特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『テレンス・コンラン展』と映画『チネチッタで会いましょう』

 いよいよ12月です。
 家のベランダから見える木もすっかり色づいてきました。12月に紅葉というのも違和感がありますが、温暖化のなせる業ですね。朝はめちゃくちゃ、寒いんだけどなあ(笑)。

 しかし、例の兵庫県知事のニュースを見ていると本当に嫌になります。

 この斎藤という奴だけでなく、維新の連中とか石丸とか音喜多とか、幼稚な癖に態度がでかい連中ってめちゃめちゃ腹が立つんです。小泉以来 そういう政治家が本当に目につくようになりました。安倍晋三も同類。

 玉木だって似たようなものです。今回の愛人とは別にも、東京での立候補予定者のラウンジ勤めがマスコミに知られた途端、彼女をいきなり切り捨て、最終的に彼女が自殺したのも記憶に新しい。

 玉木も安倍も斎藤もそっくりなんだよね。

 どこをどうやったら、こういう人でなしが生まれてくるのかと思うくらい。

 だけど、今はそれよりひどくなってきた。

 立花を操っていたのは本当に武田塾塾長の林(違法賭博で辞任)だけなのでしょうか。

 バカにつける薬はないんだけど、ここまでバカという病気が蔓延すると、さすがに世界そのものに嫌気がさしますよ(笑)。

 要は世界的にこういうことが起きているんでしょうね。さすがはボクの座右の銘の一つ、『ファウンデーションシリーズ』のアシモフ先生。人間が自らの愚かさで滅ぶのなら自業自得だけど、アホの巻き添えっていうのは納得いかないんだよな。


 ということで(笑)、週末はテレンス・コンラン展を見に行ってきました。場所は東京駅のステーションギャラリーです。


www.tokyoartbeat.com

 イギリスのデザイナーで、家具やテキスタイルなどを総合的にやっている人です。新宿のコンランショップは昔よく行きました。

www.conranshop.jp

 家具などやたらとデカいので(笑)、日本の家には無理だろうと思いましたが、見るだけなら楽しい。

 展示自体は家具など3次元のものが少なく、簡単なスケッチや彼が幅広く展開していたインテリアショップ『ハビタ』などの再現が主でした。
 コンランがレストランまでやっていたのは知らなかった。ウィリアム・モリスなどのようにデザインをライフスタイルとして実現するというある種の伝統に即した人でもありました。

 それよりステーションギャラリーの方が目を惹きました。昔の建物をそのまま生かしているんですね。

 東京駅は外国人とウェディングフォトを撮る人でいっぱいでした。この日のお食事はまた今度(笑)。


 と、いうことで、新宿で映画『チネチッタで会いましょう

 ローマ、チネチッタ撮影所での新作撮影を控える巨匠の映画監督・ジャンニ(ナンニ・モレッティ)。5年ぶりの撮影だったが、進行は難航する。監督は細部に凝りまくり、俳優たちは的はずれな解釈を主張し始め、撮影資金を調達していたフランスのプロデューサーが警察に捕まり、資金難で撮影は中断。更にプロデューサーであり40年連れ添った妻からは別れを切り出されてしまう。おまけに娘は自分より歳上の男と結婚すると言い出した。ジャンニは底知れない疎外感にさいなまれるが。

child-film.com

 カンヌ、ベルリン、ベネチアの各映画祭で受賞経験を持つイタリアの巨匠、ナンニ・モレッティ監督の作品です。この作品も第76回 カンヌ国際映画祭(2023年)コンペティション部門に出展されています。
 ちなみにチネチッタとはムッソリーニが作ったローマの巨大撮影所。この映画だけでなく、フェリーニの作品など数々の映画がそこで作られていますが、内容は関係ありませんでした。原題は’’il sol dell'avvemire(未来の太陽)’’

 主人公はモレッティ監督自身が演じる映画監督。40年のキャリアを誇り、5年に1回のペースで新作を撮っています。今は1956年のハンガリー動乱の際のイタリア共産党の地方支部をテーマにした作品を作っています。

 ハンガリーソ連軍が侵入すると、それまで純粋に共産主義の理想を信じていた地方支部の党員たちは丁度 招聘していたハンガリーのサーカスの団員と一緒に、依然 ソ連共産党を支持するイタリア共産党中央部に抗議をしようとする。ところが党本部の顔色を見る支部長はソ連支持を表明したことで、地方支部の中では内紛が生じます。
 その中で悲劇が起きる、劇中劇はそんな作品です。

 しかし、今回の映画の撮影はキャリア40年のジャンヌにとって、面白くないことばかりです。

 若いスタッフはイタリアに共産党があったことすら知りません。イタリアの共産党野党第一党で西欧では最も強力だったのに、若いスタッフはイタリア共産党はロシア人が勝手にイタリアで運営していたと思っている(笑)。

 一方 主演女優は脚本を無視した即興演技ばかりやろうとする。政治的な主張より男女の機微、ラブシーンの方が大事だというのです。

 

 またプロデューサーとして長年支えてくれた妻(マルゲリータ・ブイ)は他の監督と映画を作り始める。それだけでなく凝り性で屁理屈ばかりこねるジャンヌに愛想が尽きて、離婚を切り出します。さらに最愛の娘は監督より年上の老人と結婚すると言い出します。


 
 やがて映画は資金不足に陥り、製作者はネットフリックスに出資を持ち掛けるが、ネットフリックスは作品が暗すぎるとして脚本を変えようとする。監督は拒否。現場はストップし、ジャンニは映画の登場人物が自殺するシーンを演技指導しながら、自らロープを首に巻く。

 映画では本編と劇中劇が交互に描写されます。それがだんだんと境目がなくなってくる。
 ボクはそこが面白かった。劇中劇は愛の終わり、共産主義の終わり、世界の終わりを描いていますが、突然ミュージカルになったりする。実は本編、それに我々の人生もそうかもしれない

 そんな監督の悩みは深いですが、それも自業自得、笑わずにはいられません。

 あと、監督の妻役のマルゲリータ・ブイ。映画の事、それも屁理屈こねてばかりの監督に愛想を尽かして離婚を迫る姿は凛々しく美しい。

 この人は今夏公開の6時間大作『夜の外側』で過激派に殺されたモロ首相の妻を熱演していましたが、やっぱり存在感があります。

 ここでは、単純にファッションを見ているだけでも楽しい。目の保養です。

 この映画、話の進行は混乱していて非常に分かりにくい。それに本編より劇中劇の方が遥かに面白いのは問題です(笑)。それでも最後のシーンで全てが救われる。

 悩みに悩んだ監督は敢えて歴史に希望を見出そうとする。欧州の共産党が偏狭なイデオロギーソ連信仰から脱して現実的な政党に脱皮出来ていたら、今のイタリアはどうなっていたか。ベルルスコーニや5つ星運動のようなアホ連中も出てこなかったし、極右が首相になるなんてこともなかったでしょう。
 確かにこの世界には嫌気がさしてくるのも事実です。それでも、希望をもって何が悪い?

 映画ではそれが現実になる。如何にもフェリーニの映画に出てきそうなラストシーンはそれを体現しています。まさに映画です。やけくその開き直り(笑)が希望に繋がるのは如何にもイタリア人らしいといったところでしょうか。エンディングはこの上ない多幸感にあふれていて本当に素晴らしい。
 これだけでこの映画を見た価値があったと思いました。ボクはこういう映画、結構好きなんです。


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