特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『ヒトラーのための虐殺会議』

 我ながら仕出かしてしまいました。金曜夜の真夜中、トイレに行く途中 寝ぼけて転んで顔から落ちてしまった。
 ズキズキする痛みに耐えながらまた、寝たのですが、朝起きたら辺りが血まみれでした。あわてて救急車に乗って病院でCTを受けたら顔の骨は骨折、頭を打ったので2,3日は安静、ということでした。

 我ながら間抜けな話です。その日は仕事で会社全体の人事異動の話が有ったので、そのストレスのせいかもしれません。
 それでなくとも先月末に家の階段で足指を捻挫して2,3日歩けなかったのですが、今月はこのざまです。今の家を3月に引っ越すことが決まってから、どうも家の中で怪我をする。お祓いに行こうと思っています。


 と、いうことで、有楽町で映画『ヒトラーのための虐殺会議

1942年1月20日。国家保安部代表のラインハルト・ハイドリヒは、ナチス親衛隊と政府高官ら15名を、ドイツ・ベルリンのヴァンゼー湖のほとりにある邸宅に招集する。「ユダヤ人問題の最終的解決」についての会議が開かれ、彼らはヨーロッパの全てのユダヤ人を抹殺する計画について話し合う。会議ではユダヤ人の移送、強制収容、強制労働、計画的殺害などが異論なく議決される。

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 第二次世界大戦中 ユダヤ人絶滅政策を決定したはベルリンの高級住宅地、ヴァン湖(ヴァンゼー)で開かれた会議を描いた作品。ナチス戦犯アドルフ・アイヒマンが記録した会議の議事録に基づき、ヨーロッパの全ユダヤ人虐殺計画が立てられていく会議の様子が淡々と再現されます。

 集まったのは親衛隊、軍、占領地や本国内務省や外務省などの官僚たちです。当時のナチスは占領地が拡大するうちに支配下ユダヤ人の人数も増え、処理に苦慮していました。

●山荘に高官たちが続々とやってきます。

 
 それまではユダヤ人はドイツから追い出して東方へ隔離する、という方針でした。しかし戦争が激化するにつれ、そうも言っていられなくなった。

 会議ではそれぞれが勝手なことを言いあいます。ハインリッヒら親衛隊は『ユダヤ人はまとめて殺すしかない』と主張し続けます。占領地の行政官は『俺の支配地でのユダヤ人をどうしたらいいんだ』と訴え続けます。

 占領地で知識人や聖職者、ユダヤ人やロマ、共産党幹部などの民間人を大量虐殺していた秘密部隊、アインザッツグルッペン(移動虐殺部隊)の事が公然と語られていることも見逃せません。曰く、虐殺に従事するアインザッツグルッペンのメンバーの精神状態もおかしくなってきている、と。   

●会議を主催する親衛隊のハインリッヒ。野心家で悪逆非道な男として有名です。後年チェコパルチザンに爆殺されました。

 本国の官僚は『WW1でドイツ人として戦ったユダヤ人、特に戦傷を負ったり勲章を受けているユダヤ人をどうするんだ』、『精神障害者身体障害者に対して行われた「強制的な安楽死」であるT4作戦が与えた世論へのショックの再来にならないのか』と懸念を主張します。
 それに『殺すにしても貴重な弾薬が勿体ない』とか、『殺害するドイツ人への精神的ショック』も重ねて指摘されます。そもそも『1000万人を銃殺するのでは人手も弾も埋葬場所もとても間に合わない』。

 或る意味 合理的な議論が行われています。様々なことまで考慮するのは流石官僚、ですが、大人たちが集まって大真面目にこんなことを議論している、そして誰一人としてユダヤ人を殺すことをなんとも思ってないのには衝撃を受けます。

●内務や外務の役人たち
 

 アイヒマンの議事録を忠実に再現した、ということで、表面上は淡々とした展開が続きます。アイヒマンと言えば戦後は逃亡し、60年代にイスラエルモサドに潜伏先から拉致され、裁判で絞首刑になりました。
 裁判の記録フィルムを見ると、アイヒマンはおどおどした口調で『私は命令に忠実に従っただけだ』と抗弁したのが印象的でした。それを哲学者のハンナ・アレントが『凡庸な悪』と評したのは有名です。

 しかし、ここではアイヒマンは事務方として高官たちにユダヤ人の効率的な!殺戮方法の具体案まで提案するなど、終始積極的な役割を演じ続けます。いやいや、こいつ、平凡な小役人どころか、1000回くらい死刑にしなきゃダメでしょ。

●親衛隊たち。一番右が実務を取り仕切るアイヒマン

 弾も使わず、ドイツ人の手を汚さず、効率的に殺すためにアイヒマンが提案した方法がポーランドアウシュビッツなどに収容所を作ってガスで殺し焼却する方策でした。

 積極的にユダヤ人を殺せと主張するのは人種的偏見に取りつかれたナチスのみです。が、恐らくは普通の感性の人たちであろう他の出席者も誰も反対しないし、誰も疑問に思わない。淡々とした描写が余計に恐ろしさを引き立たせます。いざという時、人間はこうなってしまう。 

 やっぱり今 こういう映画が作られること自体、ドイツは日本よりまともです。
 日本のお花畑のリベラルとは違って、ドイツのリベラルは現実的です。緑の党は積極的にウクライナへの軍事支援を主張し、社民党出身の首相は時間をかけつつもようやく戦車の供与に踏み切りました。しかし、その現実的な態度は過去に犯した過ちを直視した上でのものです。だから判断に逡巡もある。判断に重みがある。

 日本では政府や保守派は過去の過ちを直視しないし、歴史まで修正しようとする。一方リベラルは平和とお題目を唱えるだけで現実を直視しない。代替案も出さずに反対を唱えるだけ。
 戦争時の日本の会議はどうだったんだろう、と思いました。同じように狂っていても、ここまで合理的な、そして冷徹な会議にはならなかったのではないでしょうか。現実を直視しないという点では現在の日本と戦前の日本は続いているからです。
 2度と間違いを犯さないためにはまず現実をみなければなりません。大変ユニークな、見るに値する映画だと思いました。


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