特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

蒔かれた種子:映画『首相官邸の前で』

お盆休みになりました。お盆と言っても外人には説明しにくくて困るのですが、東京は1年のうちで一番良い時期です。人が減ってがらんとした東京は、どこか解放感を感じさせます。
                               
川内原発が11日に再稼働と言われていますが、毎日新聞の先週末の世論調査によると再稼働反対は57%と賛成の30%を大きく上回っています安倍内閣の支持率も7月の前回調査から3ポイント減の32%、不支持率は同2ポイント減の49%と支持率は下がり続けています。http://mainichi.jp/select/news/20150810k0000m010074000c.html
NHKやNNNの世論調査でもほぼ同様の結果が出ました 安倍内閣支持率37.8% NNN世論調査|日テレNEWS24http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150810/k10010184961000.html
読売系のNNN曰く、安倍首相が二度目の首相に就任してからの最低支持率を4か月連続で更新、だそうです。安保法案に加えて原発の再稼働、国民の過半が反対している事柄をまともな説明もなしに強行する内閣なんて存在価値があるのか、多くの人がそう思い始めているのではないでしょうか。


さて、渋谷のアップリンクでドキュメンタリー『首相官邸の前で映画『首相官邸の前で』公式サイト - Tell the Prime Minister

311の原発事故以降に始まった原発政策への抗議活動が官邸前抗議につながっていき、世の中にどのような影響を与えたかを描いたもの。度々抗議にも参加していた小熊英二慶大教授が監督をしています。提供されたネット上の映像素材と、彼が行った抗議の参加者と菅首相へのインタビューで構成されています。

小熊英二氏は普段からボクがなるべくチェックするようにしている人の一人です。時折レトリックが強引に思えることはあるけれど、膨大な論点を整理するだけでなく、ボクが思いつかないような視点や考えを提起してくれることが多いからです。やっぱり学者だったら、こちらが思いつかないようなことや知らないこと、現実に役に立つ思考を提起してくれなきゃ存在価値がない、と思います。動員でデモに来ている人や既存の左翼に批判的なところ、ロックバンドをやってるところも、感性が合います(笑)。彼がボクと同年代のせいだからでしょうか。

この映画は構想30分、スタッフ2人(笑)で始めたそうです。官邸前抗議をマスコミも当事者もさっぱり記録しようとしていないことに、かねてから業を煮やしていたそうで(笑)、彼は2013年にも官邸前抗議を取り上げた本を出しています。
●良い本でした。

昨年 小熊氏がメキシコで授業をした際  学生にYouTubeの画像を見せたら『全然知らなかった』、『日本でこんなすごいことがあったのか』という反応があったそうです。そこで映像にすればもっと伝わるのではないかと思ったのが映画を作る直接の切っ掛けだそうです。映画には英語字幕が付いています。

小熊氏によると『官邸前抗議はNYのウォール街占拠や70年安保より大規模で、香港の雨傘革命や60年安保より成果をあげた』と言っています。抗議に100回以上参加しているボクも、『それは少し大げさだろ』と、映画を見る前は思ってました。


                                 
映画は311の事故の様子から始まります。当時のフィルム、それに菅直人と抗議参加者7名へのインタビュー。菅直人の他にインタビューを受けたのは企業経営者(中年男性)、外資系企業のマネージャー(オランダ人女性)、福島からの避難者(初老の女性)、ショップ店員(若い女性)、病院事務(中年男性、素人の乱)、ミサオ・レッドウルフ氏(おなじみ)、アーティスト兼アナーキスト(中年男性、素人の乱)の7名。性別、国籍、社会的地位、年齢全てバラバラです。社会学者らしい選択です(笑)。

当時のフィルムを見て、インタビューを聞いていると、あの時のことをマジマジと思い出します、と同時に忘れてしまっていたことが多いのも思い知らされます。

                                           
2011年3月、『東京はもしかしたらおしまいか?』という危機が去ると、国民の間に『なんでこんな目に合わなければいけないんだ』という怒りが湧きあがってきます。例えば映画の中で会社経営者の人は、彼は松戸に家を買ったばかりだった、と話しています。そりゃあ怒るよ(笑)。

                                        
抗議の口火を切ったのは高円寺の『素人の乱』でした。高円寺でたむろしていた既存の組織とは関係ない若者(というか中年)が組織した抗議デモに1万人以上が集まります。でもマスコミは全然報じません。注目を集めるには東京の中心でやらなければだめだ、ということで6月には新宿で大規模デモを起こします。ボクもここから参加しました梅雨空の隙間で:『6.11 新宿 原発やめろデモ』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)。続いて8月に銀座66年前とおんなじこと:8.6 東電前・銀座 原発やめろデモ - 特別な1日(Una Giornata Particolare)、9月には新宿でデモまた、夏が終わる:9.11新宿・原発やめろデモ - 特別な1日(Una Giornata Particolare)を開催しますが、数万人も集まった9月の新宿デモは警察による逮捕者を出してしまいます。
ボクの目の前でも外国人のおじいさんが捕まりました。 デモが人通りが比較的少ないところへさしかかると機動隊が隊列に乱入してきて、普通に歩いていた老人を押さえつけて連行したんです。強引に道路に押さえつけられた老人は流血していました。あとで事情を聴くと、今までの左翼運動とは全く違う人種が集まったデモに危機感を覚えた公安が参加者の身元を探るため目立つ人を何人か捕まえた、ということでした(当日のトークショーで小熊氏も同じことを言ってました)。その証拠に、捕まった人は殆どがすぐ、不起訴のまま釈放されました。

盛り上がりかけた抗議活動はいったん冷や水をかけられた感じになります。


年が明けると大飯原発の再稼働の話が持ち上がります。それに対して素人の乱を含め、幾つものグループが首都圏反原発連合として合流し、官邸前で抗議を行うようになりました。と言っても官邸や国会の周辺には公園も広場もありませんから、デモや集会の許可はおりません。そこで、歩道で立ち止まって抗議をする、というスタイルを取ります。確か反原連の人や弁護士さんが粘り強く警察と交渉して認めさせた、と記憶していますが、警察も当初の参加者が少人数だったので油断したのでしょう。小熊氏によるとこんな形態の抗議は世界のどこにもない、独創的なものだそうです。それだけでなく現場では、警察の眼をかいくぐっての自転車や自動車による抗議など、個々人の様々なイノヴェーション(笑) がありました 。小熊氏は更に、多くの警官が福島へ作業に駆り出されて被ばくしていたので、少なくとも現場の警官はあまり弾圧する気にならなかったのではないか、とも言ってました。


反原連の人たちは警察を敵視せず信頼関係を醸成することに努めて、誰でも参加できる安全な抗議スタイルを確立させていきます。それが大勢の一般参加者を増やすことにもつながります。ボクも新宿デモを見ていたので、正直 最初はおっかなびっくりでした。その頃 昔 活動をやってたらしい老人がわざと警官に食って掛かったり、抗議が生ぬるいとか言ってるのを見かけましたが、そういうアホは見ていて実に腹立たしかったです。


あとはご存じのとおりです。6月から7月、大飯原発の再稼働が決まると、怒った多くの人が国会前に押し掛けました。20万人も集まったことが2回もありました。勿論 動員でも何でもない、普通の人ばかりです。
                                                
その時の実況フィルムを見ると、老いも若きも子供連れも国会前の車道に溢れだして、大多数の人は楽しそうに抗議の声を挙げています。花火見物にきた中学生みたいな子までいます。皆 ニコニコしています。ボクも現場にいて『こういうのを解放区って言うんだな』と思ったものでした。
●そのころの写真@国会前の歩道,7/29,2012
『特別な夜』のできごと:7.29脱原発国会大包囲 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)     

                              
フィルムは反原連の人が混乱を押さえようと懸命になっている姿も映しています。『今後も抗議を続けていきたいから』ということで群衆に混乱を起こさないよう、懸命に呼びかけています。カメラには映ってませんが、その時、一部のアホが、群衆に国会へ乱入するようけし掛けていたんです。ボクも見ましたが昔のジジイみたいな連中です。あたりは一時 騒然としました。頭が40年前のまんまのマヌケジジイは引っ込んでいてほしいです(怒)。ですが、結局 数人が捕まったくらいで、大きな混乱は起きませんでした。殆どの人はバカの扇動には引っかからなかったんです。反原連の人たちの冷静さと人々の賢さの勝利です。
                                      
その勢いを背に反原連は8月に首相に面会し、原発の再稼働は認めないぞ、という要求書を突きつけることになります。そして9月に民主党は将来の原発ゼロ、という方針を出すに至ります。

                                                     
その時は全然意識してなかったんですが、こうやって起きた出来事を時系列でたどると、抗議の力の大きさを改めて実感しました。確かに2012年の夏、大勢の人々は60年代や70年代の安保より大きなことを知らず知らずのうちに成し遂げたのかもしれません。人々の非暴力直接行動が何十年も止めることが出来なかった日本中の原発を止め、政府の方針を変更させた。この映画はそのことを気づかせてくれます。

映画の前半でオランダ人の外資系企業マネージャーが『日本人は大人しくて意見を表明しないものと思っていた』と話しています。後半には『あれだけの人が集まったのは驚きだった』とも。果たして、日本は変わったんでしょうか?

今も毎週 官邸前抗議は続いていますが、参加者は1000〜4000人程度にとどまっています。2013年に自民党原発ゼロの方針を撤回しました。そして今 約2年間止まっていた原発の再稼働が迫っています。映画ではそこいら辺は余り触れられません。悪いことこそ注視しなければいけないと思っているボクは、その点は少し物足りないです。2012年の夏はひと時の出来事だったのでしょうか?

                                       
この映画を見るまではボクも半分くらいはそう思っていました(笑)。でも、そうでもないのかもしれません。小熊氏によると、例えば国会前で安保法案に抗議しているSEALDsの子たちは再稼働の抗議の周辺に参加していたし、反原連の人たちに抗議のノウハウを教わったり機材の貸し借りなどもあるそうです。それだけでなく政府への異議申し立てが今や全国に広がっています。(旧来の活動家でなく)普通の人たちが行った官邸前抗議が日本でのデモや抗議活動への敷居を下げたばかりでなく、実際に行動したことが今も世の中を変えつつあるのだと思います。あの頃は意識してませんでしたが(笑)、確かに種は蒔かれていたんです

                                      
映画の最後で、参加者たちは『人々を信じる』と言ってました。ボクにはそういう実感はありません。人間というのは間違いも犯すし、何よりも移り気なものです。でも事実として、大勢の普通の人の非暴力直接行動は国の政策を変えました。良く言われる台詞を借りれば、ボクたちは微力ではあるけれど、無力ではなかった。だから、ボクは将来の可能性なら信じたいと思いますし、信じられると思います。それがこの映画を見てのボクの感想です。



この映画は大規模な商業公開はないかもしれませんが、これから各地で自主上映などが行われるようです。東京では9月から隔週水曜に渋谷のアップリンクでディスカッション付き(笑)の上映会をやるそうです。抗議の参加者はもちろん、抗議に参加できなかった人、あれはなんだと思っていた人、様々な人に色々なことを考えさせる一見の価値がある映画だと思います。強いて言えば、警察とか自民党や東電のインタビューが入っていたらもっと面白かったとは思いますが、それはムリか(笑)。
抗議云々は別にしても、クールな視点をキープして結論を人に押し付けることがない、面白い映画でした。多くの人の眼に触れる機会があれば良い、と思いました。
 

                                                                                                                                     
当日 上映後 小熊英二氏と小説家の高橋源一郎氏のトークショーが約1時間半(笑)行われました。ケータイを忘れてしまったのでボクが撮った写真は無いんですけど、お話の骨子を箇条書きで挙げておきます。こちらも面白かったし、現在をどうとらえるかの参考になりました。
●当日の記事
首相官邸前抗議、なぜ取り上げられなかった…反原発ドキュメンタリー監督が分析 - シネマトゥデイ

●この映画はまず、記録のために作った。記録にすることで始めて人々の記憶に残り、そこからさまざまなレスポンスが生まれて、社会というものが構成される。日本に限らず情報の消費・忘却による社会の分断が起きているが、それは情報に対するレスポンスが生まれるまでに至っていない、つまり社会が構成されていないから、ではないだろうか。

●60年代、70年代安保は東大が舞台だったからこそ記録が残った。今 60年安保の記録を探しても、東大などの知識人の回想と政党などの公的記録しか見つからない。普通の人たちが活動した官邸前抗議はこのままでは忘却の海の中に埋もれてしまうかもしれない。だから映画を作った。

●マスコミは官邸前抗議を殆ど報じなかったが、自分(小熊氏)の知る限り、圧力というよりマスコミが、既存政党でもなく既成左翼でもない普通の人間が大勢集まって抗議している現象を理解できなかったからだ。彼らにとっての文脈にはなかったということだ。それから4年が経ち、安保法案への抗議の報道など、ようやくマスコミも変わりつつあるように思える。

●政治は総合的なものである。例えば新国立競技場の問題は安保法制反対の声が高まることで見直しが決まった。60年安保も安保法案は通ってしまったが、それ以降、岸が目論んでいた改憲ベトナム戦争参戦などの動きは止まった。政治活動の評価は長期的に考えなければならないのではないか。

●かっての安保も原発も結局は『勝手に決めるな』というやり方の問題が大きいのではないか。60年代安保も皆 法案などは読んでなかったかもしれないが、強行採決というやり方への怒りを皆が共有していた。

●今の日本の社会・経済・政治の状況は著しく衰退している。だからこそ人々が『本気でやっている(力強い)映像や現象』を記録して伝えることは意味があると思った。官邸前抗議が力を持ったのは、人々が本気だったからだ。