特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

The Quiet Men:映画『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』

今朝 電車の中で週刊誌の見出しを見ると『アホノミクス』と言う大きな文字が目についた。金融緩和前の株価に戻って、やっとわかってきたのか(笑)。金融緩和も財政出動規制緩和も適度にやるのは否定しないけれど、肝心かなめの富の再配分を行わない限り持続的な成長など起きるはずがない。だって国民に富を行き渡らさなければ日本経済の最大要素である家計の消費が増えないんだから。民主党もそういうところを突けばいいと思うけど、あいつらも財政再建至上主義の経済音痴、根っからのアホばかりだからなあ。偉そうに言うわけじゃないが、安倍ちゃんも含めて、要するに政治屋連中は自分で仕事をしたことがないからわからないんだよ。


先週はどうしても逃げられない宴会が2回もあって結構 ユーウツだった(笑)。宴会、飲み会で嫌なことの一つは、自分に話をふられたときの話題に困ってしまうことだ。他人の話を聞いてるのはまだいいけど、自分のことで特に他人に話すようなことって思いつかない。自分の仕事のことを他人に話すほど興味があるわけではないし、まず仕事の話をするのも下品だ。男性が好きそうな一般的な娯楽、TVも野球もゴルフもクルマも全く興味がない。女性相手だと食べものや家事の話で時間がもつこともあるけれど(笑)、特に相手が男性だとほんとに話題に詰まってしまう(泣)。これがボクが女性の社会進出を支持する理由の一つでもある(笑)。
何とか世間話が出来るようになりたいと思って、斯界の第一人者?であるだろう平木典子先生の事務所のアサーション講座へ通ったことがある。

改訂版 アサーション・トレーニング ―さわやかな〈自己表現〉のために

改訂版 アサーション・トレーニング ―さわやかな〈自己表現〉のために

アサーションとは適度な自己開示とか自己主張によるコミュニケーションの手法。講座に大枚払ってわかったのは、自分が宴会やパーティで世間話ができないのは、出来ないんじゃなくて自分にやる気がないから、ってこと(笑)。何事もそうだが、やる気がないことは解決できない。やる気がないことにやる気を出す方法があったら教えてもらいたいもんだ。
                                           
と思って(笑)、週末 この本『内向型人間の時代』(原題:QUIET)を読んでみた。ちょっと流行っているらしい。
内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力

内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力

内容は『アメリカは異常なまでに外向性志向が強い社会だ。幼時からハーヴァードのMBAまでずっと社交や人脈作りが求められる。ところが実際はオバマガンジーアインシュタインもみんな内向的だし、真にクリエイティヴなものはチームではなく個人の孤独な作業により生み出されたものも多い』というもの。確かにそうだ。そうなんだろうけど、なんか虚しい(笑)。だって。日本だってそうなんだよなあ。今や就職試験にまでコミュ力とか言っている時代だ(アホか)。流石にいい年取ってきたら、無理して外向的に振舞わなくてもいいのはわかったけど、こういう世の中に感じる違和感、居心地の悪さはどうにもなんない。あ〜ああ、早く隠居したい(笑)。




新宿で『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ 宿命
昨年の傑作『ブルーヴァレンタイン』のデレク・シアンフランス監督の新作。最近のいい男ランキング常連の俳優ライアン・ゴズリングブラッドリー・クーパーがそろい踏みの作品。

舞台はニューヨーク州郊外の田舎町。15年間に渡って、3つに分かれたお話が進んでいく。まず無鉄砲な曲芸バイク乗り(ライアン・ゴズリング)が愛する女(エヴァ・メンデス)と子供のために銀行強盗に転進する物語。次に彼の強盗事件に遭遇して彼を撃ち殺す警官(ブラッドリー・クーパー)とその後の人生、さらに十数年後 偶然同じハイスクールへ通うことになった二人の子供たちの物語。3つの物語が絡み合った大河ドラマのような作品。


お話は上半身裸のライアン・ゴズリングの割れた腹筋のアップからスタートする。好きな人にはたまらないだろう(笑)。劇中の彼は物静かな男だ。女に話しかけられてもふられても、子供が生まれても、余計なことは話さない。ただ、行動で答えをしめす。
そのような男と女の出会い、そして男が銀行強盗へ転進するくだりの描写は散文的な乾いた描写でとにかく格好いい。その乾いた描写から、どうしようもなくダメダメな現実から抜け出せない様が痛いほど伝わってくる。切ない。不景気な街には大した仕事もない、気を紛らわせるものは安っぽい見世物屋やダイナー、それにアルコールとドラッグ。そんな郊外の暮らし。その辺の痛い描写は『ブルー・ヴァレンタイン』と同様。
ライアン・ゴズリング。未だに初期の孤独なオタク役の印象が強いのだが、客観的には(笑)カッコいいよな。


                                            
ブラッドリー・クーパー演じる警官は逮捕のためとは言え、人を殺してしまったことで心に傷を抱えてしまう。彼は犯人逮捕でヒーロー扱いされるが、徐々に警察の汚職事件に巻き込まれていく。多くの人が持っている中途半端な正義感と強い野心を持つ彼のキャラクターが面白い。ライアン・ゴズリングのキャラとは対照的な、社交的でまばゆいばかりにハンサムな彼にぴったりの(笑)普通だったらイヤミで嫌いになってしまうキャラなのだが、心に傷を抱えていることでなんとなくシンパシーも感じてしまう。
                                           
人間の2面性を表現した、この演出はうまいなあと思う。陰と陽、正義と悪、人間をどちらかの側になんて分けられるはずがない。また犯人を追う側だったブラッドリー・クーパーが逆に汚職警官に脅されるシーンは暴力も何もないんだけど本当に怖かった、これも、うまい。暴力シーンなど何もないんだけど、画面を見ていると虚しくて殺風景な、油絵で描かれたような荒涼とした風景が心の中に広がってくる。
                                           
●胸板も厚い(笑)ブラッドリー・クーパー(右)。出世作のハング・オーバーでは『無駄なハンサム』役(笑)でバカやってた。


                                           
最後のお話は州の司法長官に出世したブラッドリー・クーパーのドラ息子とライアン・ゴズリングの息子の物語。ドラ息子役の子がいかにもそれらしい感じの中途半端に肉が弛んだデブの甘ちゃんで、そっちはいまいちだったが、体はひ弱だけど目だけは狂犬のようなライアン・ゴズリングの息子のほうは説得力があった。全くシンパシーを持ちにくい、どうしようもない息子たちの物語はドつぼのように下降していき、最後に松林を抜ける涼風が吹く。

  
                                                                                            
大河風のお話はちょっと冗長だけど、息をもつかせぬ演出で飽きることはない。退屈と暴力、貧困やドラッグなど闇部も含めた郊外生活を描いた画面は現実感がありすぎて、見ていてやるせなくなる。日本で言えば関東北部の国道16号とか20号沿いのロードサイド風景に近いのだろうか。救いを見つけにくい光景だが、この映画では最後はダメ息子たちが自分たちなりの意思で選択するところにかすかな希望が感じられる。
良く出来た、何回も鑑賞に耐える映画かなあ。ちょっと重いのであんまりしょっちゅうは見たくないけど(笑)。