特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

出口を探して:イクジット・スルー・ザ・ギフトショップ

浜岡原発伊方原発の住民説明会で原子力安全保安院が『やらせ』をおこなっていたこと、また佐賀県知事が住民説明会の前に『賛成意見を入れるように』と九州電力に申し入れていたこと、が明らかになった。
やっぱり電力会社だけでなく官僚、政治家もグルだった(笑)。
中国の鉄道事故隠し、なんて他人事じゃない。役人や政治家だけなく、事実を伝えない報道まで日本は全く同じだ。一般大衆の世論を気にしているだけ中国共産党のほうがボクにはまだ、マシにすら見える。
ルポライター佐野真一がうまいことを言っていた。
政官業のトライアングルの癒着構造プラス何も書かないメディアが権力構造をつくって、そこの中核に鎮座ましましていたのがコントロール不能原発という構図

日経ビジネスオンライン
原発を推進することに官僚、政治家、電力会社に土建屋、マスコミがこれほど堅く結び付いている、ということは、原発にはそれだけの利権があるということだろう。端的に言うと『お前ら、そんなにカネが欲しいのかよ』(笑)と。ま、おカネは大事だけど。



そういうことを考えると余りにも問題が大きすぎて、時には自分が思い切り無力なようにすら思えたりもする。周りのテレビや新聞は相変わらず、大事なことは伝えないから、そんなことを考えているのは自分ひとりかと思ってしまう。一人にできることなんて、たかがしれているし。


だけど良く考えると、原発を囲む問題って実は、個人が現実にどうやって暮らしていくか、どうやってカネを稼いでいくか、どういうものを食べていくか、ってことだ。そう考えると個人一人一人がやるべきこと、やれることは一杯ある、ように思える
くだらないTVや新聞はボイコットするのもそうだ。
今度の選挙では、政治主導どころかただの経済産業省の使い走りだった海江田万里や貧乏神の与謝野馨(ともに東京1区)、子どもに20ミリシーベルト被爆させようとする文部大臣の高木義明(長崎1区)、自民党原発族の甘利明(神奈川13区)、それに電力労組お抱え候補どもには絶対に投票しないこともそうだ。
もちろん、今回やらせが発覚した佐賀県知事を落選させるのも忘れずに(笑)。ちなみに古川という、この佐賀県知事は親父が九州電力社員だったそうだ(笑)。
あと、原発反対のブログやツイッターを監視するとか言う、国民を舐めきった事業を経済産業省から受注したのは広告代理店大手のアサツーディー・ケー(ADK

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011072802000040.html
及ばずながら、こーいう企業とは個人的に今後のお取引は一切差し控えさせてもらいますから(笑)。ボイコットだよ、ボイコット。


電力だって皆がちょっと節電しただけで、今や東京の電気は余っている(笑)。
現在 東京電力管内で原発で発電しているのは柏崎刈羽の300万kwちょっとだ。この7月は供給に対する電力需要はどんなに気温が上がっても500万KW以上余っていたのだから、東京電力管内は今だって原発無しで全然OKなはずだ
相変わらず原発がないと経済がおかしくなる、とか寝ぼけたことばかり言っているマスメディアはこんな簡単なことを、どうして報じようとしないのだろうか。



さて閑話休題(笑)。
渋谷で映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』
アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にもノミネートされた、ストリート系アーティスト、バンクシーの初監督作品。
この人は街の建物や壁に落書きするだけでなく、大英博物館パレスティナイスラエルの間の分離壁に勝手に自分の作品を描いたりしたことで著名な、イギリス出身の覆面アーティストで、作品には数千万円の値段がつくこともあるそうだ。

Wall and Piece

Wall and Piece

映画はその、覆面作家バンクシーに関するドキュメンタリーを作ろうとした男のドキュメンタリー。
アートおたくでカメラおたく、自分の生活そっちのけでストリート・アーティストたちが(非合法の)表現活動するのを撮影し続けている男、ティエリーは 正体を隠しているため誰も接触できなかったアーティスト、バンクシーと偶然 知り合いになり、彼を撮影できるようになる。やがてティエリーはバンクシーを始めアーティストたちの活動をまとめた映画を作るが、それがあまりにも酷い出来だったため、バンクシーは『映画より、君もアーティストになったらどうだ』と勧める。
その気になったティエリーはアートには何の実績も無いド素人にも関わらず、『ミスター・ブレインウォッシュ』というアーティスト名を名乗ってマスコミを利用した大プロモーションを仕掛ける。それによってティエリーはマドンナのアルバム・ジャケットまで手がける有名アーティストになってしまう。
●ミスター・ブレインウォッシュ作

ウソみたいな、本当のお話。
世界的なカネ余りのなかで、泡のようなカネが集まっている現代アートという世界がどういうふうになっているかが良くわかる。かと言ってトラディショナルなアートの世界がどうかというと、スケールは小さいが例えば日本の画壇だって、芸大を出て、ある程度実績を出したら、あとはいかに長生きするか(笑)が(年功序列の)芸術院会員選出や文化勲章などの叙勲の大きな評価ポイントだったりするから、現代アートばかり責められるような話でもない。
現代アートにしろ、トラディショナルなアートにしろ、良いものは良い、と思うし。

映画は短い時間ながらもストリート・アートの世界を良くまとめているし、ボクのような門外漢にも一部の作品の良さは伝わってくる。特にバンクシーの作品は批評性に溢れていて惹かれるものがある。良くできた、見る価値がある映画であることは間違いない。ただ、このティエリーというおっさんは憎めないけどあまり好きになれないので、人物描写の部分は退屈もした。
ミスター・ブレインウォッシュを売り出すことに図らずも手を貸してしまったバンクシーは映画の中でこう言っている。
『もの事の本質は隠されていることが多いが、メディアは表面しか見ない』
どこかで聞いたような話だな(笑)。

だけどね、メディアだけじゃない。ボクらもきっとそうなんだよ。注意してないと、つい、もの事の表面ばっかり追いかけてしまう。
この映画を見て、もっとも強く感じたのはこういうこと、だ。
(カネまみれの)この世界からの出口を探しなさい、と。