いよいよ12月です。
家のベランダから見える木もすっかり色づいてきました。12月に紅葉というのも違和感がありますが、温暖化のなせる業ですね。朝はめちゃくちゃ、寒いんだけどなあ(笑)。
しかし、例の兵庫県知事のニュースを見ていると本当に嫌になります。
なんかもう国連の選挙監視団でも派遣して貰う必要があるのでは? つーレベルの酷さだな。 https://t.co/EipdXebh33
— 愛国心の足りないなまけ者 にきめっ! (@tacowasa2nd) 2024年11月30日
この斎藤という奴だけでなく、維新の連中とか石丸とか音喜多とか、幼稚な癖に態度がでかい連中ってめちゃめちゃ腹が立つんです。小泉以来 そういう政治家が本当に目につくようになりました。安倍晋三も同類。
自死した財務省職員の事など一顧だにせず、都合が悪くなった途端に籠池夫妻を切り捨てた安倍晋三。
— seal (@4RygOC0vJEwjTpl) 2024年11月30日
自死した県民局長の事など一顧だにせず、都合が悪くなった途端に折田楓さんを切り捨てた斎藤元彦。
民主主義を愚弄する人間は、性根もそっくりなんだな。 https://t.co/T32KasHZi9
玉木だって似たようなものです。今回の愛人とは別にも、東京での立候補予定者のラウンジ勤めがマスコミに知られた途端、彼女をいきなり切り捨て、最終的に彼女が自殺したのも記憶に新しい。
何度も言うが、玉木雄一郎は不倫だけならまだしも
— 愛国心の足りないなまけ者 にきめっ! (@tacowasa2nd) 2024年11月30日
その愛人を自分が委員を務める憲法審査会(不倫発覚後に辞任)に呼び寄せ野次らせてたくらい公私混同し利用してたのに、その3年近い熱愛の相手を発覚した途端「ハニートラップ」てせ切り捨てたのは、どんな角度からも擁護しようが無い鬼畜の所業ですわ
玉木も安倍も斎藤もそっくりなんだよね。
【悲報】安倍晋三の御用記者だった岩田明子さんのイチオシ政治家、何かが鮮明に統一されたようなメンツだと話題に pic.twitter.com/rRkrK6jHM8
— 安倍晋三🏺語録集 (@RyMfegzBUFNoZ8k) 2024年12月1日
どこをどうやったら、こういう人でなしが生まれてくるのかと思うくらい。
「人生で過去一忙しい」という程、懸命に選挙を手伝ってくれた「仲間」に対して、切り捨てるどころか法的措置をとることもあり得るとまで言っている、
— 城 (@flpcastillo) 2024年12月1日
そんな冷酷無比極まりない男の態度とソックリですhttps://t.co/uWn2UeJH2z
だけど、今はそれよりひどくなってきた。
まさか立花孝志のやり方を支持する人間が大量発生するとは思わなかった。
— seal (@4RygOC0vJEwjTpl) 2024年11月30日
立花孝志は自分でも言っているように「馬鹿を利用する」為には手段を選ばない人間。
そんな人間に簡単に扇動される人間は立花孝志と同様、完全にモラルハザードしている。
本当に日本は恐ろしい国になった。
立花を操っていたのは本当に武田塾塾長の林(違法賭博で辞任)だけなのでしょうか。
立花孝志の供託金300万円を出したのは、令和の虎主宰の林尚弘氏で、彼は斎藤元彦を知事でいさせたかったのです。「多少悪くても、すぐ知事を変えるとか、議会で徹底追及とか、メディアでリンチとかやめたほうがいい」と主張。立花は10月29日に、兵庫のデマを追及するための出馬だと発言していました。 pic.twitter.com/5BVMrzwUKG
— 藤井セイラ (@cobta) 2024年12月1日
バカにつける薬はないんだけど、ここまでバカという病気が蔓延すると、さすがに世界そのものに嫌気がさしますよ(笑)。
シンプルに考えて「バカな人たちをどうやって上手く利用するか。犬とか猫と一緒なん。バカに(票を)入れてもらう方法を考えるのが、本当に賢い人かな」という人の発言に、いいねとか賛同を示す人は、自分のことを決して「バカな人」だとは考えてないということでしょう。「大衆」をバカにする政治家の…
— 鴻上尚史 (@KOKAMIShoji) 2024年12月1日
要は世界的にこういうことが起きているんでしょうね。さすがはボクの座右の銘の一つ、『ファウンデーションシリーズ』のアシモフ先生。人間が自らの愚かさで滅ぶのなら自業自得だけど、アホの巻き添えっていうのは納得いかないんだよな。
「愚かさが愛国心として通用する時、知性を持つことは危険だ」。(アイザック・アシモフ)
— Peter Barakan (@pbarakan) 2024年12月2日
歴史は繰り返すものですね。 https://t.co/bLHDYwUPj0
ということで(笑)、週末はテレンス・コンラン展を見に行ってきました。場所は東京駅のステーションギャラリーです。
イギリスのデザイナーで、家具やテキスタイルなどを総合的にやっている人です。新宿のコンランショップは昔よく行きました。
家具などやたらとデカいので(笑)、日本の家には無理だろうと思いましたが、見るだけなら楽しい。
展示自体は家具など3次元のものが少なく、簡単なスケッチや彼が幅広く展開していたインテリアショップ『ハビタ』などの再現が主でした。
コンランがレストランまでやっていたのは知らなかった。ウィリアム・モリスなどのようにデザインをライフスタイルとして実現するというある種の伝統に即した人でもありました。
それよりステーションギャラリーの方が目を惹きました。昔の建物をそのまま生かしているんですね。
東京駅は外国人とウェディングフォトを撮る人でいっぱいでした。この日のお食事はまた今度(笑)。
と、いうことで、新宿で映画『チネチッタで会いましょう』
ローマ、チネチッタ撮影所での新作撮影を控える巨匠の映画監督・ジャンニ(ナンニ・モレッティ)。5年ぶりの撮影だったが、進行は難航する。監督は細部に凝りまくり、俳優たちは的はずれな解釈を主張し始め、撮影資金を調達していたフランスのプロデューサーが警察に捕まり、資金難で撮影は中断。更にプロデューサーであり40年連れ添った妻からは別れを切り出されてしまう。おまけに娘は自分より歳上の男と結婚すると言い出した。ジャンニは底知れない疎外感にさいなまれるが。
カンヌ、ベルリン、ベネチアの各映画祭で受賞経験を持つイタリアの巨匠、ナンニ・モレッティ監督の作品です。この作品も第76回 カンヌ国際映画祭(2023年)コンペティション部門に出展されています。
ちなみにチネチッタとはムッソリーニが作ったローマの巨大撮影所。この映画だけでなく、フェリーニの作品など数々の映画がそこで作られていますが、内容は関係ありませんでした。原題は’’il sol dell'avvemire(未来の太陽)’’
主人公はモレッティ監督自身が演じる映画監督。40年のキャリアを誇り、5年に1回のペースで新作を撮っています。今は1956年のハンガリー動乱の際のイタリア共産党の地方支部をテーマにした作品を作っています。
ハンガリーにソ連軍が侵入すると、それまで純粋に共産主義の理想を信じていた地方支部の党員たちは丁度 招聘していたハンガリーのサーカスの団員と一緒に、依然 ソ連共産党を支持するイタリア共産党中央部に抗議をしようとする。ところが党本部の顔色を見る支部長はソ連支持を表明したことで、地方支部の中では内紛が生じます。
その中で悲劇が起きる、劇中劇はそんな作品です。
しかし、今回の映画の撮影はキャリア40年のジャンヌにとって、面白くないことばかりです。
若いスタッフはイタリアに共産党があったことすら知りません。イタリアの共産党は野党第一党で西欧では最も強力だったのに、若いスタッフはイタリア共産党はロシア人が勝手にイタリアで運営していたと思っている(笑)。
一方 主演女優は脚本を無視した即興演技ばかりやろうとする。政治的な主張より男女の機微、ラブシーンの方が大事だというのです。
またプロデューサーとして長年支えてくれた妻(マルゲリータ・ブイ)は他の監督と映画を作り始める。それだけでなく凝り性で屁理屈ばかりこねるジャンヌに愛想が尽きて、離婚を切り出します。さらに最愛の娘は監督より年上の老人と結婚すると言い出します。
やがて映画は資金不足に陥り、製作者はネットフリックスに出資を持ち掛けるが、ネットフリックスは作品が暗すぎるとして脚本を変えようとする。監督は拒否。現場はストップし、ジャンニは映画の登場人物が自殺するシーンを演技指導しながら、自らロープを首に巻く。
映画では本編と劇中劇が交互に描写されます。それがだんだんと境目がなくなってくる。
ボクはそこが面白かった。劇中劇は愛の終わり、共産主義の終わり、世界の終わりを描いていますが、突然ミュージカルになったりする。実は本編、それに我々の人生もそうかもしれない。
そんな監督の悩みは深いですが、それも自業自得、笑わずにはいられません。
あと、監督の妻役のマルゲリータ・ブイ。映画の事、それも屁理屈こねてばかりの監督に愛想を尽かして離婚を迫る姿は凛々しく美しい。
この人は今夏公開の6時間大作『夜の外側』で過激派に殺されたモロ首相の妻を熱演していましたが、やっぱり存在感があります。
ここでは、単純にファッションを見ているだけでも楽しい。目の保養です。
この映画、話の進行は混乱していて非常に分かりにくい。それに本編より劇中劇の方が遥かに面白いのは問題です(笑)。それでも最後のシーンで全てが救われる。
悩みに悩んだ監督は敢えて歴史に希望を見出そうとする。欧州の共産党が偏狭なイデオロギーやソ連信仰から脱して現実的な政党に脱皮出来ていたら、今のイタリアはどうなっていたか。ベルルスコーニや5つ星運動のようなアホ連中も出てこなかったし、極右が首相になるなんてこともなかったでしょう。
確かにこの世界には嫌気がさしてくるのも事実です。それでも、希望をもって何が悪い?
映画ではそれが現実になる。如何にもフェリーニの映画に出てきそうなラストシーンはそれを体現しています。まさに映画です。やけくその開き直り(笑)が希望に繋がるのは如何にもイタリア人らしいといったところでしょうか。エンディングはこの上ない多幸感にあふれていて本当に素晴らしい。
これだけでこの映画を見た価値があったと思いました。ボクはこういう映画、結構好きなんです。