特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

今 書きたかったこと、2つ

4月19日付けで某有名ブログに載った、福島市の人からのメールを見て暗鬱な気持ちになったChikirinの日記
それは政府が定めた避難範囲外で飯舘村に次いで放射線量が高い福島市の人たちが今 どのような気持ちでいるかというものだ。

女性らしいその人は、仕事もあるので逃げるわけにもいかず福島市で暮らしているが、とにかく被爆は不安だし、子供を生むことも諦めた、と言う。さらに『なんでこんな目にあわなきゃいけないのかと泣きそうになることもあります。この1ヶ月ちょっとのできごとが全部なかったことになればいいのに』と言っている。


確かに今まで放射能漏れ事故が起きるたびに原発周辺の地域の住人に対して結婚差別が起きたりしている。だが未だにきちんとした放射能の検査結果が継続的かつ系統的に公表されていない食品ならともかく、人間に対する風評というのはただの『差別』であり、許しがたい。イラク人質事件などの際にもあった、村社会から外れた人間に対する日本人のこういう酷薄さは世界に恥ずべき最低最悪の部分だろう。そういう掛け値なしのバカは、それこそ死ななきゃ直らない。


だが、ボクが感じたのはこういうことだ。
もしボクが今、政府の避難範囲外だけど累積被ばく線量が高い地域の住人だったら、今どうするだろうか。ってことだ。

普通に考えたら、最低限 子供たちや妊娠している人は避難したほうがいいと思う。
だが避難は数年に渡る可能性があるのだから、仕事や家族、ペット、家畜のことを考えたら、大の大人はそう簡単に逃げるわけにはいかない。危険性は理解していても避難できない人も確かに多いだろう

ボクがその地域の住民でもおそらく、少しでも被爆を少なくする方法を探しながら、不安を抱えながら暮らしていくしかないだろうな。


正直なところ、原発で恩恵を受けてきた人たちに関しては、もっと原発に反対すればよかったのにね、とも思わないでもない。
だが、今この瞬間、危険があるにもかかわらず政府が避難区域と認めないことによって、どっちつかずの状態で苦しんでいる人がその地域に何十万人も、いる。


政府が本当に危険な地域を避難対象と認めない理由は単なる不作為なのか、避難者が増えることによる社会的混乱を恐れているのか、自分たちの判断ミスを認めたくないのか、東京電力の賠償金額を少しでも抑えようとしているのか、理由はワカラナイ。

だが今 日本の政府がやっていることは生殺しと同じで、恐ろしく残酷なことだ。
それで苦しんでいる人が大勢居ることは忘れてはいけない、と心から思った。


もう一つ重要なこと。
アメリカのエネルギー省(DOE)が福島第一原発周辺のこれから1年間の被爆量予測を発表した。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110420/amr11042009510002-n1.htm
DOEの元ねたはここ。4/18付けの資料だ。簡単なスライドショーになっているし、パワーポイントも簡単にダウンロードできるから、できれば色んな人の目に触れて欲しい。なお資料はmremと言う単位で記載されているが100mrem=1ミリシーベルト。
http://blog.energy.gov/content/situation-japan/

前回のブログ今がそのとき(2):どっちの判断が正しいのか? - 特別な1日(Una Giornata Particolare)でも書いた、今まで心配していたことがまさに書かれている。
これによると原発の周囲30キロ圏を超えて、原発の北西部50キロくらいまで放射線被爆量が20ミリシーベルト/年に達する地域がある(真っ赤な部分)、とされている。爆発があった頃の風向きのとおりだ。
20ミリシーベルトは今 日本の政府が避難対象の限度としている数値だ(しつこいが、ちょっと前までは1ミリシーベルトと言っていた)。ちなみに元資料によるとアメリカのEPA(環境局)は10ミリシーベルトを超えたらやばい、としている。

避難すべき基準は1ミリシーベルトか(ICRP・日本政府の平時の基準)、アメリカが言っているように10ミリシーベルトなのか、日本政府・ICRPが突然『緊急時の基準として』言いだした20ミリシーベルトなのかは、ここでは問わない。各自が良く考え、判断するしかない。


ただボクだったら日本政府が今 言っていることは信用しない。彼らは住民の健康より、もっと重要視しているものがあるようだから。

チェルノブイリの事故処理を現場で担当して生き残った人はこう言っている「政府発表を鵜呑みにせず自分の身は自分で守れ」チェルノブイリ事故処理班の生存者が語る凄惨な過去と放射能汚染への正しい危機感 | DOL特別レポート | ダイヤモンド・オンライン
『(原発事故の際)国民にとって大切なのは政府発表を鵜呑みにするのではなく、自ら学び、考え、主体的に判断をして行動することである』