特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『ゼロの未来』と『チャッピー』

6月になってボクの勤務先にも新入社員が配属されてきた。男性も女性もみんな挨拶の声が大きい(笑)。元気だ。月曜の朝 早くも脱力してだらだらしてた身には非常に新鮮に感じた(笑)。どうせ最初だけだし声がでかいのが良いわけじゃないぞ、とは思ったけど、元気がないよりはいいか、って思い直した。外国の人も若い人も、ともかく自分とは異なる人がいるのは刺激があってありがたいことだ。
                                                             
先週の週末はまるで梅雨が明けたかのような強い日差しだった。でも、まだ梅雨も来てないって(笑)。先週は大きな地震が2回もあったし、噴火もあった。日本列島がぶるぶる震えているようで怖いなあ。
●土曜日の地震直後の月。大きな地震の前後って月が印象的なのは気のせい?



復活した恵比寿ガーデンシネマテリー・ギリアムの新作『ゼロの未来

舞台は大型コンピュータに支配された未来。コンピュータを管理する『MAN COME』という会社の『マネジメント』というボスに牛耳られている。主人公(クリストフ・ヴァルツ)は廃墟となった教会で独りで住みながら、いつか電話がかかってきて誰かと心を通わせることを夢見ている。ある日 彼はマネジメントから難解で誰も解いたことがない『ゼロの定理』を解くことを命じられるが。

テリー・ギリアムらしく、未来社会の描写はサイコーに面白い。面白いと思うのは他人事とか絵空事とは思えないからだ。そこはコンピュータと広告に支配された独裁社会。人間はコンピュータの指示に従い、単純労働に従事している。何をするかだけでなく、何を考えるべきか、までコンピュータとマネジメント(支配者)が決める。そこには反乱とか抵抗という発想すらない。テリー・ギリアム監督は秋葉原のネオン電飾を見て発想したそうだが、過剰な色彩と細部までこだわった美術、センスの良さは素晴らしい。今に『マネジメント』みたいな独裁者、出てきそうな気がする。独裁者って言うのは勝手に登場するわけではなく、人々のニーズに応える存在として登場する筈なのだ。
●主人公(クリストフ・ヴァルツ)の勤務風景。コンピュータの指示通り、ゲームのような単純作業を繰り返す。

●未来世界の描写。街は廃墟になっても広告だけは常に人間を追いかけてくる。


                                     
主人公は廃墟になった教会に鍵をいくつもかけて一人で住んでいる。廃墟になった教会というのも意味深だし、教会の中で打ち捨てられた十字架の頭の部分が監視カメラになっているというのもいい。主人公はそれに不満を持つわけでもなく、端末の前で独り、『ゼロの定理』を解くことに集中している。定理を解くと言ってもTVゲームをやっているかのようだ。ボクはゲームなんかやらないけど、独りで暗闇に自ら籠っている主人公にすっごく親近感がある(笑)。

その主人公の元に上司やパーティーで知り合った女性、少年が訪れて話が進んでいく。主人公は機械ではなく人間による救いを求めているんだけど、決して救われることはない。ヴァーチャルな空間や暗い教会、巨大企業の中枢はヒエロニムス・ボスの絵画のようだ。文字通り夢の中の世界を描いているようで、それを現実に眼でみられるんだから、すごい。とにかく映画『Vフォー・ヴェンデッタ』や小説『1984』などファシズムの世界を描いたらイギリス人は天下一品だ。この映画もそうだが、現実が彼らのイマジネーションを追いかけているような気がするな。

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ただお話として、孤独と虚無に取りつかれた男が最後にヴァーチャルな空間で女性に救いを求めるというのは、あんまり納得できない。この発想は上野千鶴子だったら『介護難民のジジイが夢のような女性にすがる、時代遅れのセコイ妄想』と鼻で笑うだろう(笑)。さすがにいい歳こいてくると、そんなことで人生は救われないのはボクですら、嫌というほど判ってる(笑)。エンディングは、人間に救済を求めてもムリ(笑)という納得できるものではあるけれど、逆に当たり前すぎる。

と、いうことで、テリー・ギリアムイメージの奔流を味わうための映画。セリフがまったくなかったら、もっと良かったかもしれない。


                               
新宿で映画『チャッピー

舞台は2016年のヨハネスブルグ。凶悪化する犯罪者に対抗して、警察はあるベンチャー企業が開発したロボット警官を導入して成果を上げていた。ロボ警官の開発者の青年は会社に内緒で意識を持った人工知能(AI)を開発して廃棄用のロボット警官にインストールする。だが、ひょんなことからロボット警官は麻薬の売人夫婦の手に渡ってしまう。当初は子供と同然のロボット警官を売人夫婦は『チャッピー』と名付け、教育して自分たちの稼業を手伝わせようとするが。

低予算ながら大ヒットしたSF『第九地区』(エビ型宇宙人が怖かったのでボクは未見)で宇宙人というモチーフを借りて人種差別を告発した南ア出身のニール・プロムカンプ監督の第二作。と、言ってもロボコップものかな?と思いながら、あんまり期待しないで見に行った。
                                                                                             
ここ数年、人工知能(AI)は自ら学び、概念まで作ることができるようになった。グーグルが作っているAIはネコという概念を自分で作り出したそうだ。人間の意識を機械で再現することは決して荒唐無稽な話ではなくなりつつある。機械が人間を代替できるのは2030年とか2040年とか諸説はあるけれど、これから人間の職業はかなりの部分は機械に置き換わり、高賃金のクリエイティヴな職業と単純不規則な低賃金の職業に分化していく流れは止められないように思える。それを防ぐには人間の能力を上げていくしかないが、教育の機会が不足したり、本人が高度な教育を受けることを拒否する場合だってあるだろう。くだらないコンテンツを垂れ流すTVやネットが蔓延し、橋下や石原慎太郎に投票する奴がこれだけ大勢いるのだから。見通しはなかなか厳しそうだ(笑)。
                          
実際に撃たれても死なないロボ警官やロボ兵士が出来たら、犯罪多発地域に導入することに反対する人は少ないだろうし、たぶん そういう動きは着々と進んでいる。今だって駅も繁華街もそこいら中に監視カメラが置かれているのだ。画像認識の技術がこれだけ進んでいるのだ。ロボット警官や『ゼロの未来』のコンピュータ監視社会はすぐそこだ。

                                                                                                
映画の前半はチャッピーが人間社会を学んでいく過程が描かれる。人工知能は自ら学び考えるものだから、移植したときは子供同前、チャッピーは外部環境から色々なことを学んでいかなければならない。だが手本となる人間がどいつもこいつもロクなもんじゃない(笑)。創造主である開発者は自分の開発エゴしか考えてないし、父母である麻薬の売人は現金輸送車を強奪することを計画している。父親役の麻薬の売人がチャッピーに金ぴかのアクセサリーをつけさせ、ギャングのしゃべり方や喧嘩のやり方などのストリートの流儀を伝授するところは非常にコミカルではあるんだけど、ボクはあんまり笑えなかった。意識が生まれたばかりのチャッピーの存在が純粋である分だけ、人間たちがあまりにも情けなくて。
●チャッピーの開発者(スラムドック・ミリオネアの主役の子)。チャッピーを愛してはいるんだけど- - -

●ロボットものと言えばシガニー・ウィーバー

                                     
後半は開発者のライバル(ヒュー・ジャックマン)の開発した重武装のロボと彼らが属するベンチャー企業の経営者(シガニ―・ウィーバー!)を巻き込んでのバトルが勃発する。だが、この映画の場合 バトルは必ずしも本筋ではない。チャッピーという存在を通して、如何に人間たちが愚かなのかをいやというほど見せつける。開発者や父兄役の麻薬の売人も善意を見せるけれど、成長したチャッピーは道徳面でも人間を凌駕し続ける。
●麻薬の売人兼チャッピーのお父さん(ニンジャという芸名の南アのラッパー)

●ギャングだけど、優しいチャッピーのお母さん

●今回は右翼軍隊バカ(笑)のヒュー・ジャックマン

●チャッピーと犬。

                                                   
人間たちの情けなさを散々見せつけられた挙句、お話がハッピーエンドなのは良いバランスだ。その展開にほろ苦さ、割り切れなさを感じる人もいるかもしれない。だけど、ボクはそこにもっとも共感した。バカな人間より犬やパンダのほうがマシ!って言うのはボクの持論だが、人間よりAIのほうがマシっていう時代も直ぐそこかもしれない。それはともかく、人間性っていうのは所詮は相対的なものにすぎなくて、絶対的な信頼を寄せられるようなものじゃないんじゃないか。
単純なロボコップものでもないし、ロボットの可愛さを訴えるような作品ではありません。AIを載せたロボットを通じて、現代の人間を徹底的に風刺した見事な物語。この映画にはほろりとさせる優しさと怜悧な意志があります。ボクはかなり好きです。