特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

不条理から遠く離れて:『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』

世の中には理不尽なこと、不条理なことは多々ある。歳をとってくるとむしろ世の中は理不尽なことだらけ、と感じるようにもなってくる。

福島の原発事故はその極端な例だろう。
政府の対応遅れや情報隠しで実際に多くの人が被爆したり生活が破壊されたこと、また政府や御用学者が言ってることを検証しないまま垂れ流してチェック機能すら果たせないマスコミの報道を見ていると、改めてそれを思い知らされる。

そういうことが今 現在も続いていることだけでなく、それに対して たいしたこともできない自分に、正直やるせない気持ちでいっぱいだ。


今福島の人たちに降りかかっているようなことが自分の身にもいつ振りかかってくるかもわからないし、実際には既に降りかかっているのだろう。
大組織が個人を、公が民を、痛めつける。今回の事故のような、そういうことは歴史上 今まで何度もあった。ただ今はそれが目の前で起きている。


世の中のそういう理不尽さに対して、ボク(ら)はどうやって生きていったらいいんだろうか


『SRサイタマノラッパー』の入江悠監督の新作映画『劇場版 神聖かまってちゃん ロックンロールは鳴り止まないっ』はそういうことを描いている。kamattechan-movie.com

登場するのは保育園に通う男の子、彼を育てるシングルマザー、プロ棋士を目指す女子高生、神聖かまってちゃんのマネージャー(本物)。1週間先に迫った『神聖かまってちゃん』のギグまでの彼らの一週間を描く、そんな話だ。

ネット配信で『神聖かまってちゃん』を見てばかりいる男の子は保育園では問題児扱いされている。昼は清掃業、夜はポールダンサーをしながら彼を育てているシングルマザーはぎりぎりの生活に疲れ果てている。プロ棋士を目指す女子高生は自分の周りの高校生たちとのギャップにどうしてもなじめない。かまってちゃんのマネージャーはバンドを売り出そうとする広告代理店とレコード会社に歌詞をキャンペーンソング用に改変することを強いられる。


登場人物はみな、世の中の無理解や偏見に理不尽に痛めつけられ、不条理に傷つけられている人間ばかり。


前作『SRサイタマノラッパー』と同じように作りは荒い、この映画の最大の魅力は、登場人物たちのじりじりするような焦燥感が伝わってくるところだ。SRシリーズよりそれがより一層強く伝わってくるのは、登場人物の設定が身近で普遍的だからだろう。主人公がニート・ラッパー(笑)というSRシリーズの設定は最高だけど、やっぱり特殊だし、今回の登場人物たちはどこにでも居そうで、もっと魅力的でもある。
森下くるみの生活感あふれるシングルマザーぶりははまっているし、女子高生役の二階堂ふみはちょっと現実離れしているけれどキュートで、なにより目の力が強い。

登場人物は皆、口には出さないが心の中でこう思っている。


『自分はどうやって生きていったらいいんだろうか』


神聖かまってちゃん』のステージを描いたクライマックスのシーンには若干 マンガ的な演出もあってそこは納得がいかない。
が、奇妙な高揚感が確かにある。
2月に実際にステージを見てやっと理解できたのだが、かまってちゃんはいわゆるロックヒーロー(笑)のようなカリスマでも聴衆の代弁者でもない。熱狂を誘うようなエクスタシーは舞台の上にない。傷ついた等身大の人間の感情と存在がそこにあるだけだ。
この映画にはそれが良く表現されていると思う。


絶叫と轟音に満ちたステージが終わっても、登場人物が抱える問題には何も変わりはない。


また、辛くて理不尽な明日がくる。だからこそ生きていく。


3・11以降 そういうことはより切実に感じられる。ボクは希望なんてものは白々しくてあんまり信じていないが、それでも、もし毎日のなかに希望というものがあるとしたら、きっとそういうことだと思うのだ。