬふりをする。総長曰く、そんな組織はお互いに対して敬意も信頼も持てるはずがない。そんな社会のままでは、日本がこれからの国際社会の熾烈な競争を生き残っていける筈がありません。

 ドタバタが強調されたコメディ演出は賛否があると思いますが、『その街のこども』、『カーネーション』の渡辺あや氏の脚本の切れ味は素晴らしい。コミカルな演技に終始していた松坂桃李君が記者会見で涙をこらえながらも一瞬、誇らしげな表情をするのも良かった。と、思ったら、後のシーンで、それを笑い飛ばすところもなかなか(笑)。
 

 ドラマの台詞を借りれば『腐りきった組織』である今の日本は『生まれ変わるための長く苦しい戦い』を始めることができるのでしょうか。

 ま、ボクは今の日本は沈没していくのみ、だと思います。選挙に行かないような白痴が国民全体の半分もいる今の体たらくじゃ、ムリに決まってる(笑)。
 でも全体を救うのはムリだとしても、例えば女性が活躍できるような一部の企業や団体、それを構成する人たちだけでも生き残ればいいんじゃないでしょうか。
 残りはニッポンサイコーとか妄想を垂れ流しながら、ぶつぶつ不平を言いながらも他人の足を引っ張ってばかり。外国の悪口を言いながら、そのくせ中国などのおこぼれに集る貧乏老人だらけのまま沈没していけばいい(笑)。アホな日本人にはその程度が分相応でしょう。

 今やニュースですらダメなのに、今の日本の現実をストレートに描いたドラマをゴールデンタイムで放送したというのも根性があります。NHKのような腐りきった組織の中でも抵抗する人が少数ながら、いるNHKだけじゃなく、多くの組織にも抵抗する少数の人は居るでしょう。それだけは希望かもしれない。
 よく出来ている分だけほろ苦さも感じる、そんな稀有なドラマでした(笑)。


 さてさて、先週発表された、アマゾンが老舗映画会社のMGMを買収するニュースはビックリしました。昔の『雨に唄えば』、「007」や「ロッキー」、「ターミネーター」を作った、ライオンのマーク有名映画会社、あのMGMが、ですよ。

 確かに今のアマゾンならいくらでも金は出せるのでしょう。
 世の中が変化するスピードは速いものです。ボクもオンラインで映画を見るのもそれほど悪くないと思うようになりました。けたたましく小汚い街に出かけて、訳の分からない奴も混じっている客席で警戒しながら映画を見るより、家でのんびり見るのは快適ですからね。
 もちろん街に出ることで新たな発見もありますが、たいていの禍は他人と関わるから生じる。どう考えても外に出ることのマイナスの方が大きい(笑)。


 ということで、オンラインでイタリア映画祭2021『泣いたり笑ったり』(原題’’Croce e delizia’’)

 裕福でオープンマインドだが利己的なカステルヴェッキオ家と、保守的な価値観を持つ労働者階級のペターニャ家。全く異なる二つの家族が海辺の別荘で一緒に夏の休暇を過ごすことになる。住む世界が全く異なる二つの家族だが、それぞれの家族の長であるトニとカルロは何やら知り合いのようだったが。

 今年のイタリア映画祭で人気NO2の作品(NO1は目玉作品の『靴ひも』)
spyboy.hatenablog.com

 今作はLGBTQをテーマにしたコメディです。

 舞台は海岸沿いにある豪奢な別荘。裕福な美術商であるカステルヴェッキオ家のトニの持ち物です。プレイボーイのトニは男女を問わず多くの人間と関係を持ち、娘も二人作りました。が、生涯一度も結婚したことがありません。今年は別荘に娘や妹たちを招いて夏の休暇を過ごそうとしています。
●カステルヴェッキオ家の面々。美術商のトニ(左)と娘たち。中央がペネロペ。

 その別荘の敷地にある離れの小屋にペターニャ家の面々がやってきます。数年前に妻を亡くした漁師のカルロと息子、サンデルの夫婦です。見知らぬ家族に不審がる娘たちに、トニは家賃稼ぎに貸し出した、と言います。
●ペターニャ家の面々。中央が漁師のカルロ。

 別荘にはTVがなく、壁には同性愛を描いた画が飾ってあります。カステルヴェッキオ家の人たちはTVを見る習慣もなく、同性愛にも偏見を持っていません。しかし、カルロ以外のペターニャ家の面々は拒否反応を示します。二つの家族は富だけでなく、意識・文化の面でも全く交わることがない。
●裕福な美術商のトニ(左)と漁師、カルロ(右)

 実はトニとカルロは3週間後に結婚することになっており、二人は家族にそのことを告げるために別荘に集めたのです。

 二人がそれぞれの家族に結婚することを告げるとペターニャ家の面々、特に漁師の先輩としても父を慕っている息子、サンデル(写真左)は大反対。

 カステルヴェッキオ家の面々は今まで結婚したことがないトニが結婚を決意したことに驚きますが、相手が男でも女でもこだわりはありません。
 ただ幼少時から父親に構ってもらえなかったことがトラウマになっている娘のペネロペだけは心が穏やかではありません。彼女自身は同性愛法案に賛成するデモにも参加するような人です。男同士の結婚は構わない。だけど、父親からの愛情に飢えている彼女は好き勝手に暮らしていた父親が結婚して落ち着くことには納得がいきません。
 ペネロペはカルロの息子と組んで二人の結婚を妨害しようとします。 
●これまた、水と油のサンデルとペネロペですが。 

 特に前半は両家の違いが強調されます。お互いのファッション、同性愛に対する見方やTVを見る習慣の有無など両家の世界は見事に異なっています。カステルヴェッキオ家はマリファナは日常品だし、全裸で日光浴もします。トニだけでなく、女性陣だって『人生は体験だから、相手として男も女も両方試してみたらいい』という会話をしている(笑)。
●トニと娘たち。娘たちの母親はそれぞれ異なっています。

 保守的なペターニャ家の面々には全く考えられません。
●カルロの息子、サンデルとその妻。妻は身重です。

 一方 カステルヴェッキオ家の人たちはマリファナは許せても、子供の頭を叩いて注意するペターニャ家のしつけは絶対に許せない。

●ペターニャ家の面々はTVでサッカー観戦。カステルヴェッキオ家は家にTVがありません。そんなものは見ない。

 しかしお話が進むにつれ、お互いが学びあっていることが判ってくる。カルロはトニから『自由を教えてもらった』と言います。トニは『今まで永遠の愛なんて全く信じていなかったが、カルロは本気で信じているから自分も信じそうになっている』と述懐します。

 全くタイプが異なるトニとカルロも共通している点があります。二人とも相手を心から楽しませようとする人間的な魅力がある。そこは感心しました。わが身を顧みて全く及ぶところではないどころか、自分には人間的な魅力とやらは1ミリもないなーと思いました(泣)。


 カステルヴェッキオ家の面々は裕福でリベラル、何の不足も無いように見えますが、自分勝手だし、孤独を抱えている。他人に対して寛容なのは精神年齢が大人であるということですが、それは孤独を抱え込むということでもあるかもしれません。開けっぴろげでお互いを口汚く罵ったりするペターニャ家の方が相手を信頼しています。
●イタリア映画の楽しみの一つは食卓の光景です(笑)

 両家のコントラストを強調した巧みな脚本に俳優陣の強力な演技がお話に説得力を持たせています。特にカルロを演じるアレッサンドロ・ガスマンは凄く良いです。2016年に公開された『神様の思し召し』でロックスターのような神父役をやっていた人です。
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 一方 トニを演じるファブリツィオ・べンティヴォッリョはパオロ・ソレンティーノ監督、2019年の『LORO 欲望のイタリア』でベルルスコーニに買収される左翼政治家を演じていました。

●海岸沿いの美しい別荘で物語が進んでいきます。

 美しい景色、美しい服とインテリア、美しい女性、カッコいい男、人間に対する深い洞察、大人のユーモアと、イタリア映画に求めるものがいっぱい詰まった玉手箱のような映画。これまた、実に面白かったです。


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