特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

2010年の就職事情と『日本のこれから』(NHK総合)

来年の就職希望者の面接。
就職難の昨今 いまや就職活動は『就活』とか言って学生さんの間ではイベント化しているらしい。
面接を勝ち残ってきた人たちは誰も彼もしっかりしていて、自分のときとはまったく違うのに驚く。自分が就職するとき考えていたのは『休みが多そう』、『仕事が楽そう』、『世の中に与える害悪が少ない』だけだったもんね。そもそも、仕事にやりがい、なんかあるはずがない
ところが最近の面接では誰もが判で押したように、『仕事を通じて世の中に貢献したい』、『私は人間関係を大事にしている』、『リーダーシップを発揮したい』とかどうのと、言う。
本当に本当なのかね?あまりにも嘘くさいので突っ込みを入れようかとも思うが、そういうのもあんまり大人気ないし、あとでネットに悪口を書かれそうなので止めておく(笑)。
面接を受けに来た中にはいろいろな人が居て、それは中々面白い。今年はテレビに出演していたという女の子も居たし、ボクには及びも付かないような経験をしてきた子、頭の良い子、要領は悪いけど性格は良い子、いろんな人が居る。
近年 共通している傾向は女子学生のほうが男子学生に比べて遥かにしっかりしている人が多い、ということか。理由としては女性のほうが就職が厳しいから、とか言われるが、何でそんな議論が生じるんだろうか。少子高齢化の日本にとっては性別を問わず優秀な人にはどんどん活躍してもらうのは当たり前だろう。企業の論理からしても 採用した女性が仮に産休で1年や2年休んだって優秀な人間をとったほうが遥かに得なのは間違いない。何度も言うが優秀な人に性別なんか関係ない、というのはごく当たり前のことだ。
とにかく、就職面接に来る子はたいてい一生懸命で、そういう状態の人に触れることは人間嫌いのボクですら(笑)、感じるものはある。そういう点では面接に来てくれた学生さんにお礼をいいたい。

新卒者ばかりを優遇する日本の就業システムは確かに問題だ。特に付加価値で勝負していこうとする企業なら、新卒者ばかりを採用をすることで同質の人間が集まってしまうのならば、それはあまり良いことではない。
新卒/中途・年齢・性別・国籍・人種を問わず様々な人が気持ちよく働くためには同一労働同一賃金は必須だが、かといって一部で言われているような(一昔前までは時代遅れとされていた)職務給みたいなシステムをいまさら神聖視して年功とか経験と言うものを無視するような短絡的な議論も頭が悪すぎる。経験による知の蓄積は、付加価値の源泉だ。そもそも企業の大小を問わず、ジョブ・ディスクリプションがきちんとアップデートされている企業が日本にどれだけあるというのか。職務給が向いている職種もあれば、経験知も考慮する職能給のようなシステムが向いている職種もある、というのが正確なところだろう

結局 就職試験はお見合いみたいなものだ。人間の優劣とはあまり関係がない。企業にしてみれば、その時々によって欲しいタイプは変わるし、学生さんがどんなに優秀でも企業との相性というものもある(これはかなり大きい)。
ボクだっていつ、職を探さなければならなくなるかわからない。この時勢でその立場になったらやはり本人は大変だ。
だが、若い人こそ就職を食い物にする業者(リ○ルートとか)とかコンサルタント(だいたい、自分でそう名乗っていること自体が胡散臭い)の言っていることは、真に受けないほうが良いと思う。代理店とかコンサルタントみたいな人種は自分では何も創らなければ責任もとらず、ただ自分の金儲けのために流行言葉を作ったり宣伝しているだけなのだから。


5月7日にNHK TVで放映されていた『日本の、これから』はなかなか面白かった。http://www.nhk.or.jp/korekara/
近頃の若者はいわゆる『草食系』が多い(本当かね?)、ということで、スタジオで草食系の若者VS大人、という図式で対話をする、という番組だ。
草食系の人が言っているらしい『車なんか欲しくない』、『出世なんか興味ない』、『金は食えるだけあれば十分』みたいなことにはボクは結構 共感できる。だから、ではないが番組で目についたのは、大人の側が自分の思い込みを押し付けてくるのが多いことだ。
若者たちに向かって、例えば元銀行役員の人は『君たちは計画性がない』とか、室井佑月とか言う人は『優秀な男を捕まえて、子孫を残そうと思わないのか』とまで言っていた。護送船団方式の横並びでぬくぬくと過ごしてきた昔の銀行マンに計画性とか言われたくないし、ましてや優秀な男を捕まえて云々とまでなると、『そんなに男が欲しければ、どうぞご勝手に』としか言いようがない(笑)。他人事ながら、そんなのに高橋源一郎は引っかかっちゃったのだろうか?
ただ室井が自分の意見に強烈に思い込みがあるのか、終盤 目に涙をためながら若者たちに『もっと、自分たちの気持ちを表現してよ』と迫っていたのには納得性はあった。それはその論理ではなく一生懸命さゆえ、だ。実際は室井みたいに自分が正しいと思いこんでいる人に、他人が自分の意見をどう表現しても決して折り合うことはない、だろうけど(笑)。自分が正しいと思っている人間ほどタチの悪いものはないのだ。
そういうことも含めて、この番組が終盤、今後はお互い多様性を認められる社会を目指したほうがよいのではないか、という方向になっていったのは近頃 出色の出来だった。

最近読んだ本で鶴見俊輔先生が『これからの日本は3流国として、いかに創造性を発揮していくのかが鍵だ』と言っていた。そういうことをこともなしに言える鶴見氏は凄いし、きっとそういうことなんだと思う。

ぼくはこう生きている 君はどうか

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