特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

奇跡はいつも正しいわけではない:セント・アンナの奇跡

 新宿でスパイク・リーの新作『セント・アンナの奇跡』。洋服の処分方法〜いらない服売るならどこが良いか?
 第2次世界大戦中にドイツ軍がイタリアで、無抵抗の民間人560人を殺したセント・アンナの虐殺事件を背景に、イタリアで戦うアメリカの黒人兵たちを描いた、そんな話だ。
 この映画には映像の力、というものが溢れている。のどが切り裂かれ、体が吹っ飛ぶ戦場のシーンは恐ろしい。またナチの捕虜はOKでも黒人兵は店に入れない当時の人種差別の話などは現在のボクなどにはとても想像できないエピソードだ。
 かねてからボクは、同じ第2次世界大戦の敗戦国でも、自分たちでドイツ軍を叩き出し独裁者ムッソリーニを首吊りにしたイタリア人と、国中が焼け野原になっても皇居の前で泣いてるバカもいた日本との違いは一体なんなんだろうか、と思っている。先日 放送されたNHKスペシャル日本海軍 400時間の証言』で、旧日本海軍のエリート軍人官僚たちが、勝ち目がないとわかっていた戦争を何で止めなかったのかと戦後に訊かれて、『そこまで一生懸命 やらなくてもいいと思ったんですよ、わははは』と笑っているテープを聴いたときは、怒りを通り越して殺意すら覚えた。
 だがこの映画で描かれているのは、そこまで無能で無責任な人間たちではない。
イタリア人の子供を助けようとして敵地に取り残されたアメリカ黒人兵4名、そのなかにはインテリもいれば、女たらしもいれば、とろくても心根はひたすらピュアな男もいる。アメリカ軍の中にも黒人を信用せず援護射撃をしない将軍もいれば、極悪ナチの中にも子供を逃がそうとする兵士もいるし、ナチからイタリアを解放するために戦うパルチザンの中にも裏切り者がいる。素朴で善人の村人のなかにもファシストがいるし、戦場で連絡が途絶えた夫のことを忘れてアメリカ兵と寝てしまう主婦もいる。
良いとか悪いとかではない。なんでも、そんなに簡単には割り切れない。
この映画に通奏低音のように流れている人間の重層性、そのことに比べれば、この映画でプロットとして描かれた『奇跡』はそれほど大きなことではないように思える。
 時には世の中には監督がかって描いた映画の題名''Do The Right Thing''よりも価値があることが存在すると思う(その、映画自体は名作だが)。
だから、『セント・アンナの奇跡』でボクが最も感動したのは生き残った黒人兵にナチの将軍が『Defend yourself』と言って拳銃を渡すシーンだ。そして その拳銃が50年後に使われることになる。
 それにしてもナチがパルチザンを『テロリスト』扱いして、罪もない民間人を虐殺するシーンは今現在起きているそのままだ。勿論 スパイク・リーは確信犯だろう。電気が2年以上通じないという、貧しいながらも美しいトスカーナの寒村に辿り着いた黒人兵たちが『イタリアのほうが人種差別を感じない』と感慨をもらすシーンがなんと苦いことか。