特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

うまく表現できないんだけど:EVERY PICTURE TELLS A STORY

このブログに来てくださっているSAUNDERSONさんが震災/原発事故の直後のご自身の体験や心理をご自身のブログのコメント欄に書いておられた。http://d.hatena.ne.jp/saunderson/20110810

ボクはそれを読んで大変感銘を受けた、と同時にちょっと、考えたことがある。
震災/事故当時の個人的状況を書いたり、話したりすることは、それだけで一種の意見表明ではないだろうか』ということだ。


3・11のあと、被災地ではなくても、一人一人がいろんな想いを味わったんだと思う。ボクが住んでいる東京ですら、いろいろなことがあった。
『死に物狂い(ちょっと大げさだが)で何時間も歩いて帰宅したこと』、
『翌日 原発が爆発したのをTVで見たこと』、
『慌ててチェルノブイリやスリーマイルの時のことを調べたこと』、
『自分が調べたことと、政府やマスコミが言っていることと辻つまが合わなかったこと』、
『外国の大使館の退避勧告や米軍がいったん仙台から退避したのを見たこと』、
『東京から退避するべきかどうか迷ったこと』、
『休み明け(3/14)通勤駅に旅行支度をした人がたくさん居たこと』、
『外出するときは1ヶ月以上マスクをつけていたこと』、
『それまでは何でも溢れかえっていたのに日々の買い物すら苦労したこと』、
『いつも昼飯を食いに行く店の女の子が地震直後、接客をしながら何故か泣いていたこと』。


あの震災・原発事故のあと、直接 被害を受けていないボクのような人間でも、原発に対する意見だけでなく、日々の暮らしの過ごし方、仕事への向き合い方ど、色々なことが変わってしまった。
自分でも現金なものだ、と思う。


だけど人間の気持ちや意見は変わっていくものだ。記憶は風化していく、愛情やシンパシーですら変化していく。大勢の意見に流されることだってある。所詮 人間なんて都合が良い生き物だ。


それでもボクには忘れたくないこと、捨てたくないこと、がいくつか、ある。その一つは何て言うか、切実な気持ちだ。あのとき ああいう気持ちを味わったという体験の強さ、だ。
あの時感じた気持ちは、本や理屈、まして政治家や官僚ごとき(笑)に左右されるものではない。ボクだけの、個人的なものだ。だから、原発事故が起きたときの自分の個人的な状況を誰かに話したり書いたりしておくことは、自分はあのときの気持ちを忘れないぞ、という意見を表明していることなんだと思う。

残念だけど、フクシマの事故は何十年がかりで深刻な状況に立ち向かわなくてはいけないことが一層はっきりしてきた。だから(記憶が残っている)今しかできない、一人ひとりの個人的な意見表明はきっと、とても重要なことなのだ


誰もが自分なりの物語を持っている。その強さをボクは信じる。

ロッド・スチュワートもそう言っている(笑)