特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

グローバリゼーションがもたらすものは:ソフィアの夜明け

12月に出る『神聖かまってちゃん』の新譜2枚の題名はそれぞれ『つまんね』と『みんな死ね』だそうだ(笑)。
ちょっと、ウケる。
前作の『友達を殺してまで』もそうだったが、今の時代の気分をよく反映しているタイトルだと思う。閉塞感というか、疎外感というか、真綿でじわりじわりと首を絞められている感じというか。多くの人がそういう感覚を共有しているからこそ『神聖かまってちゃん』のような異形のバンドが支持を集めるのだろう。

みんな死ね

みんな死ね


イメージフォーラムブルガリア映画ソフィアの夜明け
昨年の東京国際映画祭グランプリ作品だそうだ。映画『ソフィアの夜明け』公式サイト

舞台はブルガリアの首都ソフィア。
主人公の男は美術大学を出たが、それを生かせる職がなく木工所に勤務している。ドラッグ中毒の治療中で、それを紛らわすために今度はアルコールに走っている。恋人はいるが満たされない日々。 何とか暮らしてはいるものの、自分の感情を切り捨てるだけの毎日。そんな彼がたまたまスキンヘッズに襲われた裕福なトルコ人親子を救ったことで、その美しい娘と知り合う。そんな話だ。

ここで描かれているブルガリアの現状は厳しい。
若者に仕事は少なく、街は不景気だ。その一方で大規模なショッピングセンターが建設されるなど、富めるものとそうでないものとの格差は広がっているようだ。不満を持った若者はスキンヘッズなど徒党を組んで弱いもの苛めに走り、政治家は他民族への憎しみをさらに煽りたてることで人気取りをする。

これはブルガリアだけの問題ではない。
若者たちのスキンヘッズやネオナチはイギリスやドイツなどヨーロッパ各地に広がっているし、アメリカのティーパーティー運動も没落しつつある田舎の白人中産階級が有色人種や都会のリベラルを仮想敵にして不満を紛らわしているのだろう。最近中国で起きた反日デモも政府や日常生活への不満が一因のようだ。
日本だってそう。
最近よく聞かれる、他国の人や官僚に対する強硬な意見は何かロジックに基づいてと言うより、自分の生活上の不満を単に他人のせいにしているという面もあるのではないか。明確な論理もないまま、単に自分とは異質の他者が悪い、としているのではないか。そしてマスコミや政治家は売上、視聴率、支持率目当てにそういうヒステリックな言説を更に煽る。仮想敵を作って国民の不満を逸らすのは太古から政治家の常套手段だ。
この映画でも、スキンヘッズにカネを出して暴れさせる政治家の姿が描かれている。その貧しい若者たちが標的とするのはトルコ人セルビア人。ロマやゲイの人もそうだろう。だが政治家から見ればスキンヘッズもトルコ人も同じ社会のマイノリティだ。
勿論 誰かを敵視することで、何か現実的な問題が解決するはずもない(笑)。だから、その先にあるものは疎外感や閉塞感の広がり、だけだ。世界中で際限がない競争を生み出しているグローバリゼーションの帰結は、ある意味ではこういうことなのだろうか
もしブルガリア映画ソフィアの夜明け』が他の国の人に共感を持って迎えられるとしたら、この主人公のようにグローバリゼーションに飲み込まれて混乱している若者は今や世界中のどこにでも居るから、だと思う。ボクら、いや少なくともボクはこの主人公と同じ地平に立っている。

いったい、どうしたらいいんだろうか(笑)。
この主人公は東に向かう。娘が住んでいるトルコに彼がたどり着いたところで、物語は終わる。ちなみに映画の原題は『Eastern Plays』だ。

この映画で描かれていた、主人公が彷徨うソフィアの街の夜明けはとても美しい。通りにはもう、誰も歩いていない。朝の光が差し込んでくると、夜の間は灯っていた街灯が段々と消えていく。そこは誰も居ない、白々とした美しい世界。
同じように美しい光景は、この東京でも見たことがあるのだけれど。


映画の感想からずいぶん離れてしまったか(笑)。でもそういうつもりじゃないんだ。