特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

女心と蒼い空。:映画『恋の罪』

寒くなったなあ。空は高く、蒼くなったけれど、それに伴って寒さは一層増してくる。毎年のことだが12月になると、東京の街中は急に賑わいを見せる。だが今年は人は出ていても店の入りは良くないと思うのだが、どうだろうか。先週末も原宿、青山あたりは歩道は人が溢れていたが店はガラ空きだった。多分儲かっているところとそうでないところの差が大きく開いているんだろう。 いずれにしても人ごみは大嫌いなので、12月はより一層 出不精になる。


渋谷で原発国民投票の署名とカンパをするみんなで決めよう「原発」国民投票。受け付けてくれた老婦人に薦められて断れないまま(署名集めの)受任者にもなってしまう。勿論 自分のことだから、別に嫌なわけではない。隣で署名していた老婦人は『ここいらに居る若い人たちのためにやってるのよ』とデカイ声で話ながらペンを動かしている。それにしても女性は元気だよなあ。




そのあと園子温監督の新作恋の罪』。朝一の回にもかかわらず満員御礼だった。 お金を借りる!!借り方についての不安や疑問解決隊


この映画のベースとなった東電OL殺人事件の被害者女性は事件後 一部の女性たちから ある種の共感を集めたそうだ。上野千鶴子などによると事件直後 『彼女はまるで私のようだ』という女性からの声が多くあったと言うし、事件現場には女性たちが花や線香が手向けたりしたそうだ。そのせいかどうか映画の観客は老若問わず女性比率が高い。園監督の前作『冷たい熱帯魚』の客席が男性ばっかりだったのと対照的だ。
ちなみに被害者の当時の上司は今だに居座っている東電の会長勝俣恒久。事件を取材したルポライター佐野真一によると、勝俣は彼女が何をやっているか知っていながら職場でせせら笑っていたという、文字通り最低の人間』らしい(TBSラジオDIGでの発言)。

   
お話は売れっ子小説家の貞淑な妻(神楽坂恵)、子持ちの刑事(水野美紀)、エリート大学の助教授(富樫真)の3人の女性が主人公。経済的にも家庭生活も一見 不足がないように見える彼女らは心身ともに満たされない欲求を抱えて不条理な行動をとっていく。

特に前半部に描かれる女性像がややステレオタイプのように見えるのが気になる。誰もがある種の満たされない思いを抱えているのは同感だけれども、それを充足するやり方が定型的に見えるからだ。つまり『自分という存在をこの世の中に位置づけるのは市場(カネetc)か、他人との関係性(愛情etc)か、それしかないのかよ』、と思ってしまうのだ。それは、ちょっとさびしいなあ。
あと東電OLをモデルにした助教授がファザコンという、ありきたりのコンテキストに回収されてしまったのもちょっと残念。 ここいら辺はぜひ女性の意見を聞いてみたいものだ。

   
後半になってくると、物語は怒涛の勢いで転がって行く。この映画は全編 雨のシーンが多いのだが、雨の勢いが一層増していく。そのなかで女性たちの実存(我ながら、古い)、身体性が全てのものに対して優位に立っていくのが描かれる。言葉ではなかなか表現しきれない、そういうことを女優陣が文字通り体を張って示していく。観客に四の五の言わせない説得力だ。
貞淑な妻が一線を踏み越えてから見せる、解放されたかのような神楽坂恵の表情、怪演と言ってもいいくらいの富樫真、どれも素晴らしい。助教授の母親役(大方斐紗子)の慇懃無礼で上品な不気味さは物凄い。前作『冷たい熱帯魚』のでんでんの演技も凄かったが、今回も女優陣から鬼気迫る演技を引き出した監督の手腕はすごいと思った。
一方 作中 頻繁に使われたフランツ・カフカの『城』と田村隆一の詩は、ボクにはあまりぴんと来なかった。


良くできたエンターテイメントだし、考えさせられもする映画ではある。前作と比べてグロ描写が少なめなのもボクには良かった。
物語は女性たちがそれぞれの形の『解放』を掴み取ろうとするところで終わる。彼女たちは、日々の生活から、恋から、男から、そして自分の欲望から、逃れるのではなく『(自分を)解き放つ』のだ。女性たちが自分の力で結末を掴み取るところがこれほど力強く、そして余韻を持って表現されることは滅多にない、と思った。自由を求めた女性たちが結局は現実からファンタジーに逃げ込むしかなかった『テルマ&ルイーズ』なんかよりよっぽどいいな、と。  

           
激烈で異形だけど、『恋の罪』の後味はとても爽やか。それはエンドロールで画面いっぱいに広がる青空のせい、だけではないのは確かだ。

『劇場版 神聖かまってちゃん』で目の強さと存在感に感心した、二階堂ふみちゃんを園監督の次作『ヒミズ』で見るのが楽しみだな。