特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『1968年と2015年の間』と映画『美術館を手玉に取った男』

いやあ、12月になって本当に寒くなりました。
今週は土日に反原連とSEALDsが銀座でデモをやるので、金曜日の官邸前抗議自体がお休みです。代わりに、普段はあまり書かない、政治活動に関するお話を書いてみようと思います。ブログに政治の事は書きますけど、ボク自身は政治活動には全く興味ないです。とにかくボクは集団活動、組織というものが大嫌いです。それでも、たまにデモに行くのはロックファンなら当たり前だろう(笑)って思ってるからです。今週はたまたま学生運動が盛んだった1968年と2015年の違いに関する記事に3つ出会いました。良くも悪くも興味深かったです。
                                                                            


まず1つは『ノー・ニュークス・ヴォイスイチオシ新刊ピックアップという雑誌のSEALDsの奥田くんと編集長の松岡氏の対談。今まで、この雑誌は過激派の本か(笑)と思って無視していたんですが、関西で毎週頑張っておられるnankaiさんが面白いと仰っていたので晩秋の金曜行動 - 青空学園だより、読んでみました。nankaiさんによるとこの雑誌の編集長・出版元はブント系無党派だそうです。ボクにはまず、ブントで無党派、の意味がわからないんですけど(笑)、きっと70年安保で活動してた人なんでしょう。少なくとも奥田君と会話は成立しているので過激派とは違うようです。

                                                             
この対談はネットで多くの人が述べているように、ボクも『逮捕上等のオールド左翼が、マイペースの若い子に自分の妄想をぶつけて無視された』(笑)という感想を持ちました。例えば8月30日の大規模集会について松岡氏は『自分は老人で出来ないけれど、国会ぐらい突入しろよと言う気持ちがあった』と言っています。これを読んで、『自分で出来ないことを他人に、しかも自分より若い人に言ってどうするんだ(笑)。このジイさん、自分で自分が恥ずかしくないのか(笑)』 と思いました。いい歳こいて、現場には高校生も子供連れもいることにも考えが及ばないのは救いがたいアホです。こういうアホが居たから70年安保はあんな顛末になったんでしょう(70年安保に参加した上野千鶴子も後述の対談でまさに同じことを言っています。デモや運動のような非日常の中でこそ、彼らオールド左翼の中に内在する差別性が可視化される、と。)
                                  
それに対して奥田君のほうは『70年安保で後の世代が繰り返したいと思うようなものはない』、『逮捕されたら、運動なんかできなくなる。大事なのは日常の暮らしだ』、『刹那的にならないことが重要だ』と返答します。全く彼の言う通りです。8/30の国会前、大群衆で混乱しかけた時、奥田君は逮捕の口実になる混乱を沈静化させようとした。すると彼より『年上の人たちから、「なんだよ、それ」って怒られたりした』そうです。『その場は「先輩たちが居て、今までも、これからもあったから」とスピーチして凌いだ』とまで言うのです。全くみっともない話です。何のための年長者かって。
奥田君は松岡氏の3分の1くらいの年齢だと思いますが、話を聞いていると、どっちが年長だか判りません(笑)。松岡氏は他人とコミュニケ―ションをしようとする態度はあるように感じたのでオールド左翼の中でもまだマシな部類とは思いましたが、こういう社会人としての常識すらない人たちの存在は弊害の方が大きい。まあ居てもいいけど、みっともないから、デモなどではあまり目立ってほしくない。この人達の話や主張を聞いても、世の中の大多数は耳をそむけることはあっても(笑)、耳を傾けることはないから、です。今夏 デモに色々参加してボクが感じたことの一つは、頭が悪いオールド左翼って、基本的には要らない、ってことです(笑)。普通のまともな人は動けない平日昼間に座り込みでもやってればいい(笑)。こっちはバカは相手にしている暇はないんです。連中は一般の人への影響力は皆無でしょうから(笑)、目くじら立てなくてもいいのかもしれませんが。同じ世代でも、SEALDsの子たちの抗議に参加しつつも邪魔にならないように片隅に佇んでいたという山本義隆氏と、ここまで人間の質が違うものなのか。1968年と2015年の差を大きく感じる対談でした。

*上記を書いた後、この雑誌に奥田君と一緒にインタビューが掲載されている反原連が抗議声明を出しました。『今後この雑誌との関係を断つ』と言うのです首都圏反原発連合:ステートメント 【鹿砦社発行「NO NUKES Voice」に関する見解と広告掲載中止などについて】 | 首都圏反原発連合。理由は『1.記事の偏向性、2.信義則に反したやりとり、3.反原連への内政干渉中核派などのビラ配りの禁止を取り下げないと広告を載せないと松岡氏が申し入れた)』。反原連が奥田君をこの雑誌に紹介しましたが、行われたインタビューは奥田君を非難するのが目的だったそうです。しかし奥田君が耄碌ジジイの妄言を全く相手にしなかったのは、前述のとおり。反原連の抗議を読む前から、松岡は『左ボケした認知症ジジイ』と言うのがボクの感想なんで、特に驚きはありません(笑)。要するに、インタビューを受けた側からそういう指摘を受けるような本なんだと思います(笑)。**nankaiさん、ご紹介いただいた雑誌に勝手なことを言ってすみません。



2つ目は70年安保のオールド左翼のダメさ加減とその帰結を考えさせる記事です。雑誌『atプラス26』の特集「シニシズムを超えて」の中の上野千鶴子氏と北田暁大東大教授の対談「『1968』と『2015』の間」。

atプラス26

atプラス26

                                          
対談では、自分も70年安保に加わった上野が『70年安保の無様な敗退以降 自分も含めて多くの人がああいう風にはなりたくないと、社会変革に対してシニシズム冷笑主義)が支配してきた。が、2015年の出来事でそれは変わったのではないか』というのに対して、北田は『むしろ2015年の出来事は70年代、80年代からの過去の積み重ねの延長線ではないか』と反論します。ボクとしては、そんなこと どうでもいい(笑)。上野の言ってることも北田の言ってることもどちらも正しい。すべてのものは過去からの積み重ねだけれど、時には非連続的な変化も世の中には起こりうる。

大事なのは二人の結論です。『このまま団塊ジュニアの世代が老人になったとき、日本は悲惨なことになるのではないか。シニシズムに捉われていると、ツケは回ってくる。』というものです。その通り。今後日本は少子高齢化で低成長が続くばかりではなく、あと10年くらいで国家財政はやばくなるし、厚労省によると2025年には介護で100万人、看護で50万人足りなくなる。この期に及んで、国会に突入するとか呑気な認知症みたいな話をしてる場合ではない。現実をどう変えていくかの方に真剣に取り組むべきなんです。
他にもこの雑誌は、英労働党の新党首になったバリバリのオールド左翼(笑)、ジェレミー・コービン氏が登場した背景に関するブレイディみかこ氏のレポートが非常に面白かったです。昨日もコービン氏はイギリスの国会でシリア空爆反対の論陣を張ってましたが、同じオールド左翼でも地に足が付いたコービン氏と日本のオールド左翼の違いはなんなのか、興味があるところです。

                                               
3つ目は12月1日にアップされて話題になっている、作家の笠井潔氏の論考『3・11後の叛乱 反原連・しばき隊・シールズ3.11後の叛乱 反原連・しばき隊・シールズ|集英社新書
笠井潔はちょっと前に永続敗戦論白井聡氏と共著で『日本劣化論2014-07-28 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)を書いた人です。

日本劣化論 (ちくま新書)

日本劣化論 (ちくま新書)

                                               
笠井は『70年安保当時に盛んだった『自分たちが真理を独占する(自分たちだけが正しい)』というボルシェビキ的発想に立った日本の新左翼(いわゆる過激派)は、ヨーロッパで実現されたような社会民主主義的な発想に脱皮することが出来なかった。一方 2015年に活躍したSEALDsやそれを応援していたしばき隊(反原連から分岐した人たち)はそこから脱却することに成功している』と言います。『新左翼(過激派)は政治団体というよりもはやカルト団体で、今夏も抗議の足を引っ張ることしかできなかった』とも指摘します。全く正しいと思います。
一方『SEALDsの子たちはシニシズム冷笑主義)に捉われていない。むしろリア充に見える』と言っています。その理由は『日本社会の劣化が進み、SEALDsの世代は今や引き籠る余裕すらない。彼らの中にはデモへ行く交通費もない子や高額の奨学金さえ背負っている子もいる。だからリア充化せざるを得ないのだ。』と言うのです。奇しくも同じことを度々SEALDsの集会に参加した憲法学者樋口陽一氏も現代思想8月号で『彼らの世代の飢餓感が危機感に変わったのだ』と指摘しています。二人の指摘は、高度成長期の1968年と新自由主義が一巡したアベノミクス不況の2015年の状況の違いをうまく説明していると思います。
現代思想 2015年8月号 特集=「戦後70年」

現代思想 2015年8月号 特集=「戦後70年」

                                                     
笠井氏の論考の中で指摘された今夏 左から浴びせられたSEALDsの子たちへの批判、『現状肯定的だ』とか『日米安保を容認している』はボクも非常に腹立たしかった。挙句の果てには辺見庸みたいに『警察と闘わないで何が平和運動だ』みたいな言いがかりまでありました。現実を変えるために何の役にも立たない彼らのくだらない妄言は日本の左翼の知的劣化如実に表しています。永年の平和ボケで現実に向き合うことすらできないんですね(笑)。笠井氏の話は往復書簡の形での連載なので、これからどう展開していくか楽しみです。無料だし面白かったので、ぜひご覧ください。』3.11後の叛乱 反原連・しばき隊・シールズ|集英社新書


                                            
後半2つの記事に言及されている、日本を覆うシニシズム冷笑主義にどう立ち向かうかという課題は確かにあるでしょう。70年代の学生運動の無残な末路内ゲバや保守化)を見ると、ボクも『バカな奴らだ(笑)』と思います。当事者である上野ですら、そう言っている。その結果 現実なんか変わらないと決めつけるシニシズムの空気が日本を何十年も覆ってしまった。それに風穴を開けたのがSEALDsの子たちの活動でしたが、それに対するバカ左翼の言いがかりはシニシズムを維持したいという、彼らの無意識の中の現状維持欲求が反映されたものだとボクは思います。彼らに限らず歳を取れば、そうなる人は多いですからね(勿論 例外の人も大勢います)。
しかし、今 シニシズムより大きい問題は反知性主義でしょう。偏ったロジックで、実証性や客観性を欠いたまま、物事を判断してしまう傾向はますます強まっていると思います。 テロが起きると強硬論が沸き起こるのも、感情的な反原発論も、根拠が不明瞭なTPP反対/賛成論も、ネットのデマに多くの人が踊らされるのも、松岡氏が『国会へ突っ込め』というのも、典型的な反知性主義です。今の世の中が右傾化しているのは左翼の知的劣化が甚だしいからでもあります。今回の対談で上野が挙げていたSEALDsの女の子たちへ向けられたセクシズム、笠井が挙げていたSEALDsへの言いがかり。連中の頭のレベルはネトウヨと変わりません。
                                     
かといって反知性主義を反知性とラべリングしても問題は解決しません。言葉が通じないから反知性主義なわけです。多くの場合、バカにはコトバは通じません(笑)。
結局 出来る限り他者とコミュニケーションをしながら、現実的に、対処していくしかないのだと思います。現実的というのはイデオロギーや過去に拘らず、状況に応じて臨機応変に行動する、ということです。事実を謙虚に見つめ、ダメなものはダメ、と言うことでもあります。そのためには自分が当事者であることを自覚する必要がある。だって誰もが自分の人生の当事者にならざるを得ないじゃないですか(笑)。そして誰もが当事者であるってことは民主主義を取り戻すことでもあります。おお、話がつながった(笑)。



今回は、デモのレポートの代りに映画のお話を。無名ですがすっごく面白かったんです。渋谷で映画『美術館を手玉に取った男man-and-museum.com - 

ピカソなど著名な画家の贋作を美術館に持ち込み、全米46か所の美術館を30年間、騙し続けていた男がいる。彼の名はマーク・ランディス。2011年、アメリカ各地の美術館に展示されていた数々の名作が偽物だったことが判明し、FBIも捜査に乗り出すが。

ウソみたいな話ですが、実話です。美術界に造詣の深いジェニファー・グラウスマン監督とサム・カルマン監督が謎の男ランディスの素顔に迫り、ランディス本人や事件に関わった人々に密着していきます。
贋作者ランディスに密着なんてことが出来るのか、と思われる方もいるかもしれません。実は100点以上の贋作を作っても、ランディスは罪に問われなかったのです。それは何故か。ランディスは全て美術館に寄付をしており、一銭も受け取らなかった。だからFBIも手が出せませんでした。ただ贋作を本物と信じ込んだ各美術館の目が節穴だったというだけなんです(笑)。
ランディス。一見 上品そうで美術品を寄贈できるようなブルジョワに見えます。

                                 
ランディスはどんな人間だったのでしょうか。彼は子供の時から親に連れて行かれた美術館で模写をするのが唯一の趣味でした。彼はティーンエージャーの時精神の病を患って1年間の入院歴もあり、今もクスリを処方されています。そんな彼の唯一のアイデンティティは贋作を作ることだったのです。彼は悪意を持って、贋作つくりをしているわけではありません。美術館は喜んでくれると心底信じているのです。彼は人並み外れた集中力と技術で贋作を量産します。これが本当にうまい。ボクが見ても本当に上手な絵です。ですが、絵心というか作者が持っているであろう精神的なもの、心象風景は全くない。ただただ技術的に見事で見分けがつかない。だから彼は異なる作者、異なる作風でも簡単に模写できます。大変ユニークな存在です。
精神科医にかかるランディス。こんなところまでカメラは入り込みます。

私生活のランディスは独身、一人暮らし。食事は冷凍食品をレンジで温めるだけ。幼少時に観た昔のTV番組のビデオを見る以外は、ひたすら絵に没頭します。孤独でストイックな彼の姿は非常に印象的でした。
ランディスの制作風景

                                          
ランディスの正体を暴いたのは彼に騙された、オハイオの美術館員でした。それまでは騙された美術館は騙されたことに後で気がついても、殆ど公にしていなかったそうです。黙って展示をやめるだけ、というのが殆どの対応でした。そりゃ、そうですよね。自分たちの目が節穴だったのを公表することになってしまいますから。オハイオの美術館員は騙された憤りで正体暴きを始めたのですが、だんだんユニークなランディスの行動にシンパシーを抱くようになっていきます(笑)。あまりにもランディスを追いかけることに熱中しすぎて彼は職を失いますが、それでもランディスのことを追い求めるのです。
ランディスのことをスクープしたフィナンシャル・タイムスの記事

                                  
1人でアパートに住んでいるランディスを見つけたのはフィナンシャル・タイムスでした。TVも新聞も大騒ぎになります。だけどお金を一銭も受け取ってない彼には誰も手が出せない。それにランディスは心底から自分は善行をしていると信じています(笑)。挙句の果てにはランディスの贋作のあまりの質の高さに、彼の回顧展が開かれる始末です(笑)。
●彼の回顧展にて。ホント、上手いんです。

                                         
そういうところは良い物は認めるアメリカの奥深さですね。回顧展を企画したキュレーターも彼の正体を暴いた美術館員も、大勢詰めかけた観客も、ランディスの腕前を称賛するとともに、彼に贋作ではなく自分の作品を描くことを勧めます。ですが人前に出ると無器用なランディスはなんとも気乗り薄です。やがて彼はワインが入った紙コップを持ったまま、一人で回顧展の会場から消えてしまいます。
●美術館員(右)とランディスは、展覧会で再会します。             
                                              
                                                    
今もランディスは贋作を作り続けています。盗難や火事などで失われた作品の贋作です。彼は今度こそ、他人に本当に喜んでもらえると信じているんです。
ウソみたいな本当の話ランディスの人間像も含めて、とっても面白い作品でした。