特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

建設的な破壊

玄海原発の運転再開を現地の知事や町長が認めると言う。
首長たちの判断の根拠は全く報道されないから、彼らが国の安全対策や玄海原発の老朽化の問題を本当に納得したのか、それとも町の予算の半分以上を占める原発交付金と固定資産税に釣られたのかは判らない。
ただ一つ言えるのは、(言葉は悪いが)玄海町の人たちが金に釣られるなら、それはそれで一つの判断だということだ。雇用や交付金に釣られて自分や家族の生命や郷土を危険にさらすのも、それはその人たちが選んだこと、だ。

仮に玄海原発が爆発しても東京は大丈夫だし、地元にはした金をばら撒いて、自分たちのもっと大きな利権を維持できれば、玄海なんて辺鄙な土地が地図の上から抹消されても知ったことではない。
と いうのが政府や電力会社の本音だろう(そうでないなら原発を東京に作ればよい)。福島だってそうだったわけだし。

だが、それはある意味とても現実的な考え方だ。自分の利益さえ確保できれば他人などどうでもよい。誰にでもある、その本音を見ないふりをして小金を受け取るかどうか、は一義的には玄海の人たちの問題だ。


ただし、カネは受け取るけどリスクは無しよ、なんて甘い話が世の中にあるはずはない。
それだけは確かなことだ。絶対に安全なら原発に金なんか払う必要はない。 普通の大人なら簡単にわかることだろう(笑)。




TBSの記者、金平茂紀氏(土曜夕方放送の『報道特集』のキャスター)が朝日新聞に書いた『原発とテレビの危険な関係を直視しなければならない』という文章があった。
http://www.asahi.com/digital/mediareport/TKY201106090286.html
この人はロック音楽のファンらしく以前アメリカに駐在していたときはやたらと政治とロックを絡めたルポを送ってきていて、個人的に非常に好感を持っていた記者だ(笑)。


一読して誠実な文章だ、と思った。
今回の原発事故を通じてマトモに事実を伝えなかったマスコミの責任、またこの文章を掲載している朝日新聞を含め今まで原発を推進してきたマスコミの責任を名指しで追及している。こういう文章は大マスコミでは始めて見た。

これを読むと現場の制作側がドキュメンタリーなどで原発をきちんと報道しようとすると、今のTV局でどういう目にあうか、がよくわかる。
原発のドキュメンタリーを作っただけで現場から飛ばされてしまう現状は、大日本帝国言論弾圧殆ど焚書坑儒北朝鮮だ。
そんなことをやっている今のTV局というシステムにまともな報道などまったく期待ができるはずがない。


平氏がキャスターをしているTBSの『報道特集』は、6・11の反原発デモをアルタ前から実況中継するなど、大手マスコミでは殆ど唯一と言ってよいくらいマトモな取り上げ方をしていた。7/2の放送でも原発をこのまま進めていってよいのか疑問を感じる』と金平氏が明言してしまうような例外的なTV番組ではある。

そうやって金平氏が、デマゴーグみのもんたを毎朝出演させるような醜悪なTV局の中で、組織の利益と個人の良心、その両立を何とか図ろうとしているのは、ボクもサラリーマンの端くれとして共感する。だが金平氏のような一部の記者は、電力会社がマスコミ・広告代理店をカネで支配する、今のシステムの中ではごく少数派に過ぎず、結果として既存の大手マスコミは人々の信頼を失って滅びていくしかないのだろうし、それは多分 金平氏もわかっているだろう。


今回の原発事故で良かったことがあるとすれば、よほどのバカやお人良しでない限り、日本の政府や大手マスコミを信じてはいけない、ということが公然の事実となったことだ。

政府や自治体の『安全です』という情報にも関わらず、週刊誌やネットではホットスポットや汚染の情報が飛び交っている。
最近の新聞を開くと上段の記事の部分には政府の役職者や地方の首長の『原発は安全だ』という発言が載っていて、その下段では週刊誌の広告で大々的に放射能の危険を訴える見出しが掲載されているのは、シュールな光景ですら、ある。
今の日本には、まるで2種類の真実があるかのようだ。


日本の政治家や役所、それに独占的な企業は国民のためのものではない。彼らは国民のためには働いていない。奴らはたぶん国民の敵、だ。

*初対面の被災地の知事に命令口調でいきなり説教する松本龍のような下等な人間が復興担当大臣なんだから、日本の政府の本質はとても判りやすい(笑)。



今回の原発事故でそのことが露になったことだけは、良かったのだと思う。こうして化けの皮がはがれた以上 既存の政治家・政党も大手マスコミも東京電力もゆっくりと壊れていくだろう(もし、そうでなければ 日本はジ・エンドになるだけだ)。

この建設的な破壊は日本に民主主義が根付いていくためのプロセスなのかもしれない。もっとも民主的な国家と言われるスウェーデンを始めとした北欧でも、民主主義が確立するまで約2百年かかっているではないか。日本はまだ戦後60年も立っていない。
希望的な観測かもしれないけれど。