特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『選挙に行かない奴は- - -』と『東山の昼下がり』(夏休み旅行記3)

 やっと暑さも峠を越したのが実感できるようになりました。まだまだ蒸し暑さは残りますが、時折こんな空を見ることができるようになりました。秋空が恋しいです。

 岸田が『今まで停止していた柏崎刈羽や東海第二などの原発を動かす、原発の新設も検討する』と言い出しました。安全対策や避難計画の欠如など、停止には理由があるのにトンデモない話です。

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 今夏のように電力不足の恐れがある、と言われたら、確かに少し考えます。『本当に電気がたりないのなら、安全を確保した上で電力不足やCO2削減のためには再稼働も仕方がない』と、まともな人(笑)だったら思うでしょう。10年近く再稼働反対の官邸前抗議に通ったボクだってそう思います。

 しかし、本当に既存原発が安全なのか、本当に電気が足りないのか、と言う問題は全く議論されていません

 最近策定されたエネルギー第6次基本計画では電気の需要の元になる、2030年までの日本の経済成長率はOECDの長期予測の1.8倍、という前提で計算されているそうです。
 一橋大の野口名誉教授は『そんな経済成長は不可能であり、サハリンのLNG権益が無くても問題ないし、30基必要とされている原発の再稼働も10基で十分』と指摘しています。

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 今年は老朽火力発電の故障&メンテとウクライナという緊急事態が重なりました。長期的には電力は余る可能性は高い
 特に東海第2のような、事故が起きれば東京全滅になりかねないリスクがある老朽原発を動かしていいのでしょうか。電気がどうしても足りないなら兎も角、東京・中部・関西の電力を融通する連係線もまだまだ拡張する余地があるのに、トンデモナイ話です。しかも原発の発電コストは再生エネに比べてはるかに高い


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 ボクは今まで、安倍や菅に比べれば漢字が読めるだけ岸田の方がマシ、腰が定まらない野党の政権よりもマシ、とすら考えてきました。
 しかし原発の再稼働強行は許しがたい。まして新設なんか論外。バカ高い原発の電気で日本の産業競争力をこれ以上下げようというのか。岸田まで日本弱体化を狙う統一教会の手先か。
 まず、電力が本当に足りるのか足りないのか、本当に安全なのかどうか、きちんと議論をすべきです。なんで、こんなひどい政治家ばかりなんでしょうか、日本は。


 さて統一教会の件、報道が続いています。日本人お得意の『飽き』の問題は怖いですが、まだまだ問題はいくらでもあるでしょう。飽きている場合じゃない。統一教会の汚染は自民党だけでなく、維新や国民民主、公明にまで広がっていますが、立憲民主の枝野、安住などが世界日報統一教会系の新聞)のインタビューを受けたという話までありました。

 思わずムッとしたのですが、

 事情を詳しく見ると、当時 枝野は憲法調査会の会長で調査会として自民党の議員と一緒にインタビューを受けたそうです。それでも『アホか』って話ですが、個人としてというより憲法調査会や当時の民主党としての問題でもある。

●枝野の弁明。「反対の立場の媒体にも自分の主張を載せるべき」というのは判る。ただし、まともな媒体なら。

 それでも立憲民主の幹事長に岡田克也国対委員長安住淳が戻ってくるそうで、そこは期待します。リーダーシップはともかく、政策では岡田克也は殆ど間違ったことは言わないし、国対委員長としては安住が有能だったのは既に証明済みです。

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 どんな政治家、政党にも問題はあります。
 例えば枝野は初当選の際 革マルの影響下にあるJR労組から支援を受けています。元幹事長の福山は自民党の麻生などと一緒に、現代の奴隷制度と悪名高い技能修習生の派遣に携わる日本ミャンマー協会の理事をやっています。

 福島瑞穂共同通信からの転載でインタビューが世界日報に載ったこともあるそうです(これは完全無罪ですが)。さすがに共産党統一教会とは関係ないでしょうが(笑)、かといって共産党の訳のわからない政策と独裁体制の政党が良いと言うわけでは勿論、ない。
 れいわだって山本太郎は選挙の際 中核派の関連団体の支援を受けているし、政策が間違っているばかりか普段言ってることすら嘘ばかりです。統一教会中核派も世の中への害悪、という点では大して変わらない。統一教会の方はカネは持ってるだろうけど。

 完全無欠の政党、候補者なんか残念ながら存在しない。どこまでが許容できて、どこまでが許容できないか、という境界をはっきりさせること、それに有権者にきちんと説明しているかどうかで判断するしかないんじゃないでしょうか。我々はよりマシなものを選んでいくしかない

 昔の学生運動に始まり、現在の野党に至るまで、自分たちの主張に固執するあまり内ゲバが始まり、自滅していったのが日本の左翼の歴史です。夏休みの旅行の合間にこの本↓を読んで、改めて納得しましたよ。
 

 やはり変な団体が介入しても意味がないくらい、投票率を上げること。結局それに尽きる、とボクは思います。選挙に行かない奴は統一教会の手先(笑)、それでいいんじゃないでしょうか。
 
 


 と、いうことで、お盆の旅行も最終日です。
 朝、部屋に朝ご飯を持ってきた宿の人が窓の障子を全て外してくれました。ガラス戸一面に静かな保津川の光景が広がっています。まるで額縁の中の絵のようです。

 と言っても、この日は朝ご飯はほどほどにしなければなりません。宿を出て、また船で川を下っていきます。

 渡月橋のたもとで船を降ります。

 そこから市内へ戻って、嵐山とは反対側、東山のふもとへ向かいます。
 旅行のフィナーレに、京都ならではの料亭へ行ってお昼ご飯を食べよう、という計画です。近くまで来て車を降りると辺りは祇園清水寺の観光名所やお盆前のお墓参りの人でごった返していました。でも東山に向かって少し坂を登ると、人影もまばらになります。

 予約したのは創業100年余で京都ではそれほど古いとは言えませんが、その前は先祖代々高台寺の井戸の番人だった、というお店です。
 玄関前には下足番のおっちゃんがまるで待ち構えているかのように立っています(笑)。ボクは旅行で3日間履いてくたびれたウォーキングシューズで、ちょっと恥ずかしい(笑)。

 案内されたお座敷に入ると、まずお茶菓子が出てきます。食べる前にお腹を膨らませたくないんですが、京都では最初にお菓子を出してくる和食店って結構あります。不思議です(笑)。

 東京にも美味しい和食屋は沢山あるし、東京に支店を出している京都の店も多い。でも、殆どがビルの中です。料亭という独立した、それも古い建物でご飯を食べられるのは京都ならでは、です。

 このお店は全部で18部屋というから料理屋の割には比較的大きく、敷居も低い。こちらも気を使わなくて済む。店は『大人のアミューズメントパーク』と称していますが、確かにディズニーランド(ボクは行きませんが)みたいな感じです。

 案内されたお部屋に入ると夏らしい滝の掛け軸が目につきます。

 仲居さん曰く、この部屋は屋形船を模しているそうです。

 なるほど庭は川を模しています。それに生命力が溢れる草木の緑が美しい。

 庭の石も水の流れのような模様がつけられています。草木の手入れも含め、維持するだけでも大変だろうなーと思います。

 天井も屋形船の葺いた屋根風になっています。

 お料理はほおずきに入れた八寸から始まります。細かい話ですが、下に敷いてある銀杏が異様に美味しかった。

 一つ一つ開けていきます(笑)

 次にイチジクの白味噌煮で口の中をさっぱり。

 大きな蓮の葉の上にはお刺身。車エビと明石鯛。

 鱧の落しと焼霜造り。写真を撮る前に一つ食べてしまいました(笑)。
 前日の鱧は水っぽくてダメでしたが、こちらは流石に大丈夫。この店の落としは水ではなく鱧の出汁で湯がいているので味が逃げない、また普通は氷で冷やすけど皮が硬くなってしまうので暖かいまま出す、と仲居さんが言ってました。

 賀茂茄子の揚げ出し。茄子と海老が入っています。濃いめの出汁が美味しい。

 塩釜を外して現れた若芽の下はじゃーん。丸ごとの鮑と雲丹。四の五の言わず、うまいに決まっています。肝醤油で。女将には『お腹がいっぱいになってしまうから食べちゃダメ』と言われるのですが、この若芽も貝の味を吸っていて、死ぬほど美味しい。

 『盛夏の冷製』と称したお皿。タコ、北寄貝に京都で採れた野菜。マイクロトマトに赤い万願寺唐辛子、ラディシュやビーツなど。

 最近は和食でも後半に肉が出てくることも多いです。この店もそう。ボクは事前に『霜降りの肉は止めてくれ』とお願いしてあったので、代わりに伊勢海老の具足煮が出てきました。ドカンとデカいお皿で出てきたのでヤケクソ気味な感じもしましたが(笑)、白みそ仕立てのお汁と冬瓜が実にうまい。

 鮎ご飯。かかっているのは蓼の粉。

 いつも思うんですが、和食屋の漬物って売っているものより遥かに美味しい。プロの手作りだからでしょうね。みそ汁の中には蓮根餅。

 最後は抹茶の代わりにかき氷。最後に出てくる割に結構デカい(笑)。そして、お茶の色が異様に濃い。氷に抹茶を振りかけたのではなく、抹茶を凍らせてかき氷にしたのでしょう。

 氷の中には抹茶アイスと白玉、小豆が入っています。

 もう、お腹いっぱい。食べ終わってお茶を飲んでいると、蝉の声がひときわ大きく聞こえました。東山の静かな昼下がりです。

 これで年に1回の食べ放題旅行もオシマイ。この日は夕飯抜きだったことは言うまでもありません。またダイエット生活に逆戻りです(泣)。

 感染でビクビクしながらの旅でしたが、楽しかったです。来年はコロナなんか気にしないで旅行に行けたら良いなあ。健康でおなか一杯食べられることに感謝したいと思います。

『知らなかった』ではなく『知ろうとしなかった』:映画『ファイナル アカウント 第三帝国最後の証言』

 いつもいつものことながら週末が過ぎるのは早いです。
 今はもう、楽しかった夏休みが遠い昔のことのように思えます(泣)。

 週末の話題をいくつか。
 まず、土曜日に放送されたTBS『報道特集』、番組の時間の殆どを費やした統一教会特集は確かに力作でした。
 「自民党政調会長の萩生田は以前は月に1回は教会へ足を運ぶほど、統一教会と深いつながりをもっていたこと」、また「地方議会にシンパとなる議員を増やして『同性婚反対』や『選択的夫婦別姓を認めない』など個人に干渉する連中の政策を実現させようとする計画が進んでいること」を証拠を示しながら報じていました。

  政治家が『知らなかった』だの『今後は適切な関係をとる』だの言い訳しているのは、その政治家が如何に意識が低いか、つまり自分の利益のためには社会の利益を損なうような団体と手を結ぶことも厭わないことを示しています

 国民を守るどころか、霊感商法や家庭破壊の被害者なんか気にも止めていない。何よりも個人の自由や尊厳を守るという意識なんかない。自分の選挙の方が大事、という訳です。

 政治家も多くの国民も、『知らなかった』ではなく『知ろうとしなかった』のです。


 もう一つ。リナサワヤマという歌手がいます。この週末、彼女のことが話題になりました。
 新潟生まれロンドン育ち、両親の離婚で苦学しながらケンブリッジ大を出てファッションモデルになり、そこで貯めたお金で自力で歌手デビューしたという人。既にイギリスでは売れっ子で、キアヌ・リーブスの新作映画『ジョン・ウィック4』のヒロインに抜擢されています。
 ちなみに今 アメリカではmitsukiという日系女性の歌手がブレイクしていますが、mitsukiもリナサワヤマも椎名林檎の影響が感じられるのは面白いです。勿論 彼女たちの方が椎名林檎より遥かに恰好いいですが、女性へのエンパワーメントという意味では椎名林檎が果たした役割はあるのかもしれない。

 話題になったのは土曜日に行われたロックフェス、サマーソニックでの彼女のパフォーマンス。ラストの曲の前に舞台上からこう、呼びかけました。『G7で同性婚が認められないのは日本だけだ。日本という国が恥ずかしい。一緒に戦ってくれ。』と。

 それに対して『感動した』という声だけでなく、いつものアホどもの『音楽に政治を持ち込むな』という声(笑)、更に当日 外国人の出演者を揶揄するくだらないパフォーマンスをした日本のバンドへの憤りがネットに出ていました。ホルモンとかking guみたいなクソバンド、さっさと死ねばいいのに。

 いかにも日本的な光景、です。『(LGBTQも含めた)個人の自由や尊厳を守る』という意識に甚だ欠けているのが音楽界でも露わになっている。
 多くの日本人の意識は世界に取り残され、ガラパゴス化してしまっているということなのでしょう。
 これもまた『知らなかった』ではなく『知ろうとしない』。狭い殻に閉じこもって日本人は自分の責任、主体性を放棄し続けている訳です。
 

*これ、面白いです。どこまで影響があったかわからないけど連合の会長、芳野と統一教会の接点。


 と、いうことで、有楽町で映画『ファイナル アカウント 第三帝国最後の証言

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 元親衛隊、元女子青年団強制収容所周辺の住民、強制労働の現場など、ナチス支配下のドイツ・第三帝国を知る高齢者達にインタビューしたドキュメンタリー。ナチス政権下のドイツで幼少期を過ごし、ホロコーストを実際に知る最後の世代である彼らの証言を映し出す。監督は祖父母が強制収容所で殺されたユダヤ人、ルーク・ホランド

 通常、証言を集めたドキュメンタリーは戦争の被害者を扱ったものが多いと思います。特に日本ではそうです。時折 加害側の証言をする人もいますが、殆どが現在は悔悟の念を持っている。わざわざカメラの前で証言をするのですから、当然といえば当然です。

 このドキュメンタリーはそうではありません。ナチの戦争やユダヤ人虐殺を不可抗力だった、正当だったという人の証言も取り上げています。

●元親衛隊員

 彼らの言い分は様々です。一番多いのは『ユダヤ人虐殺など知らなかった』という弁解。他にも『我々は戦場で戦っていただけで、ユダヤ人虐殺には関与していない』というナチスの親衛隊員や『ナチスの政策は間違ってなかった。他の国に移住させればよかった。』と言い張るジジイもいます。

青年団

 責任を認めない者に対しては、監督は冷静に突っ込みを入れていく。
 話をしているうちに『知らなかった』というのは殆どが嘘であることが分かります。多くのドイツ人はユダヤ人迫害を知っていた。戦争前のユダヤ人への迫害は白昼堂々と組織的に行われていたし、一般住民もそれに加担するものもいた。男も女も、です。

●家から連行されるユダヤ人少年(実写!)

 ユダヤ人虐殺は極秘にされていた、と良く言われますが、証言を聞く限り、収容所周辺の住民や出入りの業者はそこで何が行われているか、良く知っていた。様々な物資が消費される収容所や軍事施設を建設するユダヤ人の強制労働の現場は地元経済を潤す一大産業だったからです。まったく知らなかった、なんてありえない。
 ドイツ人はユダヤ人の迫害や虐殺を薄々は知っていた。もしくは見ぬふりをしていた、または知ろうとはしなかった

 今 『統一教会のことを知らなかった』と大勢の政治家が言っています。安倍晋三杉田水脈のような生来の嘘つきを除けば、多くの政治家は知ろうとはしなかっただけではないでしょうか。国民もそう。
 この映画で描かれていることは現在の我々と繋がっている。 

 虐殺があったとする証言者が現代の若者たちと討論をするシーンがあります。『ユダヤ人虐殺は恥だ』という証言者に対して、『いつまで我々は恥ずかしいと思わなければならないのか』と反論する若者が出てきます。『ドイツでも日本でもアホの発想はよく似ている』とは思いましたが、その若者はカメラの前で顔を隠している。一方 カメラの前で顔を出している他の若者たちは黙っている。
 過去のドイツと現在のドイツでも同じことが起きているのが、こういうシーンからでもよく判ります。

 この人たちの証言をどうやって撮ったのだろう。証言をする人の殆どは一般の人たちです。ユダヤ人虐殺を隠したりナチを肯定していても頭がおかしい、という感じではありません。一般の人が如何に簡単に社会の雰囲気に流されていくか、ということを実感させられます。

 淡々とした証言が続くドキュメンタリーです。ですが、全然退屈しません。時折 反論はするにしても、監督は加害者にも自由に証言させています。ユダヤ人迫害を一方的に断罪するのではなく、この人たちは何故そういう行動をしたのか、そして、今何を考えているのかを浮き彫りにする作品になっています。
 冷静な描写に徹しようとする監督の内心は複雑だったと思いますが、あくまでも過去ではなく『今』の物語になっているから、観客にとっても切実感がまるで違うものになっている。

 日本も同じですが、戦争体験者は高齢になり証言を聞く機会も段々と少なくなってきています。この作品は、その貴重な証言を加害側も含めて自然に引き出しているから、説得力もインパクトも大きい。面白かったし、大変優れたドキュメンタリーだと思いました。


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『歴史の振り返り方』と『小倉山の夜』(夏休み旅行記2)

 楽しかった夏休みも終ってしまいました。まだまだ暑いですが朝晩の空気には、秋の気配が感じられるようになってきました。
 なんだかんだ言って秋がやってきて、また冬が来る。嫌なことも楽しいこともやってくる。時の流れは早いものです。


 この時期 テレビでは太平洋戦争のことがしばしば放送されます。
 それはそれで良いとは思いますが、どうも被害者の体験ばかりが多いのが気になります。
 確かに、改めて被害体験を聞くと戦争は絶対にしてはいけない、と思います。でも心のどこかで、他人事にも聞こえるんです。被害者の話を語り継ぐだけで良いのだろうか?という気がするからでしょうか。

 日本は侵略戦争の加害者だし、大多数の国民はそれに賛成した。勿論 天皇東条英機のような連中と一般国民では罪の軽重は異なるけれど、少なくとも日本人は戦争の一方的な被害者ではない。日本人は加害者であり被害者でもあるという視点で作られた、前回取り上げたNNN『侵略リピート』のようなルポは少ないです。

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 この番組で、敗戦後 満州人たちの暴行を恐れてソ連兵の保護を受ける代わりに性接待をせざるを得なかった開拓団の女性が『日本人は満州人から土地や家を取り上げたりバカにしていたんだから、襲われるのも仕方ないと思った』と言っていたのは本当に心に刺さった。


 歴史を振り返れば、侵略戦争は大抵の国が行っています。個人的には『実るほど頭を下げる稲穂かな』でちょうど良いと思いますが、日本人だけが侵略戦争を卑下しなくても良いのかもしれません。
 でも日本にとっても、迷惑をかけた周辺の他国にとっても、太平洋戦争はこれ以上ないほどマヌケな選択であったことは間違いありません。歴史修正主義者みたいに事実を捻じ曲げるのと卑下しないのとは大きく違う。

 バカウヨは勿論、リベラルと言われる人たちも含めていざとなれば日本は野蛮な侵略国家になるという自覚、そのことへの怖れが足りないように思えます。

 たまたま見たNHKの9時のニュースで、日本人とウクライナから避難してきた高校生の議論をやっていました。日本の高校生は『ウクライナへ武器を送っていると戦争が終わらない』と言っていました。それに対して『武器がないと私たちは殺されてしまう』と答えるウクライナの子に日本の高校生は返す言葉がありませんでした。

 武器や戦争を忌避する絶対平和主義は一見聞こえは良いですが、『抵抗するための武器がなければ殺されてしまうこともある』という現実に追いついていない。
 そもそもプーチンナチス大日本帝国に絶対平和主義が通用する筈がない(笑)でしょう。あくまでも武力に頼らない絶対平和主義が良いのか、軍事力に頼るのがよいのか、そんなことはケースバイケースでしか判断できない。世の中そんなに単純じゃない(笑)。

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 今 侵略戦争を行っているロシアを見ると『野蛮な連中』と思いますが、日本人だって一皮むけば、必ずああなります。
 それが判ってないから『市民の犠牲を少なくするためにウクライナはさっさと降伏しろ』という和田春樹や想田和弘のような無責任なアホが出てくる。プーチン大日本帝国相手に『さっさと降伏しろ』というのは『殺されたりレイプされたり、強制連行されても我慢しろ』と同義です。

 対米自立論を唱えた三島由紀夫もかっての学生運動も自称リベラルも『時と場合によっては何をするかわからない』という日本人(人間)の本性をわかっていない。物事を客観視できないアホばかりで対米自立なんか出来るとでも思っているのか(笑)。

 未だに旧日本軍そっくりの丸坊主で精神論満載の甲子園みたいなものをリベラルと言われる朝日や毎日新聞が後援しているのが象徴的です。あんな悍ましいものを喜んでみている国民を見てると、日本人の心性は戦前とあまり変わってないのがよく判ります。

 今話題になっている統一教会の問題も同じです。岸信介から安倍晋三まで私利私欲しか眼中にない政治家連中が腐っているのは勿論です。が、そういう連中に投票する日本人自体が自分たちの本性を直視していないからこそ、同じようなことが繰り返されているのではないか、そう感じてしまいます。


 と、いうことで、夏休みの旅行記の二日目です。この日は賢島から、京都へ向かいました。

 コロナ前は毎年京都へ行っていましたから、3年ぶりです。と、言っても観光地は興味ありません。それに感染が怖い。特急電車は人も少なくて危険を感じませんでしたが、市内の電車は人が多かった。電車の中でべちゃくちゃ喋り続けている阿呆のおばはんやマスクをしてない白痴のおっさんまでいる。怖い。
 なるべく呼吸をしないようにしながら?嵐山へ行き、渡月橋から宿へ向かいます。

 毎年のように泊まっていた宿も3年ぶりです。

 そのせいだからか、今回は部屋をグレードアップしてくれていました(笑)。ラッキー。 

 嵐山は原宿みたいに通俗的な観光地になってしまいましたが、15分ほど川を遡れば別天地のような静けさになります。
 部屋に入っても保津川の景色を見ながら、ぼーっとしているだけです。部屋にはテレビも時計も無い、新聞もない。

 で、2時間もぼーっとしていると夕飯の時間がやってきます。
 食卓に着くと『ブラック・スワン』という日本酒が食前酒として出されました。貴醸酒と言って水の代わりに酒で仕込んだお酒で、これは熟成酒と吟醸酒を混ぜて作ったそう。甘~い。

 ボクはお酒は弱いので、どこの店へ行っても水を大量消費します。何度も注いでもらうのは悪いので個室の場合は、予めピッチャーで置いておいてくれ、とリクエストするのですが、今回は最初からおいてありました(笑)。

 この宿を運営している企業は広域展開をしているので活発に人事異動をしています。接客してくれる従業員は殆どが20代~30代前半ですが、毎年違います。だけど、皆こちらのことを良く知っている。
 客の好みを細かくシステムに記録しているから、そういうことができるのですが、活用しなければ何にもなりません。若い従業員の資質、モチベーションの高さを改めて考えさせられました。
 苦境だった旅館業だけではないだろうけど、今回のコロナで企業間の優劣は一層 差が開いたんじゃないですか。


 食事は夏らしく、毛ガニからスタート。

 お酒は日本酒とワインのペアリングです。日本酒の味はボクには良く判らない。ただ、美味しいというだけです(笑)。

 茂魚のお椀。関東ではあまり口にできませんが、ボクは大好き。夏の味覚?です。以前はもっと創作料理みたいな感じでしたが、この3年の間に料理長が変わって少しだけオーソドックスな傾向に振ったらしい。ボクはその方がいいです。

 サラダ仕立てのお刺身。イカと鯛。 

 キャビアを載せた鱧。これは水っぽくていまいちでした。

 鱧には重めのシャンパンを合わせろ、と言われました。それは悪くなかった。

 大きな蓮の葉の上に置いた八寸、それから鮎。 

 この宿は食べ物、食器、調度品、土産物まで地元の物を選んで使っています。日本酒もです。京都の酒というと大量生産で変に甘いという印象が強いのですが、ちゃんと作っているお酒も多いんですね。ボクには良く判らないのですが、美味しい(笑)。


 


 食堂の窓からは小倉山が次第に暮れていく光景を見ることができます。徒然草を始めとして、様々な古典で詠まれてきたところです。800年前と同じ景色を見ながらご飯を食べる、この宿に泊まる大きな理由はこれです。それほどボクは徒然草が好き。影響を受けました。
 ま、800年前と同じと言っても、大抵の山は800年以上前からあるわけですが(笑)。

 最後はご飯。賀茂ナスを炊き込んだご飯の上にヒレ肉が載っています。前日の松坂肉は脂っこくて食べられませんでしたが、これくらいの赤身だったらOKです。賀茂ナスと一緒に炊き込んだご飯には生姜が混ぜ込んであって美味しかったです。家へ帰ったら真似をしようと思いました、普通の茄子で(笑)。

 肉に合わせて出てきた赤ワインは山梨のもので、赤なのにミネラル分が強く感じられました。和食にはミネラルが合うんだなって。個性的だけど重すぎない、面白い味で、結構気に入りました。

 食べ終わったら、あとは寝るだけです。小倉山に見下ろされて、京都の夜は更けていきました。