特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

おひとりさま版『強者の論理』:上野千鶴子講演会

上野千鶴子氏の講演会『男おひとり様の生きる道』@丸の内。
上野氏を生で見るのは初めて。
どうしても著作から受けるイメージがあるので、強面の学者さんという想像をしていた。ところがご本人をライブでみると声も物腰も柔らかくて、ちょっと意外な印象がする(こういうことを書くと本人は鼻で笑うだろうが)。 ま、関西の意地悪ばあさんって感じか(これは別に悪口ではない)。

講演の内容は要するに、『少子高齢化が進む中で今後は男も女もお一人さまが避けられない』という近著『男おひとりさま道』の内容の解説。 環境変化(親子の同居率低下、婚姻率低下、高齢化)⇒今後はお一人様の老後の多発⇒加入脱退が自由で強制力がない『選択縁』を目指そう、というストーリーである。

男おひとりさま道

男おひとりさま道

お一人様の老後が多発するという環境・トレンド分析、その対策として自由意志に基づく『選択縁』を目指そう、ということ自体は全く異論はない。
特に『昨今はコミュニティというコトバが流行っているが、(自由意志に基づかない)例えば地域などのコミュニティの復権なんかお断り』という上野氏の意見には全面的に賛成する。

格差問題が注目を浴びるようになって、『市場万能主義によって、かってのコミュニティや人とのつながりが壊れてしまった』みたいな意見がある。
上野氏も言っていたが、かってのコミュニティや人とのつながり(地縁・血縁・社縁)は、個人への規範の強制という面も大きかったのではないか。それがセーフティネットとしても作用していたことは否定しないが、それはお仲間の中だけの話しで、そこから外れたものに対してはセーフティネットどころか抑圧としてしか作用していなかったはずだ。村八分というコトバに代表されるように、日本社会の部外者への扱いは極端に冷たい。それは戦前戦後を通じて殆ど変化がないことの一つだろう。

ボクの日常ですら、いわゆる男らしい男、サラリーマンらしいサラリーマン、日本人らしい日本人、そういうものを強制する、有形無形の圧力というものは多かれ少なかれ存在している。
だが、ボクは仕事は嫌いだし、ゴルフもしたくないし、野球もサッカーもマージャンも賭け事も興味がない。会社帰りに居酒屋へ行って、楽しいと思ったことは一度たりとも、ない。
そんな暇があったら、良い映画を見て、良い音楽を聴いて、美味しいものを作る&食べる、自分にとって楽しいことを極力 追求していたい。
出来ればボクは、自分の意に沿わないことを他人から強制されるような生活はしたくない。かってのコミュニティや地縁・血縁・社縁に対するノスタルジアはお断りだ

だが上野氏の意見に対して根本的な疑問がある。
確かに自由意志による選択縁自体は否定しない。しかし、上野氏のように、それを強調することで発生する問題が二つあると思う。
一つはセーフティネットの未整備など日本本来の問題点が覆い隠されることに繋がりかねないということ、もう一つはセーフティネットになりえるような選択縁というものは非現実的としか思えないということだ。
特に後者。
当日 上野氏は『田中康夫氏が言っていたカップル文化なんか日本に定着するわけがない』と言っていたが、上野氏の『セーフティネットとしての選択縁』も全く同じことではないか。
上野氏は 『一人で時間をつぶして楽しく暮らすには莫大な文化資本を身につけている必要がある。それよりは友人関係を作るほうが簡単ではないか。例えばボトルシップ作りのような趣味に走るのも良いが、それには根気も技術も必要である。』という。

でも、選択縁作りも大変だよ(笑)。上野氏が言うように、一日に一回電話をくれて自分の生死を確認してくれるような友達(笑)って、一体どんなんだ??

所詮 上野氏の論理は『人間関係における強者の論理』だ。強者の論理は強者の論理ということ自体では非難されるべきではない。おそらく『女縁』を中心に多彩な人間関係を構築できているであろう上野氏がそういう意見を強調すること自体は尤もなことだ。上野氏も含めて人間、誰しも自分が都合がよい方向に考え、生きていくものだからだ。

強者の論理の問題点は立場が違う人、特に弱者にとって全く影響力を持たない、普遍性がないということだ。人間関係作りが不得意な、いわば人間関係作りの『弱者』にとって、上野の意見への反応は『ああ、選択縁なの、女縁なの。そうなの、楽しいの?それだけね。でも、ちょっと面倒くさそう。』というだけだ(笑)。
上野氏の『人間関係における強者の論理』はボクには全く関係がない。だってボクはそうじゃないんだもん(笑)。

そもそも老後に上野氏のような意地悪ばあさん(笑)とつるんで面倒くさい思いをするより、一人でボトルシップでも作っていたほうが楽しいに決まっているではないか(笑)。