東京も桜が満開だそうです。9分咲きくらいだと思いますが、辺り一面は華やかになりました。これで期末/期初の嫌なことを少しでも忘れたい(笑)。
悲惨な戦争が続いていますけど、相変わらず日本では右左関係なく他人事のような言説が飛び交ってます。そんなことを言ってる場合じゃなく、ボクらはある種の歴史の転換点に立っていると思います。
太田光「正義は人の数だけあるから、何が正しいなんて誰にも言えないんだよ」
— kemofure (@kemohure) 2022年3月25日
オーストリア大使「我々は中立国であり(略)中立性について知っている。ただ、中立というのは、国際法の侵害に直面して、いかなる立場も取らないということを意味しない。犠牲者と侵略者の明確な区別を支持する」国連安保理
正確にはウクライナへの侵略が歴史の転換点なのではなく、ウクライナへの侵略で我々が転換点に立っていることが露わになったと思います。
まず、際限のないグローバリゼーションにこれでストップがかかった。勿論 安全保障の考え方だって変わった。9条を守ってれば大丈夫とか、アメリカに追随していれば大丈夫とか、核武装をすれば大丈夫、みたいな単純な話もTVならいざ知らず、まともな人間に対しては説得力を失ったのではないですか。
コロナ禍では専制国家の効率性を羨むような声が一部に有りました。自民党が言ってる憲法の緊急事態条項が典型です。しかし、専制国家のリーダーが過ちを犯した場合、大変なことになる。
当たり前のことながら、ウクライナへの侵略で専制国家ならではのリスクもはっきりした。日本だって大阪のように専制的な地方政治が行われているとどんなリスクがあるのか、はっきりしたのではないですか。
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後ろでボードを掲げている人、Good Job!! https://t.co/upf1abCnLB
— 恒久的絶対平和☮️ (@japasiaearth) 2022年3月26日
右左関係なく、日本人は議論を避ける傾向があります。仲間内の顔色を気にして、ロジックで議論をしようとしない。
だからこそ、9条信仰や対米追従のような思考停止を戦後80年間、延々続けてきた。でも時代の流れや環境の変化は、もう、許してくれないと思います。ウクライナの件で問われているのは、日本人が自分の頭で考えること、のように思えます。
今日発表のアカデミー賞は『ドライブ・マイ・カー』が国際長編映画賞(外国語映画賞)を取りました。映画の質的には文句なしなので、作品賞や監督賞は厳しいにしても村上春樹の3つの小説を巧みにミックスさせたことで脚色賞は射程内ではないか、と思ってましたが、そこは残念でした。
しかし、あれだけ一般受けしないテーマで(笑)、しかも3時間近い作品がカンヌ映画祭からアカデミー賞まで席巻したのですから、素晴らしいです。個人的には昨年の作品賞受賞作『ノマドランド』なんかより遥かに質が高いと思います。ジャズと現代音楽をミックスさせて主人公の精神世界のような空間を作り出した、この映画のサントラは、この数か月、ほぼ毎日聞いています。疲れた心には非常に響きます。
作品賞の「コーダ あいのうた」はフランス映画の原作をリメイクした手腕は大したもので脚色賞も頷けますが、映画としては作品賞というほどとは思いませんでした。よくできた映画で面白いし、しかも誰にでも好かれる作品だから作品賞を取ったのでしょうけど、だからこそボクは物足りない部分が残りました。
と、いうことで、六本木で映画『ベルファスト』
北アイルランド・ベルファストのプロテスタント地区に暮らす9歳の少年バディ(ジュード・ヒル)は、大工の父、美しい母、やさしい兄、それに祖父母や友人たちに囲まれ、映画や音楽を楽しむ幸せな日々を過ごしていた。しかし1969年8月15日、プロテスタントの武装集団がカトリック住民を攻撃したことで、世界は一変する。貧乏でも住民同士が顔なじみで繋がっていたベルファストの街は、この暴動を境に分断されてしまう。次第に対立が激化し暴力の足音が近づいてくる中で、バディの家族はベルファストを離れるべきか否か苦悩する。
belfast-movie.com
俳優・監督・演出家など多岐にわたって活動するケネス・ブラナーが幼少期を過ごした北アイルランドのベルファストを描いた半自伝的ドラマ。
アカデミー賞の有力候補として作品賞、監督賞など様々な部門にノミネートされているのも、監督の幼少時の記憶を政治など社会状況も踏まえて美しい白黒画面で描くという点でも、数年前のアルフォンソ・キュアロン監督の「ROMA/ローマ」に似ています。
アカデミー賞の結果が出る前に、と思って見に行きました。ボクはこの映画こそ作品賞を取るかと思っていたのですが、脚本賞は取りましたね。
映画は1969年8月15日、ベルファストのプロテスタント地区で暴動が起きるところから始まります。プロテスタントの過激派というか殆どごろつき連中がカソリックが経営する店や家、車を襲い始めるのです。
●一見のどかな光景に見えますが、ゴミ箱の蓋があれば暴動の際の投石は防げます。
それまではベルファストの街は表面上は宗教に関係なく、人々は濃厚な人間関係の中で暮らしていました。仕事は少なく、多くの人が貧しいけれど、誰もが生まれた時から顔見知り、結婚するのも幼馴染。
それが暴動が始まると、街は次第にきな臭くなっていく。軍が投入され、街にはバリケードが築かれる。しかし、まだ9歳の少年、バディにとっては日常の生活が変化しつつあることが理解できません。
●バディの一家は仲の良い四人家族です。見ていて羨ましかった。
バディのお父さんは大工で、ロンドンへ出稼ぎに行っています。ベルファストには大した仕事がないからです。街が次第にきな臭くなってきても、2週間に1回くらいしか家に帰ってくることができない。
●ロンドンへ出稼ぎへ行っている父は2週間に1度しか家に帰れません
その間は美しいお母さん(笑)が父親と母親の役割を両方果たしています。離れて暮らすことが多い父親と母親の間には微妙な距離がありますが、本当に仲が良い、愛情あふれる一家です。
ところどころ挿入される60年代風俗が面白いです。バディにとっての60年代風俗は、その頃の流行った映画、チキチキバンバンや西部劇、それにTV番組の’’サンダーバード’’です。こういうところは日本と一緒ですね。
ベルファストの人たちは皆貧しい。カソリックとプロテスタントの対立も単に宗教やイギリスの植民地支配だけの問題ではなく、昔から経済発展が遅れていることも遠因になっている。出稼ぎに出なくてはならないバディの父だけでなく、祖父も北部の炭鉱で働き、身体を壊して病院に通っています。
●おじいさんとおばあさん(ジュディ・デンチ)と
バディたち一家はプロテスタントですが、カソリックの人たちとも仲良くやっています。そこがカソリックを排斥する過激な連中には気に入りません。次第にバディたち一家は身の危険を感じるようになる。
ロンドンという大都会を経験している父は貧しいベルファストを離れることを家族に提案しています。しかし、ベルファストで生まれ育った母親は強硬に反対しています。親しい人たちは皆 この町にいます。生まれたときからベルファストの人たちの間で培った絆はどうなってしまうのか、という訳です。
やがてプロテスタント側は再度カソリックへの襲撃を企むようになります。バディたち一家は決断に迫られます。
●おばあさん役のジュディ・デンチはアカデミー助演女優賞にノミネートされています。
政治的な背景は厳然として存在するのですが、子供の目から見たベルファストのお話はクスリと笑わせるところが沢山あります。ほっこりしたお話が続く中、だんだんときな臭くなってくる。
白黒の画面はスタイリッシュです。ベルファストの街の現在を写す時はカラー、過去を写す時は白黒が使われます。白黒だけど画像は鮮明で、不思議な感じがする。そしてたまに挿入されるカラー場面の色彩が実に鮮やかに見える。
そして音楽はアイルランドの国民的歌手、ヴァン・モリソンの歌が全面的に使われています。
彼の歌が映画で部分的に使われることはよくありますが、全面的にフィーチャーするような映画って初めてなのでは?
確かにベルファストの市井の人々の暮らしを見ながら聞く、ヴァン・モリソンは普段聞くのとは全く違って聞こえます。この人はアイルランドの国民的歌手というより、もはや宗教的存在、イタコのような存在だと思います。アカデミー主題歌賞の候補にもなってますが、これは卑怯です(笑)。ちょっとあざとい。
●約60年間歌い続けている、来日しない最後の大物。一度でいいから本物を見てみたかった。残念ながら今は頭がボケて反ワクチン信者になってるそうですが。
この映画の舞台となった69年以降、北アイルランドでは紛争が本格化します。ほぼ内戦状態になる。約30年間の間に大勢の人が亡くなり、大勢の人が街を離れた。ウクライナのこととと重ねてみる人もいるでしょう。
その切っ掛けの時期を描いたこの映画、過去への哀惜の思いが非常に深く伝わってきます。非常によくできている。悪く言えばやっぱり、そこもあざとい(笑)。
ただし、監督の過去への思いが現在に繋がっているかというと、あまりそういう感じでもない。それにボク自身は過去を懐かしむ話とかあんまり興味ないんですよね。今が一番大事だもん。感情移入は出来なかったけど、良くできているし、画面は美しいし、面白い映画ではあります。ボクは作品賞を取った『コーダ』には劣らない作品だと思います。
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