特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

不器用の用:『一期一会 キミにききたい!!』(NHK教育)

 基本的にはTVは見ない。
理由は『うるさいから』(笑)。家では平穏に過ごしたいのに放送される番組の多くは、大声でまくし立てたり、幼稚な演出や一方的な論理を強要する。バラエティだけでなく報道まで、はっきり言って神経に障るものばかりだ。
 そんな中でほぼ毎週見ている数少ない例外的な番組の一つが『一期一会 キミにききたい!!』(NHK教育http://www.nhk.or.jp/151a/index.html。ちなみに残りは『週刊 日本の名峰』(NHK教育)、もう一つは日曜朝のスーパー戦隊もの、今は『侍戦隊シンケンジャー』(笑)。
 『一期一会』は『悩みを抱えている25歳以下の若者に、考え方が違う同年代との出会いをプロデュースする』という内容だ。というと、あまりにもベタ過ぎて見るに耐えないような感を受けるが、案外そうでもない。
相談する側の若者は世渡りが上手でない、いわゆる不器用な子が多い。抱えている悩みは『対人関係が嫌だ』とか、『就職が怖い』とか(笑)。大声で主張するような話ではない。だが、僕自身も身に覚えがあるから、つい、見入ってしまう。
なかでも『口べたを克服したい話』は印象に残ったエピソードの一つだ。『他人にうまくしゃべれない』という元営業マンの男の子が、無声映画に語りをつける活弁師の女の子と出会う、という話だ。
かっては自分も引っ込み思案だったという活弁師の女の子は、地方の市民会館で行われる自分の公演に男の子を同行させる。地方の、見ず知らずの人たちの間に飛び込んで公演の準備を進める自分の姿を見せながら、男の子に他人に心を開く体験をさせようとする。『(キミが)つまらなそうにしていると、こちらまでつまらないよ』。
クライマックスは市民会館のシーンだ。市民会館で公演をする彼女は、素人が活弁をやってみる体験コーナーを作ると言う。そして男の子に、皆の前で語りをやってみることを約束させる。しかし、いざとなると男の子は手を挙げることができない。制限時間が過ぎる。女の子は時間を延長して『まだまだ参加したい人はいませんか』と舞台の上から呼びかける。それでも男の子は立ち上がることができない。
結局 男の子は皆の前で立ち上がることはできなかった。終演後に二人はもう一度話をする。相手を変えようとした女の子も、自分を変えられなかった男の子も、二人とも悔しそうだ。半泣きだったかもしれない。番組は二人が色紙を交換して別れを告げるところで終わる。
できないものはできない、こともある。だめなものは『だめ』なんだ。どちらかが悪いわけではない。時には、そういうこともあるというだけだ。この番組は世の中にある『本当のこと』の一部を見事に切り取ることに成功している。そして画面に出ている二人が思い切り不器用だからこそ、僕は共感する。同類として(笑)。
 ちょっと前に読んだ『生きづらさの臨界』で本田由紀氏が湯浅誠氏、河添誠氏との鼎談で、近年、人間関係の構築やコミュニケーションが上手でない、いわゆる世渡りの下手な、不器用な人間を『自己責任』という言葉の元に社会から排除する傾向がどんどん強まっている、と述べていた。

「生きづらさ」の臨界―“溜め”のある社会へ

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 本田氏は不器用を補うために『専門性の確立』で勝負しろ、と説く。一理有ると思うが、残念ながら誰もが、自分の身を守るレベルの専門性を持てるわけではない。現実に適応することは大事だが、それだけだろうか。現在の現実というものだって、もうすこし相対化して考えることはできないだろうか。
 もっと大事なことがあると思う。それは不器用さにも価値がある、ということだ。『一期一会』は素朴すぎて普段は忘れてしまいそうな、そういうことを思い出させる。もっと予算がかかった他の番組、芸やトーク、ルックスが優れた出演者がでている多くの番組より、素人がぶつかり合っているのを写しているだけの、この番組のほうが遥かに魅力的だからだ。 
 この番組には声高な主張は、ない。しかし見ている人間を、市場価値や経済合理性から離れた遠いところに連れて行く。未だにニュースをプロレス実況と勘違いしているアナウンサーや倉庫の隅でほこりかぶってたようなおっさんが、したり顔で幼稚なコメントをまくしたてるニュースショーとは対照的だ。古○に、木○太朗、あと○時のNHKニュースのおっさん、お前らのことだよ。
 残っている課題は、あとはどうやったら、不器用さの価値を自分自身で認められるのだろうか、ということ。
 ところが-----。この番組、今月末で最終回なんだって(泣)?