特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

ヒロシマからフクシマへ:映画『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』

昨晩放映されたNHKスペシャルは『復興予算の使われ方』の特集でした。それによると、なんと復興予算19兆円のうち3兆円が被災地と関係のないところに使われていたそうです。
例えば文科省東京の国立競技場の補修に復興予算から3億円!経済産業省岐阜コンタクトレンズ工場のライン増設に補助金それでなくても消費税1%で税収2兆円とか言っている矢先です。復興予算は来年1月から、25年間の所得増税2.5%で賄われる。この官僚の驚くべき無責任さと、それをコントロールできない政治家の無能さには驚かざるを得ません。官僚は増税だけでなく補助金も増やすことで自分たちの権限を増やそうとしているようにすら見えます。現場の役人は一生懸命やっている人も多いだろうから、こういうことは言いたくはないです。でも、やっぱりダメ。この国はウソだらけです。
                                                                         

ボクは仕事で地方へ行くことが良くあります。広島は大好きな映画『二十四時間の情事』の舞台なので、好んで出張する都市のひとつです。広島には原爆ドームに隣接して基町と呼ばれる地域があります。県庁やホテルなどがある広島の中心地。以前は原爆で焼け出された人たちが逃れてきた掘立小屋が広がる、地元では『原爆スラム』と呼ばれていた地域だったそうです。
だが今はその面影は全くない。60年代末から再開発されて、河沿いに遊歩道やコンサート会場が設置され平和記念公園に繋がる景観地帯になっています。あほなボクなんか、つい数ヶ月前にPerfumeのコンサートを見に行って『美しい街だ』なんて、いい気になっていた始末です(泣)。
                                              
原爆スラムが強制撤去され、街から原爆の傷跡が消えてしまったことを『街がウソで塗り固められたのに嫌気がさした』として、広島で取材することを止めてしまった報道カメラマンがいます。今年 齢91歳を迎えて、依然現役の福島菊次郎氏。独身、体重37キロ。山口県柳井市のアパートで独居、いや、犬と暮らしています。
                                      

新宿でドキュメンタリー映画ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎』公式サイト|トップ


終戦時は広島で二等兵だった彼は戦後は時計屋を営む傍ら、写真を撮りはじめる。被爆者を密着取材した写真集『ピカドン ある原爆被災者の記録』で日本写真批評家賞特別賞を1960年に受賞して以来、安保闘争全共闘自衛隊、公害、ウーマンリブ成田闘争、上関原発の反対運動などの写真を撮ってきました。
彼は『写真を通じて、表にでないものを引っぱりだしてたたきつけてやりたい』、『問題自体が法を犯したものであれば、報道カメラマンは法を犯してもかまわない。』と言います。
欺いて防衛庁から取材を受注し、三菱重工の武器製造工程を隠し撮りして発表したときは、暴漢に襲われ、家に放火された。それでも彼はめげません。権力に媚びないどころか、国の世話にはなりたくないとして年金の受け取りすら拒否しているそうです。 すごい爺さんです。
●フクシマでの福島氏


そんな彼の根底にあるのは60年前、広島で被爆した漁師さんを取材している際に言われたことだとそうです。被爆の後遺症の痛みに苦しみながらも漁師さんは福島氏に 『俺の体を撮ってくれ。(写真で世の中に知らせることで)俺の仇をとってくれ』と言ったそうだ。因果関係がはっきりしないとして満足に保障もされず、医療も不十分なまま放置された漁師さんに密着して、福島氏は数年間にわたって取材を続けた。そこから生まれた作品は福島氏を写真家として一本立ちさせますが、壮絶な取材過程は福島氏にも、漁師さん本人と家族にも、苦しみをもたらすものでした。プライバシーを晒された漁師さんの子供からは恨まれたし、取材後 福島氏は精神に変調を来たして、精神病院に入院したそうです。
それでも彼は疑問に思ったことを写真に撮り続けました。この夏 広島に設置されたABCC(原爆障害調査委員会)が原爆の影響を調査する際 被害を矮小化するため被爆者の内部被爆を無視していたことがNHKやTBSで放送されたが、福島氏は既に50年代からABCCに疑問を持って、ABCCの解剖室なども写真にしています。
その後も全共闘ウーマンリブ成田闘争、上関原発の反対運動などの現場に入り込んで撮られた写真はボクの知らないことばかりだったし、心に残りました。成田で農地に打ち込んだ杭に自分の体を鎖で縛り付けた農家のおばちゃんの写真を見たら、もう言葉などありません。
                   
                                  
上関原発の候補地、瀬戸内海の漁業の町、祝島では反対する漁民の人たちが27年間 毎週月曜日の夜、今もデモを続けているそうです。27年間!です。官邸前の抗議なんか全然目じゃない。そういう祝島のおばちゃんやおじちゃんたちは、マジで尊敬せざるを得ません。市井には無名でもすごい人たちがいる。ウソだらけの政治家や役人、御用学者が足を引張っても、世の中はそういう無名の人たちのおかげでなんとか成り立っているんでしょう。
                                                                                     
筋金入りの反骨の福島氏がストイックで息が詰まるような人間かというとそうでもありません。夕食を手早く作り、犬と食べ物を分け合って暮らす姿は飄々として、どこかユーモラスです。ウーマンリブ運動の写真を語るときは『いい女ばっかりだった』、60歳を過ぎて、自分より30歳若い女性と同棲したことを述懐する際もまた、『あれはいい女だった』とか言ってる(笑)。上映中 映画館は多くの笑いで包まれていました。ボクには良くわからないところもありますが、福島氏の独特の人間臭さが人間的魅力にも繋がっているのでしょう。散々振り回されたであろう長女は彼のことを『筋が通っていて、格好いい』と言います。 ちなみに福島氏は子供たちの援助を断り、わずかな原稿料で暮らしています。
●彼の著書

写らなかった戦後 ヒロシマの嘘

写らなかった戦後 ヒロシマの嘘

                                           

80年代 世の中に絶望した彼は瀬戸内の無人島で自給自足の暮らしをします。数年後 胃がんでそれを断念した彼は昭和天皇の入院の知らせを聞いてカメラマンに復帰し、戦争責任を問いかける写真展の全国巡回を始めるのです。
                                  
                
福島の原発事故が起きたとき、彼は『また広島と同じことになる』、と直感したそうです。ボクも彼の歩みを見ながら、ヒロシマも、成田も、フクシマと同じだと思いました。
この国では、国が国民を守るどころか、進んで見殺しにする。そういうことが何度も起きています。
                                                     
福島氏は今も現役で活動をしている。福島にも駆けつける。急な階段だと若い人におぶってもらうほどだが、カメラを持つと動きが途端に俊敏になるのには驚きます。映画は91歳の福島氏が、50年前に取材した被爆した漁師さんの墓参りをするところを描いています。日が高いうちに墓地についた彼は夕方までずっと墓前に額ずいていました。やがて彼は墓石にしがみつき、許しを請いながら、文字通り泣き崩れる。映画はここで、終わります。

2時間と言う上映時間がとても短く感じられる、傑作ドキュメンタリーでした。