特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

この世界で正気を保つために:映画『カモン カモン』

 今日は過ごしやすいお天気です。気持ちいい。
 でも週末はあんなに楽しいのに仕事が始まると、どうしてこんなに気分が暗くなるのか(笑)。これまた不思議なものです。


 フランスの大統領選は現職のマクロンが勝ってほっとしました。現職の再選は20年ぶりだそうです。でも極右との決選投票、しかも差は前回より詰まっているのは恐ろしい。ルペンは本気で勝つつもりだったようですし。

 既存政党、保守も左派も凋落してしまった以上、良い悪いではなく、マクロンのような中道、もしくは中道左派くらいの候補でなければ現実に社会をまとめることは難しいと思います。

 しかし、それでは左派も右派も不満を募らせることにもなります。ただでさえ、都市と地方、グローバリズムと旧来の経済構造(農業や製造業、自営業者)は分断が進んでいく。その隙間にルペンのようなポピュリストが入りこむ隙はどんどん大きくなってくる。

 極右のルペンは一部品目の消費税廃止を提唱していたそうですが、ルペンもトランプも山本太郎も、減税と親ロシアということでは共通しています。ルペンに至ってはロシアから資金提供を受けている。消費税廃止のような現実に目を向けない政策と専制主義は相性がいい。どちらも「無責任」という点において共通しているからです

 フランスで起きていることはほぼ、どこの先進国でも起きていると言えます。この分断をどうやって埋めていくかは大きな問題です。

 それが判っていても中々うまくいかない。経済成長と格差、つまり民主主義の根幹である中流階級の再生はオバママクロンも成功していない。資本主義どころか、もはや民主主義そのものが危機に差し掛かっている。

 単に経済政策だけでなく、もっと大きな話、例えば民主主義国家そのものの正当性の作り直しが必要なのかもしれません。今回のウクライナ問題で反専制主義でEUが一致団結したのは民主主義の価値を再考する切っ掛けになるかもしれません。
●ロシアはかっての大日本帝国みたいになってきたのかも。

 
 日本の場合はそれ以前の問題のようですが(笑)。


 ウクライナ政府がヒトラームッソリーニ昭和天皇を一緒にしてファシズムに抗議する動画を流したものの、日本の外務省の抗議があって昭和天皇を削除したそうです。ヒトラーと一緒に昭和天皇の写真 ウクライナ政府が動画から削除、謝罪(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

 全く理解できません(笑)。スケール感は違うかもしれないけど、同類じゃん(笑)。

 そんなことだから、日本はいつまでたっても自立できないし、国連の敵国条項だって外れないんですよ。

 そんなカルトまがいの危ない国、他の国は信用しませんよね(笑)。

 アベノミクスが良い例ですが、この国は、自分で自分の首を絞めるのがつくづく好きな国だと思います。


 と、いうことで、六本木で映画『カモン カモン

 ニューヨークでラジオジャーナリストをしているジョニー(ホアキン・フェニックス)は、ロサンゼルスに住む妹ヴィヴに9歳の息子、ジェシーの面倒を見てほしいと頼まれる。9歳のジェシーは繊細ジョニーが独身でいる理由や自分の父親の病気のことなどを遠慮なく尋ね、ジョニーを困惑させるが、二人は次第に仲良くなる。そして、ジョニーは仕事のために戻ることになったニューヨークへジェシーを連れて行くことにする。
happinet-phantom.com


 『ジョーカー』でアカデミー主演男優賞を受賞したホアキン・フェニックスが、その次に選んだ作品。それはどうでもいいんですが(笑)、監督は傑作『人生はビギナーズ』、『20センチュリー・ウーマン』などのマイク・ミルズ

 しかも音楽は素晴らしかった2月の『シラノ』に続いて現代最高のロックバンド「ザ・ナショナル」のアーロン・デスナーとブライス・デスナーが担当ということで、個人的にはめちゃくちゃ期待が大きい。

 ミルズ監督はザ・ナショナルのミュージックビデオを撮った縁があるそうです。


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 映画はラジオ番組の制作をやっている主人公(ホアキン・フェニックス)が子供たちに『未来への声』をインタビューするところから始まります。現代への不満、将来への希望、様々な声が寄せられる。まるで叙事詩のようです。
 舞台はデトロイト。かってのアメリカンドリームが終了した街です。そこに環境音楽っぽいデスナ―兄弟の深みのある音楽が流れる。ゾクゾクするような始まりです。

 やがて主人公はLAに住む妹に呼び出されます。妹とは認知症の母親の介護を巡って疎遠になっていました。精神を病んだ夫の世話をするためにLAを離れなければならない妹に代わり、主人公は甥の面倒を見ることになります。

 9歳の甥はしっかりした自意識を持っていますが、繊細でエキセントリックです。根っからの個人主義者の主人公はとまどうばかり。二人の間には微妙な距離があります。

 ほんの数日の予定だったLAでの生活はアクシデントで長引き、主人公は仕事の都合でNYに戻らなければならなくなります。今度はNYで、そして取材先のニューオリンズで共同生活は続いていきます。


 
 この映画の第一印象は、とにかくなんて美しい画面なんだ、ということです。全編白黒ですが、粒子が細かくコントラストが効いていて実に美しい。デスナ―兄弟の音楽も相まって、これだけでアート作品のようです。とにかく、2時間、独特の雰囲気が流れます。カッコいい。

 主人公は子供の意見をひたすら聞き続けます。対等に扱っていると同時に、彼のことを理解しようとする。実際そこから糸口が見えてくる。

 ただ、この子供、あまり可愛くない(笑)。賢い子ですが、大人との距離をいつも測っている。大人がどれだけ自分に振り向いてくれるかを試してくる。これはハエのようにウザい。
 自分の置かれた環境に不安を抱えているのは判りますが、それを八つ当たりのように他人にぶつけてくるのはかなりイライラする。9歳の子供だから仕方ないとはいえ、(笑)、ボクはこのガキ、嫌い(笑)。あ、主人公も子役も演技としては素晴らしいです(笑)。

 祖父が老年になって初めてゲイをカミングアウトする『人生はビギナーズ』は監督の父親、ヒッピームーブメントがそのまま続いている母親を描いた『20センチュリー・ウーマン』は監督の母親を描いたそうですが、今作は監督の子育てを反映させたそうです。


 ここでは主人公の過去はあまり語られません。親の介護、妹夫婦との関係、パートナーとの別れをうっすらと匂わせるだけです。
 甥の話をひたすら聞き、理不尽な要求に耐えながら、主人公は少しずつ成長していきます。同じ時を過ごすうちに、徐々に甥も主人公も心を開いていく。お互いは決して分かり合えないけど、共鳴は出来る。劇的なことは起こらない淡々とした日常を描いた作品ですが、主人公と子供、そして観客との共鳴までを描いているかのようなクライマックス?は見事です。

 中年男と子供の感情の交流だけでなく、社会的なこと、政治的なこと、そして人生そのものについて、暗喩も含めて様々な要素が詰め込まれた作品です。


 ボクがこの映画で感動したのは、厳しい環境の中でいかに理性を保ちながら生きて行くか、というところです。アメリカンドリームが終了したデトロイト、大都会のLAとNY、そして大水害の傷跡が生々しいニューオリンズ。子供たちの感想にあるように、今の社会は必ずしもめでたしめでたし、という訳には行きません。もしかしたら時代は悪い方へ転がっているのかもしれない。

 この映画は『この世界で、いかに正気を保っていくか』を描いているかのように見えました。ポピュリズムが押し寄せるトランプ時代のアメリカで如何に理性的にふるまっていくか、金権主義が押し寄せてくる中で如何に正気を保っていくか、その静かな戦いを描いているようです。映画のポスターにあったように、大丈夫じゃないけど、大丈夫


 映画の中で『カモン カモン』というセリフに『先へ 先へ』という字幕がつけられています。この映画は過去と現在をモノクロの画面に閉じ込めることで我々の視線を先へと向けている。
 厳しい時代です。全然 大丈夫じゃないけど、それでも我々は生きていかなければならない。何度も何度も見るに足る佳作だと思います。


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『自販機に奢られる(笑)』と『孤独の碾き臼』

 なんだかんだで、雨が多い一週間でした。考えてみれば今週の水曜は24節気の『穀雨』。雨が降るのも当然です。
 昔の人が長い時間、自然を観察して考えたのでしょうが、暦というものは良くできている、と改めて感心します。その観察力と根気は我々がとても及ぶところではありません。今の日本人の劣化具合なんか、昔の人が見たらさぞ、お嘆きになるでしょう(笑)。


 最近 勤務先でこんなものを見かけました。新しい自販機です。

 題して、『社長のおごり自販機』(笑)。
 企業内に設置した自販機のセンサーに社員が二人一緒に社員証接触させると、無料で商品が出てくる仕組みです。

 本当は『社長のおごり』ではなく、会社の経費です(笑)。ネーミングは企業によって『工場長のおごり』とか色々あるようです。要は、人間が自販機に奢られる、ということです(笑)。
 狙いは『自販機を社員同士のコミュニケーションの切っ掛けにして社内を活性化したい』だそうです。というか、それが売り込んできたサントリーのセールストークです。良くも悪くも『ウケ』を狙ったマーケティング(例の吉野家の常務みたいな輩)の考えそうなことでもあります。
www.nikkei.com
www.itmedia.co.jp

 サントリーは飲料の補充に加え、誰と誰がいつ利用したかデータを企業に提供します(笑)。社員の人間関係まで管理しようとするヒマな会社があるとは思えませんが、普段は接触が少ない部署の人が一緒に利用してくれたら成功、ということでしょう。

 ボク自身は身体に悪い糖分入りは勿論、資源を浪費するペットボトルも嫌なので清涼飲料水の類はタダでも飲もうとは思いません。しかし、この企画はなかなか好評で、サントリーは全国展開を始めたそうです。


 面白いのは、今や企業が経費まで使って社員のコミュニケーションを活性化させようとしている。また、コミュニケーション促進を商売にする企業がある、ということです。

 コミュニケーションというものは今やそんなに貴重なものなのでしょうか。活性化させることが商売になるほどのものなのでしょうか我々はそんなに孤独なのか(笑)。


 ボクのようなオールド・ロックファンはこんな話を思い出します。
 昔 ザ・ポリスというイギリスのバンドが英米で大ヒットしていたころ、有名雑誌のニューズウィークだかタイムの表紙に取り上げられました。内容は『ザ・ポリスはスタジアムで数万人の大観衆に囲まれながら、''So Lonely''と、ひたすら孤独を歌っている』という皮肉を利かせた記事でした。
 確かに愛でもなければ恋でもない、ひたすら孤独を訴える『So Lonely』にはちょっと驚きました。こんなことが歌になるんだ、と思った。40年前の話です(笑)。
●ポリスの『So Lonely』。ビデオは言葉が通じない日本の地下鉄と香港の街頭でゲリラロケされています。

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 大勢の中に囲まれていても孤独、40年前に既にそうなっていたわけですが、今やネットやコロナで大スターでない一般人までそういう状況に陥っている。

 ボク自身は人と話すのは苦手だし、1週間くらい誰とも口を利かなくても平気ですが(笑)、今の社会はお金を出してコミュニケーションを活性化しなければならないような状況みたいです。
 我々は40年前より孤独なのか。孤独ですら商売になるほど孤独なのか。


 今週火曜日の日経に示唆に富む記事がありました。『トランプ現象に代表される、近年のポピュリズムの拡大を支えたのは大衆の孤独だ』と分析した本が、アメリカで話題になっている、と言うのです。
www.nikkei.com

 ウォールストリートジャーナルのライターが書いた『“Frankly, We Did Win This Election: The Inside Story of How Trump Lost,” 』がその本です。
トランプ支持者の多くは中高年の白人である。退職や離別といった様々な事情を抱え、社会的に孤立した人々が目立つ。彼らが選挙集会に見いだしたのは、自分の居場所や他者とのつながりだった。トランプ氏の登場で人生が豊かになった』。

 実際 近年のアメリカ人は地域などの交友関係が減り、ますます孤独になってきている。

 そしてトランプを支持した人は孤独な人が多い、という調査結果もそれを裏付けています。


 孤独が広がっているのは、アメリカだけの話ではありません。記事では『世論調査会社イプソスの2021年の報告によると、孤独を感じる人々の割合は主要28カ国の平均で33%。経済協力開発機構OECD)の20年の報告では、頼れる親族や友人がいない人々が主要37カ国の平均で10%にのぼった』という調査結果を紹介しています。しかもコロナが更に孤独、孤立を助長した。

 孤独は不安や恐怖を増幅させます。見え透いた嘘やデマも信じやすくなる。不満や怒りをため込む孤独な庶民とこれをあおる指導者が共鳴し、極端なナショナリズムポピュリズム大衆迎合主義)が勢いづく。トランプやルペン、山本太郎みたいな連中が出てくるのは同じ構造です。
●資源高とアベノミクスの副作用の円安で物価が上がりまくってますが、かって『アベノミクスで景気は良くなる』と断言し、消費税廃止を説いていた学者もいました。この、立命館の松尾は山本太郎のブレーンです(笑)。



 日本だってデマ、陰謀論には事欠きません。傾向値としては、反ワクチン≒ロシア擁護≒バカウヨか山本太郎信者くらいなもんじゃないですか(笑)。


 


 哲学者のハンナ・アレントは「全体主義運動はアトム(原子)化され孤立させられた個人が作る大衆組織だ」と言っています。孤立した個人こそがファシズムの温床、という訳です。日本会議が『家族の復権』をしきりに強調するのは人々の不安を動員して、連中の大好きな復古主義権威主義的な社会に誘導することが目的でしょう。


 孤独の蔓延自体は時代の流れだから仕方がない、と思うんです。デジタル化の進展を止めることは出来ないし、今からムラ社会に戻るなんて御免です。宗教団体ならいざ知らず(笑)、企業は勿論、組合や政党も崩壊した地域社会の代わりにはなりそうもない。組織は人間を裏切ります
 そもそも都会で地域の繋がり、といっても難しいでしょう。町内会なんて冗談じゃない(笑)。ボクも今の地域に引っ越してきて試しに入ってみたけど、会費は取るけど普段は何とか交通安全運動みたいな内容ゼロの回覧板が回ってくるだけ、呆れ果てて1年で脱退しました。


 孤独は社会へのマイナス面も大きい、ことも確かです。政策として、経済的な困窮の救済や格差対策に加えて、就業・就職機会の確保、年金・医療制度の整備に加え、メンタルヘルスケアの拡充、地域社会の活性化も想像以上に重要かもしれません。そういえば、孤独対策の大臣ってあるみたいですが、何やってるんだろう(笑)。

 孤独な個人が公的な制度や扶助にも守られないまま、むき出しで市場経済に直面させられている状況を、経済学者のポランニは『悪魔の碾き臼』と呼びました。経済的困難や格差の拡大、環境破壊、言論や自由の制限、もしかしたら戦争まで、我々の生き辛さの多くは我々個人が市場経済にむき出しにされていることから起きているのかもしれません。

 我々が孤独であること、どんどん孤立していることを自覚することは大事だと思うんです。事実を直視しなければ何も始まらない。孤独を利用してポピュリズム政治家やマスコミ、吉野家の常務みたいな)マーケッターやコンサル、広告代理店など、我々を騙そうとする連中に踊らされないためにも、です。

映画『牛久』

 週末っていうのは本当に楽しいですね。何をするわけでもないのですが、心も体もほっとします。仕事に行かなくて良い、というだけで、人生がバラ色に見える(笑)。バラ色の夢はあっという間に終わってしまうのですが(泣)。

 世の中を見回せば、必ずしも明るいものではありません。ウクライナへの侵略戦争は勿論のこと、今後 物価の値上げや輸入などの遅れは本格的に我々の生活を直撃してきそうです。


 4月から様々な商品が値上げされました。
news.mynavi.jp
 
 それだけでなく以前からガス湯沸かし器などの住宅設備だけでなく、自動車、パソコン、様々なものが品切れしたり、納期が数か月もかかるようになっている。半導体不足やコロナによる労働・荷役不足、船舶やコンテナが不足だったところにウクライナの件で物流が大混乱している。上海のロックダウンがこれ以上伸びると更に影響は大きくなる。おまけにアベノミクスのツケ=円安による物価高は更に効いてくる。

 日本の政治は相変わらず、機能停止状態。月単位の支給が問題になった『文書交通通信費』すら、まともに改善できない。 

 コロナでよく判ったことなんですが、結局こういうことなんでしょう↓(笑)。かといって今の野党に政権担当能力があるわけじゃないし、結局 日本には選択肢がない。幸い今の日本はまだ、平和ですけど、我々の日常は想像以上に脆いものなのではないでしょうか。



 と、言うことで、青山で映画『牛久

茨城県牛久市にある東日本入国管理センターを題材にしたドキュメンタリー。紛争などが原因で故郷に戻れず、難民申請をしているにも拘らず、在留資格を認められずに不法滞在者として収容されている外国人たちの証言を通して、彼らがおかれている環境の実態を訴える。
www.ushikufilm.com

 全国に17か所ある入管施設の一つで「牛久」と呼ばれている東日本入国管理センターの実態を収容者の証言を元に明らかにしたドキュメンタリー。主にアッシュ・トーマス監督が収容者に面会をした様子を隠し撮りしたものが使われています。面会の際でもなぜか撮影は禁止になっているからです。

 劇場では2月からロングラン上映が続いています。NHK9時のニュースでも取り上げられましたから、少なからず話題になっているようです。NHKがこの映画の内容について法務省に取材したところ、非人道的な収容者の扱いには触れず、『隠し撮りは残念』という表層的な回答しか返ってきませんでした。
●この問題を取り上げた2019年の『時論公論
www.nhk.or.jp


 映画では監督が牛久に収容された外国人に面会、取材したフィルムが使われています。彼らは顔、名前が映ることで不利になる可能性があるにも拘わらず、実態を知らせたいとして出演を承諾しています。

 彼らが収容された理由は様々ですが、深くは触れられません(母国で出演者の家族などに塁が及ぶことを防ぐためだそうです)。クーデターで家族を殺されたり、LGBTQへの差別に晒されたり、少数民族への迫害に遭ったりなど、事情は様々です。彼らは母国で命の危険に晒されたことから、安全で平和な国だと聞いた日本へやって来ましたが、そこで待っていたのは入管施設への無期限の強制収容と精神的および肉体的な虐待です。空港に着いて直ぐ収容所に送られた人もいます。
●アクリル板越しに監督は収容者と面会、聞き取りを続けます。

 日本は難民条約を批准し、難民受け入れ国にはなっています。しかしこの10年間の難民認定率は0.2%と各国と比べて3桁も違います。映画の中で収容者たちは憤ります。
日本はなぜ難民を受け入れるつもりがないのに難民認定申請書を配っているのか。先進国としての体面を取り繕うためではないかと。
 政治家や役人が良い恰好をするためだけに収容者は犠牲になっている。


 更に問題なのは収容者への処遇です。
 名古屋の収容所に7か月収容されていたスリランカ人女性、ウィシュマさんがまともな医療が施されず亡くなった事件は、ある程度大きく報じられました。入管側はその実態を隠してきましたが、だんだんと内実が明らかになってきた。あれは『虐め殺された』のです。

 この映画の中での収容者の証言もそれを裏付けます。収容所の係員は度々『日本から出ていけ』などと暴言を吐きます。でも、母国では命が危ない。どこへ行けばいいのでしょうか?

 係員たちが収容者を押さえつけるシーンがあります。6人がかりで手足を押さえつけて手錠をかけ、後ろから首を絞めるところがカメラに映っています。BLMの大規模抗議の切っ掛けになった、黒人のジョージ・フロイド氏が警官に殺されるシーンそっくりでした。各地の収容所では重傷者や死者も出ているそうですが、確かにそれはあり得るということが初めて判りました。

 収容者が抗議すると、今度は係員はケンカ腰で大声を出して収容者を侮辱する。面会に来ている人の前でこのような態度でしたら、収容者たちが普段どのように扱われているか容易に想像ができます。

 ある収容者はこういいます。

ここは 、刑務所みたい。でも刑務所の方がまし。刑務所では刑期が決まっている 。でもここは、いつ出られるか分からない

 収容者は期間も何も決められないまま収容され、時には3年、4年と長期に及びます。時折 仮放免と言って外へ出してもらえることもありますが、期間は2週間という短期であることが殆どです。この人たちは難民認定の申請を出しているだけであって、犯罪者ではありません。 

 収容者の一人、デニスは収容所で鬱病になります。すると強い睡眠薬を与えられ意識がもうろうとする状態に置かれてしまいます。精神科医が治療を施そうとしても、収容所側がそれを無視する。絶望したデニスは自殺を図ります。なんとか命を取り留めると、そのあとは懲罰部屋に入れられる。また自殺未遂を図る。その繰り返しです。デニスは6回も自殺未遂を図ることになります。

●収容者の一人、デニス。収容所内で鬱病になって、6回も自殺未遂をしました。

 それを立憲民主の石川大我議員が国会で取り上げるとデニスは突然 仮放免され、収容所の外に出されます。しかし仮放免されても現行の制度では働くことも移動の自由も認められていません。お金も知り合いもない異国でどうやって生きていけばいいのでしょうか。

●国会で問題を取り上げる石川議員

 この国にはそのような収容者が大勢いる訳です。全国で約1000人。収容者が『日本は良い国だが政府は邪悪』、『日本のおもてなしとはこういうことなのか』と言っています。

 警察の代用監獄や長期拘留による人質司法など日本の司法制度は世界から問題視されています。アメリカから日米構造協議で取り上げられるほどです(例えば裁判員制度はそこから導入された)。しかし、こんな野蛮なことをやっている国が、国家主権とか日米地位協定改定とか言う資格がある筈がない。もちろんオリンピックなんてとんでもない。

●収容所の外で妻と再会するデニス。


 映画では冒頭と最後に、安倍晋三も出席したG7伊勢志摩サミットでの共同宣言が紹介されます。

『母国で迫害から逃れる個人は,最初に入国した安全な国において効果的な保護を与えられるべきであり,政府は,難民並びに受入れ国及びコミュニティに対し国際的な人道支援及び開発援助を提供することと併せて,安全で秩序ある第三国定住プロセスの機会を提供するべきである。』
https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000160267.pdf

 淡々と事実のみを訴える画面を見ていると、日本の実態とは全くかけ離れた、この宣言がうつろに感じられます。1時間半という上映時間ですが非常に短く感じた。どうしても気が重くなる題材ですが、構成も工夫されていて映画としても良く出来ていると思います。


 今 ウクライナから避難した人を難民ではなく、政府は避難民と呼称を変えて受入れを進めています。新しい制度も作るようです。しかし、今収容されている人たちはどうなのでしょう。

 ボクは法務省も入国管理局も解体的出直し、リストラが必要だと思います。連中の人権を軽視する姿勢は少しくらい制度を変えたからと言っても変わらないでしょう。

 こんな連中を税金で飼っておく必要はありません。年金問題に続いてコロナ無策をさらした厚労省もそうですが、こういう役人は大リストラしなければ組織の体質は変わらないと思う。

 収容所の問題は数十年も前から指摘されてきました。にも拘わらず、今もこういうことが行われているのは国民の関心が高くないからです。もちろんボクにも責任があります。

 やっぱり日本の社会は少なからず、偽善というもので成り立っているんだろうなーと思います。これで安全で平和な国とか、ちゃんちゃらおかしいわ。


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