特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

錦秋の京都(笑)と映画『物語る私たち』

俳優の菅原文太氏が亡くなった。ボクはヤクザ映画もトラック野郎映画も全く見たことないので、映画でのこの人の姿は判らない。だがボクは勝手に彼のことを『日本のバート・ランカスター』だと思っている。ルックスが似ているだけではない。反戦運動に熱心だった名優バート・ランカスターの姿と菅原氏の姿がどうも重なってしまうのだ。彼はボクの実家のすぐ近くのマンションに住んでいたが、いつしか引き払って農家を始めてしまった。彼の晩年の社会的発言も記者会見も鍬をふるう姿も地に足がついていて実に恰好良かった。奥さんは『彼は小さな種を捲いて去った』と言っていたが、名誉もカネも関係なく自分のやれることを等身大でやり続ける、ああいう人の姿こそ、ボクにはヒーローに見える。合掌。
                                                                  
                                                           
先週末は京都へ出かけてみた。紅葉シーズンということで人は多いわ、物価は高い、そういう時期に出かけるのなんて狂気の沙汰ではある(笑)。ボクは観光なんか興味ないし、今までもそういうものは極力避けてきたが、最近は少し丸くなって(笑)世の中で好かれるものはどんな具合か試しに見てやろう、とも思うようになってきた。それでも行きの新幹線の窓から山の紅葉を見たら、どこ行っても同じじゃないかと思ったけど(笑)。
覚悟はしていたが京都駅を降りた途端 人ごみを見て帰りたくなった(笑)。円安の影響だろうか、駅も街もアジア、欧米を問わず、外国人が多い。桜を見に来た半年前より、一段と増えていた。いずれにしても、これからの日本は外国人に来てもらってお金を落としてもらわなければ、やっていけない時代だ。
人ごみに対する自衛手段として、とにかく電車で移動、名所は極力行かない(笑)、行くところは予約がきくところだけにして、人ごみの害悪(笑)を最小限に抑える努力はした。


●始めて見た京都御所は想像以上に良かった。予約制(無料)なので混んでないし。本物が持つ重厚感、と言ったら良いか。その維持費が税金と思うとムカつかないでもないけど、これだけのものは民間では維持できないだろうから、それは許す(笑)。






●中国のドラマで出てきそうな建物や額を見ると、やっぱり御所は中国の朝廷のパクリだなあ〜と思った。
 


そのあとは宿でずっと読書(笑)。夜になってから近くのお寺の見学へ。
●紅葉のライトアップ。石を海に見立てている。






●紅葉と月

翌日は船に乗って川の上から紅葉を見物した。とにかく人ごみは完全スルー(笑)。山肌の木々に黄色、赤、橙や緑の色が入り混じるさまはまるで織物のようだ。錦秋とはよく言ったもので、確かに見事なものだった。桜よりきれいかもしれない。
●川辺から見る紅葉
 

 

 

●保護色になっているけど、真ん中の石垣のあたり、鹿が数匹歩いている。

●鳥たちも(笑)
 


料理屋で写真を撮るのは少し恥ずかしいんだけど、個室だったので今回は下品にバチバチ撮ってしまった。本性発揮(笑)。
●今回感心したのが『鯛かぶら』。京都の人には珍しくもないかもしれない、鯛とかぶらをグツグツ煮込んだシンプルな料理だけど、そういうものこそ美味しくて飽きないのだ。意地汚く一滴残らずおつゆを飲み干したら、ためらいがちに仲居さんから『うちの社長が戻ってきたお鍋を見て、『ここまで綺麗に食べてもらえるのは幸せなことやで〜』と調理場に訓示してました』と言われた(笑)。部屋の模様が映るくらい、漆のお盆がピカピカに磨いてある。


●違う店のお刺身。創作料理にうまいモノなし(笑)と思っているけど、これはちょっと美味しかった。ゆずの泡の下にマグロ、ウニ、アボガド、湯葉が隠れている。それだけなら大したことないけど、右側のマグロの出汁醤油をかけると別々の味がまるでつながるように調和するところが面白かった。

                                    
これを書いている今は灰色の日常に逆戻り(泣)。たまに出かけるのも楽しかったけど、結局 家でゴロゴロしてるのが一番かな(笑)。


渋谷で映画『物語る私たちhttp://monogataru-movie.com/

カナダの女優・映画監督、サラ・ポーリーは子供の時から、他の兄弟と顔つきが違う、と言われて育ってきた。自分は本当に両親の子供なのか。大人になった彼女はその謎を調べるため、既に亡くなった母の足跡をたどることにした。すると驚愕の事実が浮かんできた- - -

ミシェル・ウィリアムズが演じる平凡な主婦が夫と愛人との間で苦悩する『テイク・ディス・ワルツ』は、非常に優れた作品だった。人間のアンビバレントなところを美しさと苦みばしった味わいで見せてくれるこの作品を作ったのがサラ・ポーリー監督だ。『しあわせに鈍感なんじゃない。さみしさに敏感なだけ』というキャッチコピーはこの映画の夏の終わりにも似た哀歓を良く表している。ほろ苦い夏の終わり:映画『テイク・ディス・ワルツ』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)

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『物語る私たち』はサラ・ポーリー監督が自分の父をナレーターに起用し、家族や友人たちへのインタビューという形で、早くして亡くなった彼女の母の足跡をたどっていく作品だ。
●監督のサラ・ポーリー(中央)は子供の時から兄弟の中で一人だけ顔が違うと言われ続けてきたそうだ。

彼女の母は舞台女優で外向的で奔放な人だったという。父も舞台俳優で共演したことで恋に落ちて結婚したそうだが、父は母とは正反対で内向的でおとなしい人だった。俳優業も結構して直ぐ引退してしまう。彼女の母親が恋した父親像は舞台の上で父が演じた役柄だったのだ。
●舞台女優だった監督の母親。快活な人だったそうだ。

監督はまず、自分の父を説得してDNA検査を受けさせる。映画は困惑する父の顔をばっちり捉えている。結果はクロ。父も監督も深いショックを受ける。だが監督は自分が妊娠したであろう時に母が遠方で舞台に出ていたことを突き止める。当時の共演者・関係者に監督はインタビューをして、謎を突き止めていく。
時折 当時の再現フィルムが挿入される。まさか親たちが恋愛をしているフィルムが残ってたのか〜と思ったら、役者さんが演じて当時を再現しているのだ。それが本物の当時のフィルムと交じっているので、見分けがつかない。一見 低予算のドキュメンタリーに見えて凝りまくっている作品なのだ。
●奔放な母親の姿。フィルムの質感も登場人物も昔風に撮っているので再現ドラマとは最後まで判らない。

                               
こうやって書いてくると興味本位で謎を追及しているようにも見えたり、重苦しい話のようにも見えたりするかもしれない。だが、全くそんなことはない。お互い感情的にならないだけの知性がある人たちだし、やり取りはユーモラスで観客席からは何度も笑いが巻き起こるほどだ。何よりも父娘、それに兄弟は生物学上のつながりがないことが判っても労わりあい、思いやっている。血縁の有無は彼らが過ごした時間が作り出した関係の妨げにならない。それでも彼らはカメラの前で時折 長い沈黙をし、涙をこぼす。彼らの困惑する表情をカメラに収めようとする監督本人が一番さばさばしているかのようだ(笑)。だからこそ、真実を追求していけたのだろう。
                                               
思わぬところから、実際の父親が判明する。動揺する父親はそれでもナレーションを続けることを娘に強要される(笑)。やがて、そこに至ったことについて母にも理由があったことが娘も、父も理解するようになる。映画はここでひとりの女性の物語から、誰にでもあてはまる普遍的な物語に変質していく。多くの人にとって、人生はそう簡単に割り切れるものではない。誰でも精神的な弱さを抱えているし、誰もがずっと聖人君子でいることもできない。けれでも生きていかざるを得ない。ドキュメンタリーなのに、ここいら辺の感覚は『テイク・ディス・ワルツ』で見た、はかなさと哀歓と全く同じだった。驚くべき展開だ。
サラ・ポーリー監督。登場人物の中で彼女が一番クールだったかもしれない。

                                                                       
少し風変わりな、だけど魅力的な、一人の女性の人生と周りの人々の関わりを描ききって、映画は終わる。正直 父親は傷ついたように見えたが、結果として父と娘、兄弟たちの絆はより深まる。観客の中にはほっとした想いと人生の複雑さへの畏敬の辺が残る。そしてエンドロールのあとの最後の大逆転、ここまで来ると笑うしかない。
『物語る私たち』は地味なドキュメンタリーのように見えて、愛情の深さと人生への畏敬を思い知らせてくれる、物凄い作品です。私的な作品が笑いと涙の中で普遍的なものに昇華されている。すばらしい映画でした。