特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

騙す奴も悪いが騙される奴も悪い:キャピタリズム

銀座でマイケル・ムーアの新作『キャピタリズム:マネーは踊る』(個人的には原題どおりLove Storyを入れて欲しかった)http://www.capitalism.jp/
リーマンショック以来一層激しくなったアメリカ社会の富の偏在・格差の拡大をテーマにした、そんな話だ。
まず、ムーア氏もこれだけメジャーになってしまうと、得意のアポなし取材というのはどうしても難しくなってしまう。映画の中で彼が証券取引所に犯罪現場のテープを張ったり、ゴールドマン・サックスに押しかけて『市民逮捕だ』とアジるシーンなどはやらせにしか見えない。正直、空しさすら感じられた。
しかし映画を見終わって満足感があったのは、この映画は我々の抱えている真実を一面だけでも切り取ることに成功していると思うから。
例えばローン支払い不可に陥った人の住宅が差し押さえられるシーン。コトバでは判っていても実際に目にすると迫力がある。立ち退き期限を過ぎると警官がドアの錠前を壊して乗り込んでくる。一方リーマンショックでは銀行や証券会社に莫大な救済資金が投じられる。個人的には金融機関の救済というのはある程度しかたがないと考える。だが『金持ちは税金で救済され、貧乏人は家を取り上げられる』のは歴然とした事実だ。我々の社会のシステムがどこか間違っているとしか言いようがない。
この映画で最も感動的だったのはある女性上院議員(民主党)の上院での演説シーン。彼女は金融機関の救済に反対する立場だ。
議場での演説で彼女はなんと、住宅ローンが払えなくなって家を差し押さえられそうになっている人に対して、契約書の現物がその場にない差し押さえは法的根拠がない、として占拠を呼びかける。こんなラディカルな演説、議論が行われているなんてアメリカの議会も捨てたものではない。

彼女の演説を見て、涙が出てきた。それは彼女の表情、口調には我々の社会がこれでいいのか、という根本的な憤りが感じられたからだ。
そう。
日本も含め我々の社会はどこかおかしい。アメリカでも日本でも80年代後半以降 金持ちだけを減税してきた。そんなことをしていれば格差が固定化されるのは当たり前だ(ポイントは累進課税の問題だ)。
小泉に投票したフリーターも、ブッシュに投票したブルーカラー層も自分で自分の首を絞めているのだ。ボクはしてないぞ(笑)。それは例え、高額所得者で構成されているマスコミに騙されたにしても、だ。若造のうちからハイヤーで取材に行ってたり、ネット見て記事書いているような新聞記者がマトモなことを書けるわけがない(全て一流紙の実話だ)。
騙す奴も悪いが騙される奴も悪い。
だが、それはさておき。
さあ、ボクはどうしたらいいのかな。