特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

眼はつぶらない。忘れない。:原子炉の脆弱性と映画『チェルノブイリ・ハート』

ホントは昨日見てきた『凛として時雨』のギグの話を書きたいのだけど。


フクシマの原子炉格納容器は電源喪失によるメルトダウン以前に、地震の衝撃で破損して穴が開いていた可能性がある、ということが原子力学会で発表された。
これは既存原発の安全性に根本的な疑問符をつける重要なニュースだと思うが、22日にちらっと流れたきり、どこのマスコミも無視しているようだから原文をコピペする。

2号機の格納容器、震災直後に穴開いた可能性
読売新聞 9月22日(木)14時29分配信

 東日本大震災直後に、東京電力福島第一原子力発電所2号機の格納容器が損傷、直径約7・6センチ相当の穴が開いた可能性のあることが、日本原子力研究開発機構の柴本泰照研究員の模擬実験で分かった。
 格納容器の損傷度を示す具体的な数値が推定されたのは初めて。北九州市で開かれている日本原子力学会で21日、発表された。
 柴本さんは、交流電源が喪失した後に、蒸気で注水を継続する非常用冷却装置「原子炉隔離時冷却系」(RCIC)の動作状況、圧力の推移など東電が発表したデータを活用。RCICへの水の供給源は、震災14時間後に、枯渇した復水貯蔵タンクから格納容器の底部の「圧力抑制室」に切り替わった。
 この場合、熱が外部に逃げないため、圧力は、震災後、2日程度で設計圧力(約5気圧)の2倍まで急上昇する。しかし、実際は、圧力の上昇は緩やかで、7気圧に達するまで3日以上経過していた。 最終更新:9月22日(木)14時29分

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110922-00000668-yom-sci

震災直後に穴が開いた、ということは地震で格納容器が壊れた、ということだ。
3月11日のフクシマ浜通り震度6(仙台などは震度7)。
原発の再稼動を主張している連中は今回の原発事故は電源喪失とか津波のせいだ、とか言っているが、実際は震度6強で格納容器に穴があく可能性があるってことだ。これは容器本体の問題だから、今後 ストレステストをいかに厳しくやろうと解決できる問題ではない。更に他の原発、少なくともフクシマと同じ沸騰水型(東京、北海道、中国、中部、北陸電力が採用)の原子炉で、まさに同じことが当てはまるのではないか。

これもあまり報じられないが、フクシマ原発の配管や圧力抑制室など格納容器の周辺部分は津波でなく地震で破損した、と事故直後からボクは思っていた。でなければ原子炉内の水位がどんどん低下していったことの説明がつかないからだ。実際 武田邦彦氏が言っているように3・11以降の余震でも各地の原発で破損が頻発している。また日本ではこの10年で13回、震度6以上の地震が発生しているそうだ。http://takedanet.com/2011/09/6_aca1.html


原子炉の周辺部分なら被害が起きる前にリカバリーできる可能性もある。
だけど原子炉の格納容器本体が地震でぶっ壊れたらオシマイだ。
ボク自身も日本の原子炉がこんなに酷い(ボロい)とは思わなかった。原発の賛否に関わらず、多くの人がこのことを知っておくべきだと思う。




渋谷で映画『チェルノブイリ・ハート』
http://www.gocinema.jp/c-heart/index.html

チェルノブイリ事故以降、ベラルーシでは心臓に障害をもったまま生まれてくる子どもたちが増えているそうだ。現地では『チェルノブイリ・ハート』と呼んでいるらしい。それを取材した2003年のアカデミー短編ドキュメンタリー部門の受賞作。
この映画を見に行ったのはこれから日本でどういうことが起きるのか、本当のことを知りたいと思ったから。

日本政府及び一部の専門家はチェルノブイリでの被害を矮小化して伝えている。チェルノブイリ放射線によって周辺住民に被害が出たのは甲状腺ガンだけ、亡くなったのは15人、とか、そんな話だからだ。
*4月の官邸発表資料チェルノブイリ事故と福島事故との比較 | 原子力災害専門家グループ | 東電福島原発・放射能関連情報 | 首相官邸ホームページ


この映画ではチェルノブイリ周辺の、奇形などの身体障害や知能障害を持ったまま生まれてきた子供たちの姿を描いている。脳や臓器が外に飛び出していたり、心臓に穴が開いていたり、手足に障害がある子どもたちの姿は見るのが辛い。治療のあても無く入院したままの彼らは長くは生きられない。そういう子どもたちの数はフィルムに映しっているだけでも15人どころではない、もちろん。

病院の関係者は言う。『放射能との因果関係はわからない。だけど事故発生後 障害を持って生まれてくる子供の数は確実に増えている


おそらく、こういう子どもたちは放射能の被害にはカウントされていないだろう。放射能との因果関係ははっきりしない、わからないからだ。今まで起きたことがないことなのだから、簡単に判るわけがない。判るまでには長い時間がかかるだろう。だけど『因果関係がわからない』と『因果関係がない』とは意味が違う。

この映画は、何月何日にどこを取材したとか客観性を担保するための基本情報が入ってないし、アメリカ人の監督が被写体にかわいそうと擦り寄る姿勢が偽善的にも感じるし、ドキュメンタリーとしては?と思う。けれど、画面に出てくる子どもたちの存在は雄弁すぎるほど事実を伝えてくれる。



あまり知りたくない事実ではあるけれど、この子どもたちのためにも、ボクは彼らを直視しなければいけない
そして3・11から今までに起きた出来事、政治家&役人&電力会社やインチキ学者にマスコミなど、奴らがやってきたことそしてこれから起きること、眼をあけてよく見て、未来永劫忘れないぞ、とボクは決めている。
それが、こんな酷いことを再び引き起こさないために必要なことだ、と思うから。