土曜日は青山へ行ってきました。
今日は #パレスチナのための全国アクション が行われます。
— ネコ吸い🐈坂本美雨🍉 (@miusakamoto) 2024年10月5日
東京は表参道〜渋谷をマーチします。
10.5 (土) Sat
13時集合/14時マーチ開始
集合場所は渋谷・都民の城
12時半から皆でプラカード作りもできます。
慣れてなくても、大声を出さなくても、共に歩くだけで大きな力です。#ジェノサイドの一年 pic.twitter.com/dYUHmwosQs
10月5日は世界各地でイスラエルに対する抗議が行われました。イスラエルがガザで虐殺を始めてから、1年が経ちます。しかもガザだけでなく、隣国のレバノンの首都まで勝手に攻撃して、民間人の犠牲者を出している。
世界各地でガザ反戦デモ - 「パレスチナに自由を」https://t.co/bwZc20OXdx
— 共同通信公式 (@kyodo_official) 2024年10月5日
イスラエルの連中は罪もない人を何人殺せば気が済むのでしょうか。
生憎の雨でしたが参加者は約1500人。映画が終わってから行ったボクは途中からの参加でした。アラブ系の人だけでなく、日本人も子連れの人が多くいました。
軽く歩いてきただけだけど、やっぱり今起きていることに対して黙っているのも耐え難いものがあります。大したことは何もできないのが口惜しい。ボクもカフィーヤ、現地から買うつもりです(笑)。
パレスチナ・ガザ地区での虐殺が始まってから1年になるのを前に「パレスチナのための東京マーチ」が行われた。#パレスチナのための全国アクション#FreePalestine pic.twitter.com/sSHUQzrz2c
— 中村眞大 / Masahiro Nakamura (@NakamasaTube) 2024年10月5日
と、いうことで、日比谷で映画『憐れみの3章』
自分の人生を取り戻そうとする男、海難事故から生還した妻を恐れる警察官、ある能力を備えた特別な人物を探す女という3つのドラマから構成される不条理劇。
『女王陛下のお気に入り』、『哀れなるものたち』と2作続けてヴェネツィア国際映画祭、アカデミー賞で受賞したヨルゴス・ランティモス監督とエマ・ストーンが組んだドラマ。
3作の中編劇から構成されたドラマにはエマ・ストーン、ジェシー・プレモンス、ウィレム・デフォー、ホン・チャウの4人が役柄を変えて、それぞれに出演しています。原題は「Kinds of Kindness」
アカデミー賞をにぎわせた『女王陛下』、『哀れなる』は一応 ストーリーがありました。が、この監督の以前の作品『ロブスター』では殆ど粗筋がありません。コリン・ファレルなどのスターが出演していますが『恋愛をしないと人間はロブスターに変えられてしまう』という、なんとも言えないようなお話でした。
ボクは全く面白くなかった(笑)。
今作もそういう感じです。先祖帰りしたというか、前2作で高い評価を得た監督がやりたい放題をやった、という感じです。
アート映画です。
中編3部作の最初は恋人/パトロンに捨てられた男の話、
2番目は事故で行方不明になって帰ってきた妻は実は別人ではないかと夫が疑う話、
3番目は新興のセックス教団に入信している女が人を生き返らせる能力を持った女性を探す話です。
ほとんど訳がわかりませんが(笑)、テーマははっきりしています。
支配と依存、です。
支配する側は、相手に依存している。支配される側も実は、支配されることを求めている。どちらも相手がいなくては自分も成立しない。共依存と言ったらよいでしょうか。
確かに人間社会ではこういうことは良くあります。
以前 三島由紀夫と東大全共闘のドキュメンタリーを見たとき、同じことを思いました。
三島由紀夫のような右翼、国粋主義者も左翼の学生運動も正面から議論すると、『反米自立』を旗印に掲げているのは一緒でした。
しかし、彼らには自立した日本のビジョンや国家像はない。三島には天皇制というイメージだけはあったけれど、今の時代にそんなものが成り立つと本気で信じていたとも思えない。学生たちは言うまでもありません。
彼らの主張は(資本主義も含めた)『反米』というだけで自分がない。結局 精神面ではアメリカという存在に頼り切りです。
三島も全共闘もアメリカや資本主義、物質主義に依存していた。やがてニッチもサッチもいかなくなって三島が自殺したのも、帰結としては当然なのかもしれません。
これはまた、かっての社会党と自民党との関係にも似ているでしょうか。
社会党は反対する相手である自民党がなければ自分たちの存在意義がなかった。自分たちだったらどういう政治をしたい、という具体的なビジョン、国家像がなかったからです。だから非武装中立みたいなファンタジーを旗印にして、自民党やアメリカに反対することで自分たちの存在意義を保った。
自民党も反共という旗印がなければ、アイデンティティを保てなかった。経済成長、地方を含めた国民への利益分配で自分たちの権力を維持するイメージはありましたが、高度経済成長が終わると、それも難しくなった。
社会党が消滅し、共産党もほぼ世の中とは関係なくなった(笑)現在、反移民や反中・反韓を唱える極右が台頭してくるのも、そう考えれば理解できます。
自分というものを持たない連中には常に何らかの『敵』が必要だからです。敵はアメリカでも中国でも移民でも何でもいい。他人に依存しなければアイデンティティを保てない。惨めです。
話を戻しますと(笑)、この映画で描かれているのは他人に依存しなければ自分を保てない惨めな人たちの滑稽さ、惨めさです。
第一話では、自分を精神的にも物質的にも支配していた恋人を捨てた男はまた、支配されようとしてジタバタする。第二話では、行方不明になった妻を恋焦がれていた男の下にいざ妻が帰ってくると、男は妻を抹殺しようとする。第三話ではセックス教団の教祖に支配されていた女がいったん解放されると、今度は何とか教団に戻ろうとする。
支配と依存の共犯関係は確かに現実に存在する。人間の愚かさを描くのが、この監督のテーマみたいですから、わからないでもない。
そのような人間の姿は滑稽と言えば滑稽ですが、ボクはそんなの別に面白くもないし(笑)、そこには視点の鋭さや新鮮さはあまり感じられない。
現実を見れば、そんなの掃いて捨てるほどあるからです。特に日本人は自意識が弱いからかそんなのばっかり、じゃないですか。
映像はきれいだし、相変わらずエマ・ストーンは熱演です。音楽はミニマム音楽みたいでかなりかっこいい。映画としての完成度は高いと思います。
支配と依存の関係だけでなく、家父長制への抗議や新興宗教のアホらしさの描写もかなり良かった。
でも、この映画のテーマの『支配と依存の共犯関係』はわざわざ描く価値があるようなものとは思えません。少し前に見た『ナミビアの砂漠』でも支配と依存の共犯関係が描かれていましたが、この映画も同様に『だから何なの?』と思ってしまう。他に依存したがる人が存在するのは理解できるし、悪いとも思わないけれど、ボク自身はそういう人の気持ちは理解できないんですよね(笑)。
そう感じるのは単にボクが人間嫌いだからかもしれません(笑)。なんでも『ナミビアの砂漠』は大ヒットしており、満席回が続出しているそうです。
www.cdjournal.com
この映画も人間に興味がある人には面白いかもしれません(笑)。
前作の『哀れなるものたち』はアート性とメッセージ性が強調されていて、かなり好きだったんです。今作『憐みの3章』はテーマがつまらない。でも映画の完成度はとても高いので、『ナミビアの砂漠』みたいな映画が好きな人は更に楽しめるとは思います。