特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

A Girl With The Blue Suit (But Out Of The Blue)

 某シンクタンクの人たちと一緒にベトナムへ行ってきました。
 
 写真の彼女はある日系企業の工場に勤めています。工場見学に来た我々に彼女はベトナム事情について、日本語のパワーポイントを自分で作ってプレゼンしてくれました。
 

 彼女が生まれたのは70年代半ば。当時のベトナムは、日本やフランスからの独立闘争やそれに続くベトナム戦争で30年以上続いた戦火が終わったばかりで、国土は破壊されて、人々は貧しかったそうです。
 例えば食料不足のため、多くの家では家畜を飼っていて飼育スペースと台所は共用。食料や生活必需品は配給制で行列を作って受け取らなくてはならない。配給される量も例えば肉は成人一人当たり一ヶ月でたった500グラムだったそうです。
 
 彼女の話を聴いて思ったのは、とにかく戦争はしてはいけない、ということです。他所の国に泥棒しにいっただけの侵略を自衛だったとか今だに言い張っている馬鹿と異なり、ベトナムの場合はアメリカやフランスと戦わざるを得なかった、とは思います。少なくとも門外漢のボクにはそれを否定できません。それでも戦争はあまりにも多くの人たちの人生を破壊する。それを単純に仕方なかった、としていいのか。

 彼女が小学校に入ったころドイモイが始まりました。経済の自由化です。その結果 ベトナムの一人当たりのGDPは20年間で10倍、約1000ドル弱になりました(日本はその40倍近い3万5000ドル)。今やベトナムにも拝金主義の横行や貧富の格差拡大、官僚の汚職、環境破壊などが起こっています。

でも、少なくとも彼女たちは日常の買い物をする際に何時間も行列する必要はなくなりました。また多くの人の移動の足は足から自転車、現在はバイクに変わった。
 彼女は自分のプレゼンをこんな言葉で締めくくりました。
私たちの国は長年戦争が続いて、まだまだ貧しいです。停電も多いし、舗装された道も少ないです。だから今後発展していくためには外国からの投資が必要です。私は外資で働くことで、社会が豊かになることに貢献しているつもりです』、と。

 彼女は別にベトナムの特権階級でもなんでもありません。工場に勤める普通の若い女性だ。日本語を学べたのだから比較的恵まれてはいるでしょうが、1ヶ月の給与だって日本のフリーターの1日分くらいだろう。それなのに普通に、こんな人が居るわけです。

 それにしても、僕は自分の人生や仕事について、彼女のように考えたことは、ありません。見学者の皆も似たような感想をもったみたいで、一同、へへ〜と土下座するしかありませんでした(泣)。