特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『バブルとカタラーナ』と映画『さかなのこ』

 先月末 明治から続く神楽坂の甘味屋『紀の善』が閉店してしまったそうです。理由は店主の高齢化と諸事情、と報じられています。

 乃木坂46とか言われても、ボクには何のことだか判りませんが(笑)、『紀の善』の濃厚な抹茶ババロア↓、あれは実に美味しかった。子供の頃からある東京の美味しいもの、特に『紀の善』のように100年以上続く老舗がまた、無くなってしまったのは実に残念です。


 先週末の夜は青山で久しぶりに友人と会ってきました。4回目のワクチンも打ったし街へ出ても大丈夫だろう、という判断です。

 泡もの(バブル)とカタラーナ。ボクはお酒は弱いですが、甘いものと一緒は大歓迎です。

 席上『今の日本は酷いけれど、それでも昔よりはマシになった』という話になりました。渋谷育ちの子供の時からの友人曰く、『世襲が多い政治家は劣化する一方だが、今の日本は少なくとも町は小綺麗になったし、町中で立ちションしたり、道端で泥酔して座り込んでいるような奴は居なくなった』と言うのです。それは確かにそうだ。

 最近 街が小ぎれいになったのは大資本の商業主義によるジェントリフィケーションに過ぎないし、人々は相変わらず政府やマスコミに踊らされてばかりです。その癖 社会の不寛容さは増している。
 だけど昔の繁華街、今だったら歌舞伎町みたいに昼でも怖かったりするのはやはり、あまり嬉しくない。昔はもっと犯罪も多かったわけですし、セクハラもパワハラも酷かった。バブルの時代なんか、国ぐるみでサイアクだったんじゃないですか。あぶく銭に踊らされて国中が下品だった

 昭和の戦後日本だって実はロクなもんじゃなかった平和憲法とか言ってもアメリカの核の傘に守られて朝鮮やベトナムの戦争で儲けて高度成長してきただけ、とも言える。挙句の果てには今も9条神話で思考停止している。こんな感じで(笑)↓。

 アベノミクスも9条神話の絶対平和主義も昭和のリバイバル、時代錯誤です。環境が変わればやり方は変わります。成功体験に拘り続けるのは日本人の悪い癖です。

 これからの日本は経済大国とか、科学立国とか、美しい国(笑)など高望みせず、もっと身の丈に合った道を探すべきではないでしょうか。
 例えば『極東の貧乏老人だらけの小国』として、例えばギリシャみたいなイメージで行けばいいのかもしれません。政治は腐敗し脱税と汚職が横行しているけれど、かっての世界遺産でなんとか食っていく。

 日本は『我々のように熱しやすく冷めやすい、視野が狭くて騙されやすい国民は金融やITを活用したご立派な新自由主義なんかにはついていけません。経済成長や社会の発展なんて期待しないでくれ。まして世界の平和と安定に貢献するなんて立派なことはムリ。』(笑)と世界に宣言すればいい。

 それでなくとも13年前、ギリシャは統計偽装をして財政赤字を隠蔽していたことが発覚して国債が暴落、財政破綻の寸前にまで追い詰められました。親近感ありますよね(笑)。


 と、いうことで、新宿で映画『さかなのこ

 毎日魚を見つめ、その絵を描き、食べ続けても飽きないほど魚が大好きな小学生の“ミー坊”(のん)。父が心配する一方で、母親(井川遥)は彼を温かく見守っている。高校生になっても相変わらず魚に夢中なミー坊は勉強は出来ないが町の不良ともいつの間にか仲良くなってしまう。高校を卒業したミー坊は一人暮らしを始めるが、相変わらず魚が好きでたまらない
sakananoko.jp


 魚類学者でタレントのさかなクンが、自身の半生をつづった著書を映画化。『子供はわかってあげない』『横道世之介』などの沖田修一が監督・脚本を務めています。この映画、共同脚本を務めた前田司郎が演劇のワークショップでセクハラを行ったという疑惑が公開直前に発覚しました。ただ映画自体の評判は悪くないので、迷った末に行った次第。

 ボク自身はたまにTVで見かけるさかなクンはあまり好きではありません。うるさいからです。ただ実際は凄く良い人らしい。ボクの勤務先で彼をキャンペーンに起用した担当者曰く『腰は低いし、仕事はまじめ、サービス精神は旺盛で、あれだけ性格が良いタレントは珍しい』そうです。

 それより、のんちゃんです。最近はあまりTVなどで見かけませんが、『あまちゃん』、『この世界の片隅で』と、この若さで彼女はそれこそ、歴史に残るような仕事を2つもした。音楽をやれば高橋幸宏鈴木慶一大友良英など名うてのミュージシャンが集まってくるのも、この人には何か人を惹きつける特別なものがあるからに違いありません。
ムーンライダーズ鈴木慶一と。ドラムスは高橋幸宏。彼女に曲も提供している高橋幸宏は彼女を「何をするか判らないから面白い」と評しています

bunshun.jp

 ただし今のところ 映画では代表作と言えるものがない。ステレオタイプの美人とか演技とかの枠に収まり切れない彼女を生かすのはありきたりの企画では難しいのだと思います。今作はどうでしょうか。


 映画は『男とか女とか関係ない』と大書されたテロップから始まります。のんちゃんがさかなクンを演じるからですが、これがこの映画の精神を象徴している。

 映画では幼少期から、ミー坊が如何に魚が好きで好きでたまらないか、が描かれます。眺めるのも触るのも食べるのも、とにかく魚が大好きでたまりません。

●幼少期のミー坊。

 ミー坊の周囲、特に家族はミー坊のことを心配しつつも彼女のペースに合わせています。合わせざるをえないのか。特に母親はミー坊が魚を好きで好きでたまらないのを彼女の長所として尊重します。

 この映画、子供たちが異様に可愛らしく撮られています。無邪気に笑ってばかりいる、いわゆる子供らしい子供たち。これだけで画面にくぎ付けです。母親が井川遥っていうのも綺麗すぎる(笑)。

 現実には、有名碁士であるさかなクンの父親は酒乱でDV気質で、さかなクンは彼とは縁を切っているようです。この映画ではそういう描写はありませんが、いつの間にか母親とミー坊、父親と兄は別れて暮らすようになっています。その暗い影はミー坊に影響を与えている筈ですが、ミー坊の魚が好きという気持ちは全く変わりません。

 高校生になってもミー坊は変わりません。勉強はしないけど、魚のイラストを描いて壁新聞を出したり、釣りをしたり、魚中心の生活が続いています。
 ここではのどかな田舎町の不良たちとミー坊のつながりが描かれます。当初はミー坊にちょっかいをかける不良たちですが、魚にひたすら夢中な『だけ』のミー坊と仲良くなります。

●不良たち。1枚目、渾名が『狂犬』(柳楽優弥)、2枚目は『総長』(磯村勇斗

 ミー坊は『魚博士』になりたいという夢を持っています。しかし勉強はまるでダメ、博士とはなにか、すらも判らない。それでも母親は『好きなことをやりなさい』と励まします。

 東京に出てきたミー坊は様々な仕事に就きますが、あまりにも不器用なためうまくいきません。水族館も普通の仕事もダメ。それでも魚が好きということだけは変わらない。やがてミー坊はキャバクラ嬢をやっている同級生のモモコ(夏帆)と再会、一緒に暮らすことになります。

 観客席には親子連れ、結構子供が多い。さかなクンのファン層はここなのかと思いました。それに見合ったかのようなコメディタッチのお話ですが、緩い雰囲気ながらも描かれている現実はかなりハードです。登場人物たちはミー坊を始めとして社会からはじき出されたアウトサイダーばかりです。それにも拘わらず、ひたすら緩いお話は、登場人物たちが厳しい現実と闘っているかのようにすら見えてきます。

 それを演じるのんちゃんの表情は素晴らしい。男とか女とか超越しているだけでなく、効率優先の新自由主義性役割、社会規範まで超越した存在のようにすら見えてくる。ミー坊にあるのは打算も欲もなく、ただ『好き』という気持ちだけ。もはや、さかなクンの話ではない。

 

 それにしても岸壁から海に飛び込むのはこの人の得意技です。今作でも得意技がさく裂するのは見ていて嬉しくなります。

 あるわけないだろうとしか思えない話をのんちゃんが演じていることで説得力が出てくる。ひたすら希望を描くこの映画、傑作ではないけれど、成功作。のんちゃんが出演した実写映画の中では今のところベストだと思います。


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