特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『1億特攻への道』(NHKスペシャル)と『古民家でプリンを食べる』(夏休み旅行記2日目前半)

 処暑も過ぎて、さすがに夏の猛威もピークを過ぎてきました。
 毎年この時期だけ、戦争を取り上げるマスコミを茶化して『8月ジャーナリズム』という言葉もあるそうです。確かにそう思います。
 でも学ぶべき点や新しい観点がないか、とも思うので、たいていの物は録画して早回しで見るようにはしています。

 今年のNHKの放送では17日の土曜日に放送されたNHKスペシャル“一億特攻”への道 〜隊員4000人 生と死の記録〜』が印象に残りました。実際に特攻に駆り出された人や遺族の事情や心境にクローズアップを当てたものです。


www.nhk.jp

 改めて驚いたのは特攻に対する当時の社会の反応、です。
 遺族の家にはニュースで特攻を知った弔問客が数千人も訪れたそうです。遺族はその対応でてんやわんやで悼むどころではない。また戦死した特攻隊員の写真は女性誌のグラビア!にまで載せられていたそうです。

 情報が統制されていたり、マスコミや軍部に乗せられたということもあっても、当時の日本人は狂っていたとしか言いようがない。
 全然関係ない奴が数千人も遺族の家に押しかけてきたり、戦死者を讃える奇妙な歌まで勝手に作られる。歌の作者は、自分は健康上の理由で徴兵されなかった奴というのですから、無責任・無神経・無知も極まりない。こいつも戦争犯罪人です。

 女性誌のグラビアというのも、今でいうところのジャニーズや韓流みたいな扱いでしょうか。
 たまにイベント会場がある駅を通るとジャニーズのイベントと重なることがあります。あのファン連中はマジで怖い。皆同じような格好(しかも田舎から都会に出てきたことが一目で判る)、同じグッズを持って、傍若無人なデカい声で喋ってる。駅や近辺の通路は阿鼻叫喚、文字通り地獄です。 
 それ以上は言いませんが(笑)、あのエネルギー『だけ』は凄い。ジャニーズの性被害を訴えた人を酷く中傷しているのはああいう連中(の一部)でしょう。
 そんな宗教もどきの連中が特攻隊を賛美してたら、もう、どうにもならない。自分たちが特攻に行けばいいのに(笑)。

 特攻を賛美する風潮は軍部やマスコミが作り、自分たちの権力や金儲けのために利用しました。特に学徒動員で特攻に駆り出された人はインテリだから、そこまで判っていた人も多いでしょう。
 でも現実には多くの国民が自発的に作り出した社会的な圧力に抗して正気を保てる人は少ない。家族の所にまで訳の判らない奴が数千人も押しかけてくるようなプレッシャーを掛けられたら、判っていても死にに行かざるを得ない。今のネットで行われるような集団リンチも顔負けです。
 天皇や軍部、政治家だけでなく一般の日本人の戦争責任はめちゃめちゃ大きい

 あと、もう一つ、埼玉大教授で戦史研究家の一ノ瀬俊也氏が言ってたこと。
 『1億総特攻と言う言葉は国民を思考停止させる道具になっていた』というのです。

 鋭い指摘だと思いました。
 スローガンには確かにそういう力はある。政治家が良く使う『改革』にしろ、安倍晋三の『日本を取り戻す』にしろ、意味が判らない。何をどう、改革するのか、どんな日本を誰から取り戻すのか(笑)、国民の間でそんな議論もさっぱりない。
 意味は判らないけど、それが社会の中で通ってしまう。小泉改革にしろ、アベノミクスにしろ、維新の大阪府政にしろ、今だって特攻に熱狂していた昔とそれ程 変わりはない。

 バカウヨや政府だけでなく、左だって一緒。
 安保法反対の時、国会前でSEALDsの大学生たちが理路整然と自分自身の言葉で意見を述べるに対して、総がかりなどのジジイ左翼連中はただ、悲痛な声で『頑張りぬきましょう』(笑)と絶叫しているだけ。何をどう頑張るのか、目指すべきゴールは何か、そんなことを話している奴は誰もいなかった(笑)。
 言ってることの意味がさっぱり分からないだけでなく(笑)、孫世代に、見識すら遠く及ばないジジイ左翼連中の今までの人生って何だったんだろうとすら、思いました。
 右も左も関係なく、スローガンや美辞麗句は人を思考停止させることを良く示す出来事でした。


 今も特攻のことが語られ、時には美化されます。『(知能が)永遠のゼロ』みたいな商売や権力のために特攻を利用する奴も多い。でも若者に特攻を命じ、多くは戦後ものうのうと暮らしていた連中の責任は殆ど語られない。
 また、特攻は悲劇ですが亡くなった人数は約4千人です。100万人以上もいる飢え死や水没した人、更に日本軍の蛮行で犠牲になった外国人のことは特攻ほど多く語られているでしょうか

 同調圧力とスローガンに踊らされ、思考停止するのは日本人の得意技かもしれません。
 この時期は毎年、甲子園の悪口を書きますが(笑)、日本人が甲子園、最近だったらオリンピック中継に夢中になっている間は、この国には民主主義はやってこない。ボクはそう思います。
 朝日や毎日などリベラルと言われる新聞社が甲子園を主催しているのが象徴しているように、日本人の多くは左右に関係なく、メンタルがファシストなんですよ(笑)。


 さて、旅行2日目です。
 海に映える朝の陽光が美しいです。

 また、朝ご飯がどっさり出てきました(笑)。昼ご飯を沢山食べる予定だったので軽く済ませるつもりだったんです。

 とにかく、海産物は美味しいです。
 穴子の一夜干し。干物なのに身が異様に分厚い。脂ものっている。どうなってるんだ、と思うくらい美味しかった(笑)。
 広島サーモンを塩こうじとレモンで軽く漬けたものも臭みが消えて美味しい。これは家で真似しようと思いました。

 瀬戸内の鯛入りの豆乳湯豆腐

 食後、前夜は外から見た厳島神社を見に行きました。

 水と朱塗りの社のコントラストが素晴らしいです。

 能舞台

 こちらは正面の高舞台。

 古来から色んな人が舞台に立っているんでしょうが、ジョン・レノンオノ・ヨーコもステージをやったこともあるそうです。こんなところでレノンを見たら、文字通り一生忘れられないでしょう(嘆息)。

 古い街並みも美しい。

 11時に宿をチェックアウトして、船で対岸の宮島口へ戻りました。

 今度は宮島口の駅から炎天下の中を歩きます。ちょっと離れたところで細い道を登っていきます。

 近くには民家すらない丘の上に、一部では広島で最も美味しいという説があるレストランがあるというので、行ってみたのです。

 フレンチの料理人が古民家を改造した店で創作料理みたいなものを作っているらしい。ボクは『創作料理にうまいものなし』が信条?なので、疑心暗鬼のチャレンジ(笑)です。

 創作料理かフレンチかという問いには、フランスの一つ星、三ツ星で修業して日本のコンテストでも優勝したという赤井シェフは『美味しい料理を出したいだけ』と言ってました。

 シェフの旦那さんとソムリエの奥さんが二人でやっている’’AKAI''というお店です。看板すらない。キャパは10人くらい。

 インテリアは極力 もとの民家の物を使っているそうです。

 目がクリクリして(笑)可愛らしい奥さんが出してくれたシャンパンはブラン・ド・ブラン💛。

 地元の夏野菜とスッポンのコンソメゼリー
 地元農家が作ったキュウリは軽く塩をして、万願寺唐辛子やオクラは軽く茹で、上にはカボチャ、下に埋まっている焼きナスは香ばしい。仕事が細かい。

 地元の天然アユ
 生です。冷たいスープに漬かっています。スープに浮いてくるほど脂がのっていました。シェフ氏は『もう、8月だから』と言ってた。付け合わせはズッキーニを軽く干したもの。

 白ワインはボクの嫌いなリースリングみたいなボトルだったので心配したのですが(笑)、北海道のもの。オレンジワインのように色が濃い。味や香りも複雑で感心しました。

 地元の白茄子

 これまた、瀬戸内の白アマダイ
 アマダイではなく、『白』アマダイと言って出すのがシェフの拘り?(笑)。下には万願寺唐辛子のリゾットではなく『おかゆ』。瑞々しい。フルーティです。想像できます?

 じゃーん、地元産スッポンのから揚げ

 そりゃあ、全部食べる(笑)。野鳥かウサギみたいな味で美味しかったです。

 昼だし、アルコールがきつくなってきたので、お茶をもらいました。甘い阿里山の烏龍茶

 奥さんは『アルコールが弱いと仰っていたので、どうしたら良いか迷ってました。お茶と言ってもらって助かりました』と仰ってました。お茶の自然な甘みだけでなく、率直な会話も心地よいです。

 蒸したオコゼ。夏の魚。
 自分で料理しようとは思いませんが、美味しい魚です。ぷりっぷり。上に載っている地元のハーブが効いてました。

 スロバニアのワインだそうです。フィネスはあるけれど、あまり重くはない。

 次が、夏のエゾシカだからです。肉はマグロの赤身みたいですが、もっと瑞々しくて爽やかな味です。もうちょっと肉が締まっている方が良い、という人もいるかもしれませんが、真夏にはこれくらいがちょうど良かった。
 上に岩塩が乗ってますが、肉汁を詰めて作ったソースが美味しかった。ワサビともピッタリ。

 フレッシュバジルと瀬戸内レモンのアイス。これも美味しかった。使ったバジルの量の勝利でしょう。

 今度はシェフが自ら、食後のコーヒーの豆を挽き始めます(笑)。

 そして、蓋をして豆を蒸す。全部自分でやりたいらしい(笑)。
 かって自分が修行したフランスの店のオーナーシェフが飲み物まで気を使っているのに影響された、と言ってました。

 プリンは5年前に店を開いてから、毎日作っているそうです。近くの農家から仕入れている卵や牛乳の味は季節によって違うし、色も違うと、言ってました。クラシックな硬いプリンはどこか懐かしいけど、すごく美味しかった。

 総じて、何から何まで地元の食材を使って、自分一人で、ちゃんと作った料理です。敢えて選んだにしても、この場所でマニアックな料理をやっていくのはさぞや、大変でしょう。

 でも、嫌いじゃありません。ボクが好きな店は大抵そうですが、地味だけど地元の材料を使って丁寧に作った料理。こういうのが本来の『食事』です。豪華な食材とか映え(笑)とか、は二の次です。
 地域に根付いた食べ物、料理を大事にすることは自分たちの文化を大事にすることでもある、とボクは思っています。