特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

当たり前のことを当たり前に:3.11東京大行進(笑)


日曜日は外出したくないんだけど、やっぱり3月11日だから、と思って原発反対のデモへ行った。『3.11東京大行進』。あまりセンスのいいネーミングじゃないな(笑)。首都圏反原発連合 |
夕食のロールキャベツを下ごしらえしてから、日比谷へ。
2時過ぎに集合場所の日比谷公会堂裏に着くと、もう大勢の人が集まっている。ドイツの国会議員や中沢新一とかがスピーチしてたけど、ほとんど聞こえなかった。
●出発前。2、3000人くらい?

相変わらず時代錯誤の、変な幟とか持っている奴もいるが、昨年参加したデモのときより、『ふつうの人』、『目つきがおかしくない人』(笑)が増えている。上品な老婦人とか連れ立ってきた主婦とか、子供連れとか、そういう感じだ。前途 有望だ(笑)。案外裾野は広がっているんじゃないか。あと、外国の人も多かったな。

●歩き出して

ボクはいつもどおり黙って、ニコニコしながら歩く。歩いている人と人との間隔もだらっ〜と拡がったり、この日のデモはゆる〜い雰囲気。へんなシュプレヒコールとかも少なくて、それもよかったな。沿道には海外のマスコミも多かったからか、警察の敵対的な雰囲気は感じなかった。ただ何の用があるのか、道端でメモ取ったり電話してる公安は相変わらずいっぱい居た。あまり好きな言い方ではないが、こういう暇な公務員こそ人件費の削減対象、と言いたくなる。
●東電前、税金の無駄遣い:警備の対象が間違ってる

       
●東電 F☆CK OFF!(出演:ボクの中指)

      

●有楽町の交差点にて

                   
この日のデモは変な気負いも高揚感もなく、普段着で当たり前のことをする、という感じ。この当たり前の感覚が、もっと当たり前になっていけばいい。
               
       

あとは蛇足。
3/8夜 放送のNHKスペシャル調査報告:原発マネー 3兆円は地域をどう変えたのか』は興味深かった。原発立地の自治体が『国からの交付金』、『電事連からの寄付金』でがんじがらめになっていく様を描いたものだ。
冒頭 紹介されたのはフクシマの楢葉町原発関連のカネが収入の4割以上を占めている。これがなくなると村は存続できないし雇用もなくなってしまう、として、今も村長は原発の維持、再稼動を訴えている。
新潟県柏崎市には全国でも最大の年間300億円もの電源三法からの交付金がある。しかし市は深刻な財政赤字。理由は交付金で作った150!もの公共施設の維持費がかさんでいるから。例えば博物館、入場料収入89万/年に対して、維持費は89百万/年(笑)。ちなみに交付金の用途は公共施設、と最初から国が定めているそうだ。
青森県。当初は核燃料再処理施設の反対運動が盛んだった。が、法律の縛りがない電事連からの寄付金が県内全域にばら撒かれ、反対の声は萎んでいった。
                      

どれも、税金・電気料金からのカネを地方にばら撒いて原発を導入した、という構図だ。カネがばら撒かれた地方は他に産業が育たず、ますます原発依存度を高める。言葉は悪いが、まるで阿片窟の中毒患者のようだ。

番組中 インタビューに応じた資源エネルギー庁の元課長は率直に語っていた。
交付金の用途をハコモノに制限したのは地域振興のためではなく原発立地のメリットを地元にわかりやすく提示するためだ。元来 地域振興というのは自分たちでやるものであって、国など他人がやるものではない。』
そう、役人だってバカじゃない。確信犯だ。どうなるか判っていて、貧困層をはめたサブプライムローンと一緒だ。だが彼は、真実も述べている。自分のことは自分でやらなければならない、ということだ。
               

番組の最後で原発立地のどこかの村長がこういっていた。『ここには何もない。原発が来なければ雇用も無い』
だが彼には自分たちの暮らしを自分で守る、という視点が欠けている。
雇用を作ったり産業を興したりするのは、そんな簡単なことではない。誘致に失敗した工業団地や卸団地、そして空き店舗ばかりのシャッター商店街は日本中に広がっている。それでも、全国各地で数多くの企業や自営業の人、多くの普通の人たちは創意工夫を重ねて何とか生き残っているじゃないか。それが雇用ってことだ。
ボケ村長、なめとんのか。こっちは好きで仕事なんかやってるんじゃねえ(笑)。
                     
ボクにはこの村長はまるで他力本願のたかり屋、のようにすら見えてしまう。こういう無能なリーダー層に退陣してもらうことこそ、復興の第一歩だ。困っている人を助けることは良いことだ。生活保護みたいなセーフティネットはもっと充実すればいいと思う。だけど、自分のことは自分でやる、少なくとも、やろうとしなくては仕方が無い。
難しい理屈はまあ、いいよ。ただ、当たり前のことが当たり前になっていけばいいんだ。