特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『アンダーコントロール』とサッシカイア

東北へ行ってきた。仙台は目茶苦茶景気がいいらしい。復興資金と保険金の支払いで数兆円レベルの金が地元におりてきている。ホテルは満杯だし、飲み屋街の国分町は大賑わい、デパートではブランド物が飛ぶように売れているそうだ。この何年か、東北地方の経済はずっと地盤沈下が続いてきた。必ずしも復興の好況を喜んでばかりもいられないが、すこしでも活気が出るきっかけになればよいと思った。
勿論 フクシマはそんな賑わいとは別だ。いわき市の人によると地元で話題になっているのは放射性物質の中間貯蔵施設がどこにおかれるのか、ということだそうだ。理屈では既に汚染された原発の周辺に置くしかないとは思うけれど、そんなことは言い出せない。今もフクシマに残っている人たちの気持ちはそう簡単に割り切れるものではないことを思い知った。


新幹線の車窓から見るフクシマあたりの山はちょうど紅葉でとても美しかった。だけど、この山々にも放射性物質が積もっているのかと思うと、なんともいえない気持ちになる。汚染はこれから30年以上続くのだ。



青山で映画『アンダーコントロール
原発とその周辺の事情を描いたドイツのドキュメンタリー。稼動中の原発原子力の研究所、原子力関連業界の見本市、核廃棄物の貯蔵所、廃炉となった原子炉などの光景が淡々と映し出される。それだけ、なのだが、実際に目にすることはあまりないものばかりなので眼が惹きつけられる。

映画で紹介されていた原発一つで直接的に5000人の雇用を数十年間 生んでいるそうだ。周辺の産業も含めたら10万人単位の生活を支えていることになる。下請け仕事が殆どだとしても、ドイツでも地方には原発が金のなる木であることがわかる。
原発の周りには航空機テロ対策で地上300メートルまで伸びる防御用の煙幕が張り巡らされている。これも印象に残った。さすがドイツ人でやることが徹底している。低レベル核廃棄物の貯蔵所は始めて見た。使用済みの防護服や汚染を洗い流すための水まで貯蔵していることは始めて知った。煙幕にしろ廃棄物の貯蔵にしろ、そんなことやってたら金がいくらあっても足りないと思うのだが、どうなってるんだろうか(だから税金が投入されるわけだ)。
そういうものを大画面で見るとやはり、インパクトがあった。

終了後 事故前にフクシマのことを調査した論文として話題になっている『フクシマ論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』の著者、関沼博氏のトークショー

「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか

「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか


地元出身の彼は以下のようなことをコメントしていた。
『実際には原発で職を得ている人も多く居るわけで、現実的にそれを無視して脱原発の議論を進めることは出来ない。現実はもやもやしたもので、善と悪とにあっさり割り切れるものではない。』
こんなことも言っていた。
『例えば風力発電の学会に行くとそれに反対する野鳥の会との激論がある。野鳥の会は風車は猛禽類に害を及ぼすと主張し、風力発電を研究している学者はその確率は低い、と相手にしない。その図柄は原発ムラとそっくりだ』


そのあとの質疑応答で会場から『(割り切れないというが)じゃあ、原発をどうしたらよいと思うか』という質問が飛ぶ。 関沼氏曰く『(もやもやしていても)まず 現実を直視しようとすること、そして今起きていることを忘れないこと

原発の話はこういうことだと思う。現実を見ること。それは普段の暮らしで何を食べ、何を着るかってこと。仕事だって原発に頼らないまっとうな職業、まともな働き方にしていくこと
少しでもマシな世界にするためにやれることは、ある




そんな映画を見たあと、近くで開かれたワイン会へ。会場のレストランではサッシカイアのマグナム瓶がバンバン空いて、まさにバブリー。ボクは単純に美味しいワインを飲みたいだけだったんだけど、少し悪趣味で醜悪。『少しでもマシな世界』とは矛盾している。だけど、普段飲めないようなワインをグラスに注がれたら残せるわけないじゃないか。おかげで二日酔いならぬ三日酔い。
結局 コントロールっていうものは時には失われるものなのだ(泣)。