特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

夕食作りと有職主夫:未来の食卓

銀座で『未来の食卓』映画『未来の食卓』公式サイト
学校と老人向けの給食をオーガニックと地元産の食材に切り替えた、フランスのある村のドキュメンタリー。
フランスと言うとグルメ国家であり農業国というイメージがある。実際 近隣の国と比べても、イタリアは別にしてもドイツ、イギリスなどと比べて食い物は遥かにうまい。だが この映画で描かれていたフランスの農業、あたり一面が見えなくなるくらいに葡萄畑や桃畑にガバガバ薬を巻いている風景はちょっと衝撃的だった。世界第二の農業国はそうやって支えられてきたのか。それだけでなく食べ物も給食ではクズ肉などを混ぜ込んで作った加工食品(チ○ン・ナゲットみたいな奴)を平気で使ってたり、する。アメリカや日本ならわかるがフランスですら、そうなのか。
だが、よく考えれば日本以上に巨大流通への集約が進んでカルフールやメトロみたいな巨大スーパーでの買い物が主流になっている国なのだから、加工食品のオンパレードは当たり前なのだろう。それでも映画で描かれていた給食の風景は前菜→メイン→デザートと言う流れでサーブされていたのは流石フランスだとは思ったが。
 そのような現状を憂いた村人たちが、子供たちにはまともな食べ物を、ということで給食を切り替えたのだ。この村長さんというのが中々の人物。オーガニック給食によって費用増を心配する声に対して『これは人間の良心で判断すべき問題で、予算で判断すべき問題ではない』と明快に答える。また実際 医療費などを含めて長期的には費用も下がるはずだ、と。こういうのが大局的な価値判断というものではないだろうか。カネは人間のための手段であって、どちらが大事かは明確すぎるほど明確だろう。それに比べると財政再建のためなら人間を切り捨ててもいい、としてきた小泉以来の歴代の日本政治指導者の視野の狭さ、知性の欠如とはまったくもって対称的だ。
 もうひとつ、映画の最後のほうでユネスコの学者が大事なことを言っていた。
本気で農業を再生したいのなら農業への補助金をやめるべきだ。』。
つまり『その分の補助金をオーガニック食品を使った給食など、需要を創出するほうにまわすべきだ』というのだ。
まさにそのとおりではないか。日本でも農業、商店街など補助金で支えてきた産業、業態は全て衰退の一途をたどっている。労働の対価はカネだけではない。そこには自分の活動の結果、需要(敢えて消費者とは言わない)に応える喜びもあるはずなのだ。それを補助金で不正にゆがめたら補助を受けた側もおかしくなるのは当たり前だ。米作農家もそうだし、商店街だって補助を受けて、ついでに商店主個人の税金まで優遇されていれば、挙句の果てにスーパーより食品の鮮度も悪けりゃ値段も高い、夜7時にしまってしまうような社会的に役立たずの存在になってしまうのは当然だろう。まして某政党のマニフェストにあるような農家への所得保障なんて日本の農業の自滅につながるトンでもない話じゃないのか。
 ただ、この映画、大筋では良いのだが、致命的な欠陥がいくつかある。
まず、監督が自分の主張に走りすぎて説得力に欠けるところ。
例えば農薬漬けの農作物の危険性、特に癌との関連が再三 訴えられるのだが、その具体的な根拠と言うものは最後までほとんど示されない。映画に取り上げられた、母親が農薬作業をしていて癌に犯された子供の話などは心が痛む。しかしドキュメンタリーなのだから健康被害と農薬との具体的な根拠まで示す努力は必要なのではないだろうか。
 あと、食べ物のシーンが少ない。これは完全にアウト。
もっと食べ物を大事に、という監督の主張は結構だし同感だが、それだからこそ、食べ物を大事にすることで我々がどういうことを得られるのか、つまり手をかけて作った食べ物の素晴らしさまできちんと描いて、始めて説得力がでてくるのではないだろうか。この映画には食べ物の素晴らしさ、美味しさに関する描写はほとんどない。
 その点、加工食品はほとんど使わない、出汁やスープもかつおや骨からきちんととって、毎日手作りの夕食作りに勤しむ有職主夫としては許し難い(笑)。
 と言いつつ、たまには夕食作りの手を抜こうと、映画の後はメゾン・カイザーのパンを山ほど買い込んで帰った(笑)。良いパンはワインに合うんだな、これが(笑)。