特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

風にさらわれた恋:映画『風立ちぬ』

柏崎市刈羽村柏崎刈羽原発の再稼働申請を認めたそうです。敢えて言うと、要するに目先のカネが欲しい、他人から補助金をせびりたい、ということなんでしょうけど(笑)。一方 沖縄では米軍のヘリが落ちました。住民の被害がなかったのは不幸中の幸いですが、飛んでいる限りまた事故はあるでしょう。疑問に思ったり、怒りを表したりしても、時間は過ぎていく。時代の流れというものはそう簡単に変わらないことはわかっています。
                      
六本木で映画『風立ちぬ
映画『風立ちぬ』公式サイト

                                                  
ボクはジブリ映画の熱心なファンではないです。劇場で見るのは『千と千尋の神隠し』以来。 足が遠のく理由は新作公開のたびに大量投入される宣伝がうざいから(笑)。ただ今回は宮崎駿の最高傑作と評する映画評もあったので、ちょうど他に見るものもなかったので見に行ってみました。

お話は、ゼロ戦を設計した技師、堀越二郎の生涯に堀辰雄の『風立ちぬ』をミックスさせて描いたもの。

                                                                                       
冒頭から描かれる、大正期から昭和にかけての東京の描写が非常に懐かしい、です
東京には木造家屋が密集し、川べりには大きな煙突が立っている。隅田川を走るのは蒸気船、スーツ姿の主人公と足袋を履いた職人さんたちが一緒になって歩いている。帰宅したら正座をして目上の者に挨拶をしたり、時候の挨拶などの言葉遣いも丁寧で風情があります。
近代と江戸時代がミックスした世界と言ったら良いでしょうか。 実際にボクが体験したわけではないけれども、非常に懐かしさを覚えます。そう感じるのはボクの大叔父に堀越二郎と同世代の絵描きさん(故人)が居て、その人が描いた風景画を子どものときからずっと見ていたからなんですが、少なくともボクが子どものときはこういう世界の香りは東京に濃厚に残っていました。

                           
ノスタルジーを言い募りたいのではなく、かって日本はそういう世界だったということを忘れ去ってよいのか、疑問なんです。東京で由来や由緒を持った古い地名がどんどんなくなっていくのが良い例で、元来の日本の文化が破壊されているような気がします。日の丸とか君が代とか国が明治になって押し付けたものなんて、人々に根付いた日本の文化でもなければ伝統でもない。ましてグローバル化やカネの多寡だけが支配的な価値観になって、かって過ごした時代が全くなかったかのように振舞う今の風潮に危うさを感じるのはボクだけでしょうか。この作品の丁寧な描写は、元来 ボクらはどこから来たのかを丹念に掘り起こしているように見えます。

                                     
ドイツに渡航した主人公たちがドイツ人から物真似人種扱いされるのもリアルです。ボクの勤務先でも戦後すぐ欧州へ技術を学びに行った人たちはそういう扱いを受けたそうです。今は韓国とか中国の企業が物真似しているとか言ってますが、元来は日本もそういう国だったんです。

                                                 
そうやって細かく描かれたアニメ画面を凝視していると、時代の変化が徐々に割り込んでくるのがわかる。世界大恐慌ゾルゲ事件、中国との戦争、特高警察。完成した飛行機を牛車で運ぶ牧歌的な世界が次第にとげとげしいものに変わっていきます。
軽井沢の高原ホテルで主人公が知り合ったドイツ人が度々トーマス・マンの『魔の山』を引き合いに出すのは、それが高原での結核の療養生活がテーマになっている作品であるからだけでなく、トーマス・マンがナチに追われて亡命した人物であることと関係があるんでしょう。映画には当時の政治家や政治状況を語るシーンはないですが、ただ一箇所だけ、このドイツ人の台詞を借りて「ナチスはならず者の集まり」と言わせています。 聞いてるか、マンガ好きの麻生(笑)。

                                       
ゆっくりと世の中が変わっていく。その時代では数少ないインテリだった堀越二郎らには世の中の行く末は良くわかっています。けれど大きな流れの中で個人には抗うすべもない。その中でどうやって生きていくか。
ちなみにさっき触れた絵描きさんは戦争中の物不足の中「戦争画を描けば絵の具やキャンバスを回してやる」という軍の誘いを断って(当人曰く、下品な絵は描きたくなかったそうだ)、郊外に引越し、昔使ったキャンバス地の裏に美しい野山の光景や当人の好きだった歌舞伎など戦争に関係ない、のん気な絵ばかり描き続けました。

                                            
結局 個人にできることは大局観を見失わないよう努力しながら、自分のやれることをやるしかない、んでしょう。この主人公もそう生きました。会社の上司、同僚が主人公を特高警察から匿うシーンがでてくるが、戦争へ向かう大きな流れのなかで、心ある人たちはそうやって微力ながら抵抗したはずです。時代と言うのはただ流れていくだけのものではなく、人間が作っていくものでもあります。だが宮崎は人為についても、死についても多くを語らない。その代わりに足元を吹き払うような強い風が吹く美しい野原のシーンが度々挿入されます。これは宮崎駿なりの美意識なのだろうか。たぶん彼は根本的に人間というものが嫌いなんでしょう(笑)。まあ、そこは共感できます(笑)


この映画で描かれているのは時代の風にさらわれながらも懸命に生きている人間の姿です。物語は関東大震災で焼け野原になった東京の町から始まり、太平洋戦争で廃墟になった東京の街で終わる。それも宮崎アニメで見たことがないような(宮崎の漫画ではみたことがあるが)、文字通り目を覆うような廃墟です。この驚くべき無残さは宮崎駿なりの怒りの表現のように思えます。

                                                           
あと、もう一つのお話の機軸 文字通り『風立ちぬ』の奈穂子さんとのエピソードはどうでしょうか?当時は不治の病だった結核に侵された彼女をほったらかして飛行機の設計に没頭する主人公の姿をボクは極悪人と思ってしまったせいもあって(笑)、あまり乗れませんでした。主人公が徹頭徹尾 見果てぬ夢を追い続けるのに対して、奈穂子さんの造形は現実離れしている、都合がよすぎると言われても仕方ないでしょう。これも宮崎は人間が嫌いだから、と片付けてしまってよいんでしょうか(笑)。二人が特高警察から隠れて起居している離れでの結婚式のシーンは緊張感が溢れていてすごく良かったけど。

                                           
風立ちぬ』は後半は若干 物足りなさを感じるけれど、中盤までは大変面白かったし後味だって悪くないです。ボクが一番好きな宮崎アニメ『未来少年コナン』そのまんまの飛行機の翼の上を歩くシーンがやたらとあったり、宮崎駿の趣味丸出しでやたらとリアルな軍艦の描写とか、そういうところもすごく楽しいし。 これが宮崎駿の最高傑作とは思わないけれど、心にずっしりと残るものがある作品であることは確かです。

この映画の、ゆっくりと穏やかに、だが着実に破滅へと近づいていく描写が現代と完全にマッチしているところに、何とも言いようがない苦さがあります。今の時代とそれに流される人々への宮崎からの強烈なアンチテーゼであることは確かです。超満員の観客席にそれが全て伝わっていたかどうかはボクにはわかりません(笑)。